閑話・約束

 大晦日も近付いた師走のある日。三田寺の御爺が突然やって来た。御爺は道すがら狭邑と大迫の者を呼んで連れて来た。城に着くと同時に御爺は父の下へ行き話しをして居た。今は厳しい表情をした父の前で皆が不安そうな様子で上之郷の面々が来るのを待っている。


 あの日の事は今でもはっきりと脳裏に浮かぶ。二年前の冬の事だった。正月も明けて暫く経った頃、唐突に兄上に外出に誘われた。当時は孝政が言い出した跡継ぎの問題で兄上と少し距離があった時期だった事もあり、ちょっと驚いたものだ。馬に二人で乗り南の尾根に行った。

「紅葉丸、山之井を継ぐ気はあるか?」

海を眺めながら兄上は何の前置きもなくこう言った。殴られたような衝撃を受けた。確かに孝政はしきりに俺を跡取りにと吹聴していたし、母上がそれを聞いて心が揺れている事は幼い自分にも感じ取れていた。そして、それに対して他の者達が快く思っていないことも。

 しかし、兄上に疑われているとは思いもしなかった…家督争いが起こると親兄弟で殺しあう事も珍しくないと言う。俺と兄上もそんな風になってしまうのだろうか。そう思うと自然に涙が込み上げて来る。

「す、すまん、言葉が足りなかった!そうではない、お前を疑ったりしている訳ではないのだ!!」

慌てた様子で兄上が言う。こんなに慌てた兄上を見たのはこれが最初で最後だと思う。

「俺はな、お前にその気があるなら家督を譲っても良いと思っている。いや、違うな。譲りたいと思っているのだ。」

何を言っているのだろう。暫く理解が追い付かなかった。

「な、なぜです!?兄上は領内でも評判の跡継ぎではありませんか。兄上は何でも知っているし何でも出来る。俺が跡継ぎになるより兄上の方が!」

「いや、それは買い被り過ぎだが。」

海を見ながら苦笑いする兄上は続けて、

「俺は母上の望みを叶えて差し上げたいのだ。口には出さぬが母上がお前が家督を継ぐ事に気持ちが傾き掛けているのはお前も気が付いているだろう?」

「…だから譲ると?」

良く分からない…

「うん、お前は産まれる前だから知らんだろうが俺は母上に救われたのだ。母を知らなかった俺が今の様になれたのは全て母上のお陰なのだ。だから家督を譲る位はなんて事はないのだ。どうだ?」

優しそうな、嬉しそうな表情で兄上が言う。母上の事は良く分からないけれど兄上が本当に嫡男の座を俺に譲っても良いと考えている事は分かった。後を継ぐ…考えた事もなかった。母上は喜んでくれるだろうか?

 そこで、はたと気が付く。後を継ぐと言う事は兄上と比べられると言う事だ。それは、とても怖い…

「どうした?」

顔に出たのだろう兄上が心配そうに声を掛けてくれる。

「兄上と比べられるのは…怖いと思ったのです…」

正直にそう伝える。

「なるほど。そうだな…後を継ぐとして、一番大切な事はなんだと思う?人の上に立つ者としてとも言えるな。」

突然の質問に一瞬固まってしまう。一番大切な事…人の上に立つ、兄上が言う事は政か武かとかそう言うことじゃない気がする…きっといつも兄上がやっている事だ。

「…自分でやる事…ですか?」

恐る恐るそう答えてみる。

「うん?どうしてそう思った?」

意外そうな顔で兄上が聞き返してくる。でも、これは間違ったって事だ…悲しくなりながら、

「きっと兄上がいつもやっていることだろうと思って…」

「あはははは、なるほど。確かに俺は何でも自分でやってしまうからな。」

そう言って兄上は一頻り笑った後。

「自分で聞いておいてなんだが、正解はないのだと思う。それぞれの者が違う考え、正解を持っている。そういう事で良いのだろうと思う。」

「良く分かりません…」

正直にそう答える。

「うん、それはその内分かる様になる。俺が大切だと思っている事は考える事だ。」

「考える事?民の事を考えると言う事ですか?」

思ってもいなかった答えに困惑する。

「うん、それも一つあるな。それも含めて、なぜそうなるのか、どうしたら良いのか。必死に考えるのよ。お前だって俺の質問に考えただろう?」

確かに考えた。だけどそんな事は当たり前の…

「当たり前と思うかもしれないが、これが案外難しい。他の者がこう言っていたから。昔からこうやっているからと考える事をやめてしまう事は殊の外多いものだ。それから考えると言う事はその対象を良く知らねばならぬ。知る為には良く観ねばならぬ。お前は俺の事を考える時にこれまでに観て来た事を思い返したはずだ。違うか?」

「はい。」

確かにそうだ。でも、それも普通の事じゃ…

「そんな普通の事を諦めずに繰り返すのが大事なんだと俺は思うぞ。」

うぅ…考えている事が筒抜けみたいで恥ずかしい…

「それともう一つ。聞く事、相談する事よ。相談すると言う事は相談された相手も考えると言う事だ。三人寄ればと言うだろう?例えば松吉なんかでもはっとさせられる様な鋭い意見を案外言って来るものだぞ。」

あの松吉が?ちょっと信じられないな…

「あはははは、松吉は目が良いからな。目が良い者は気付きも多いのだろうさ。」

兄上は笑ってそう言った。

「だからな、お前に俺が何を観てどう考えたのかは全部教えてやる。ただ、大切なのはそこからお前がどう考えるかだぞ。お前の中に俺を残してやる。兄上ならどう考えるか、それと自分がどう考えたのか。それが出来ればお前は俺よりもっと良い跡取りになるはずだ。どうする?」

「…やって…みます。」

兄上の言葉にそう自然と答えていた。


 それからの二年と少し。俺は兄上となるべく一緒に過ごした。孝政や太助は不満そうだったけど。兄上は領内の全ての場所に俺を連れて行ってくれたし、時には領外にも連れて行ってくれた。何より色々な人に会わせてくれた。

 そしてそこで必ず兄上が何を観て、どう考えたのか教えてくれた。そして必ず俺がどう思ったのか聞かれた。それはとても大変な事だったけれど今では自分の中に高く大きく積み上がっている。

 そして、今日から兄上は居ない。俺が一人でやらねばならぬ。それが兄上との約束だ。


===太助===

 上之郷の館の方々と城に呼ばれる。師走の忙しい時期の突然の呼び出しに皆不思議そうな表情だ。三田寺の御殿様が来たと言う事には不安そうにしている。でも俺は知ってる。昨日、突然若様が家を訪ねて来たからだ。それは俺の望みを叶える話だった。でも…腰に差した脇差が重い。俺はこれから山之井の嫡男を支えねばならなくなったんだ。霧丸と松吉が二人でやっていた事を一人でやらなくてはいけない…

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 暫く待つと上之郷の面々も到着した。太助も一緒にやって来た。太助の腰に差さる脇差を見て気が付く。あれは兄上が六歳の時に賊を追い払った褒美に三田寺の御爺から貰った物だ。思わず笑いが零れる。なんだかんだ最後まで兄上は俺を心配してくれたのだ。

 皆が揃い、母も呼ばれておもむろに父が話し出す。

「忙しい時期に急に集まって貰ってすまぬ。皆に火急で伝えねばならぬ事がある。」

そこで一度言葉を切る父上。まるで自分に言い聞かせる様に目を閉じた後、

「…若鷹丸が出奔した。」


「どう言う事なのです!?」「一体何故!?」

父の言葉に皆が騒ぐ。落ち着いて居るのは俺と太助、それと三田寺の御爺だけだ。

「紅葉丸、お主知っていたのか!?」

頼泰大叔父が俺の様子に気付いたのか、そう聞いて来る。

「はい。」

「いつからだ!?」

「もうじき三年になります。」

「なぜ黙って居た!?」

「それが兄上との約束でしたので。」

淡々と答える俺に頼泰の大叔父が、

「何故だ?」

一言そう聞いた。

「…母上の為に俺に家督を譲りたいと。その為には自分が山之井に残る訳にはいかぬと。」

広間が静まり、見開いた母上の目からは徐々に涙が溢れて来る。


「でも、本当は多分…兄上には山之井は狭すぎたのです。」

視線を上げると廊下から見える冬の澄んだ広く高い空に一つ浮かぶ雲が浮かんでいる。

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