二章其の終 旅立ち

40・刻限

 眼下に広がる左程広くない冬枯れの平地。川から離れた畑では麦や冬野菜の緑が茶色の風景に色を添えている。その平地から左右正面と三本の谷が伸びている。それぞれの谷の奥では数本の炭焼きの煙が上がっているのが見える。広くなった山之井領を旧入谷館の裏の尾根から眺める。


 あの戦いから二年が経ち、山之井にもそれなりの変化があった。予定通り二つの家は年明けに代替わりをした。先代の助けを受けて二人とも無難に領主を務めている。

 結局、狭邑の家は板屋に領地を替えた。入谷の西側と併せて五百石程の領地を持つ事になった。一時的に旧板屋領の代官を務めた行徳大叔父の後押しも有り、領地を移ることにしたのだ。やはり、谷の一番奥にある狭邑の土地より平野に一番近い入谷の土地は広さもそうだが、同じ平地に見えても土地の傾きも全然違い、田に出来る土地が圧倒的に多いのだ。付いて行くことを希望した領民を何家族か連れて、西入谷に移築した館で人の減った板屋と西入谷の土地を徐々に復興させている。板屋城は解体されて守屋城の資材となり、板屋光潤は完全に隠居となった。今では里の子供達の面倒を見ている姿を良く見かける。夏の川遊びに板屋の子供達を引き連れてやってくる光潤と入谷の子供を連れてやってくる行徳大叔父のお陰で、山之井と旧板屋領の人々の距離は子供達から徐々に近付いている。

 大迫の家は東入谷を加えてこちらも五百石程。田の量や質は山之井家と比しても遜色無い様な土地と言えるだろう。しかし、大きく人口の減った領地の運営は苦労が多く、農繁期には周辺の集落からの助けも得てなんとかやりくりしている状況だ。夕叔母は真野家の家臣筋の家に嫁ぎ、入れ替わる様に永由叔父には真野家の末娘が嫁いで来た。末娘とは言え、寄り子の下に付く家に寄り子筆頭の家の娘が嫁いで来るというのはかなり異例の事であり。真野家が山之井を重視しているのが分かる。それとも重視しているのは三田寺かもしれない。

 上之郷の忠泰叔父は新たに領地を接する事になった小高衆の白沢家から嫁が来た。それと併せて小高衆にも炭を売って欲しいと言う要請もやって来た。平野に位置し、尚且つ冬場に芳後国に対する兵を多く動員せねばならない小高衆には山之井の炭はかなり魅力のある商品であった様だ。旧板屋領で生産し始めた分の炭は同時に増やした船に積まれて小高衆に運ばれている。増産される炭を狙っていた与平は心底ガッカリし、炭焼き職人達からは植林した山の整備に全然人が足りないと悲鳴の様な要望が上がっている。後数年して、田畑を耕す農民の数が元に戻れば林業を生業にする者の人数も増やせるだろう。そうすれば米を領外に売る事が減り、領民の数も増やせると考えている。なにせ炭と言うのは前世でも昭和の前半まではバリバリ現役の産業だったのだから。

 最後に山之井の本家は狭邑の集落を領地に組み込み、上之郷の分家と併せて千石程の領主となった。山之井城の施設は全て解体されて、板屋城を解体した資材と合わせて守屋城の資材となった。跡には入谷の館を移築して妙に立派になった山之井城が出来上がった。父は中々ご機嫌となり、居心地が良いのか上之郷の大叔父も用も無いのに良くやって来る様になった。隠居して少し暇なのかもしれん。


 眼下の山之井川を昼の便の船が下って行く。さて、そろそも俺も行くか。山を西に下り、旧入谷館の裏に出る。館は解体されたが、やたらと建てられていた蔵の半分は残され三箇所で焼かれる炭の貯蔵場所として使われている。尤も焼いた端から売れて行くのでこの蔵に炭が溜まるのは夏場の農繁期位のものなのだが。 木に繋いだ蒼風に跨り南へ向かう。この二年で蒼風にもすっかりと慣れた。年が明けると俺も十五になる。それと同時に元服する事になっている。刻限が来た様だ…


「…本当に行くのか?」

三田寺の叔御爺が思い詰めた様にそう聞く。

「うん、前から二人で決めていた事だ。後は紅葉丸が上手くやるはずだ。俺の考えは伝えられるだけ伝えたし、それに対して自分なりの考えも持てる様になっている。それにアイツは人を惹き付ける魅力がある。居るだけで人が集まって来るのは領主として大きな武器になるはずだ。面倒を押し付けて申し訳ないが皆に伝えて欲しい。」

三田寺城の門から出ながらそう答える。今日俺は山之井を出る。それを知っているのは源爺と紅葉丸、それともう一人だけだ。


 荷物を積んだ蒼風に跨り坂を下り実野川に向かう道を進む。俺は逃げ出すのだろうか?最初は母の望みを叶えたいと思ったはずだ。母が紅葉丸に家督を継がせたいと思うのは当然の事だ。何の因果かこの世界にやって来て最初に遭遇したのが母に救われた若鷹丸の強烈な感情だった。それが俺の原体験だ。母への感謝は年を経ても色褪せる事はない。領地、領民の為に出来る事は極力やったつもりだ。いくつかこの先のアイディアも紅葉丸に預けてある。アイツが領主としての立場を固める時に使ってくれれば良い。

 それに南の尾根から見える海。奥津の港で見た往来、その先にある物への憧憬を抑える事は出来なかったのも事実だ。あの海の向こう、日の本の各地の様子を見てみたいと言う気持ちも間違いなく有る。

 一方で、俺は封建社会の限界を知っている。このまま山之井の領主に納まる事に対する不安、不満が無いと言えば嘘になるだろう。特に不安の方が大きい。現状を打開しようと思えば周りを喰うしかない。しかし、その為に民を戦に駆り出す決断をする様な強い気持ちが俺には持てるとは思えない。しかも周りは味方ばかりなのだ。ここで修羅の道へ進む決断は出来そうにない。これはやはり逃げ出すのだろうな。自嘲気味に一人笑いを漏らす。


 視線を上げると一面の平野と冬の澄んだ広く高い空に一つ浮かぶ雲が浮かんでいる。あの雲は俺の行く末を祝ってくれるものだろうか…

「本当に来たよ…」

「な?俺の言った通りだろ?」

「…は?」

そんな感傷に浸る俺を現実に引き戻す声が横から飛んで来る。

「なにしてんだお前等?」

そこには俺と同じ様に旅仕度をした霧丸と松吉の姿が。

「若こそ俺達を置いてどこへ行こうってのさ?」

「いや…しかし、なんでここに?」

混乱に言葉が上手く出ない。

「松吉が若様が山之井を出るなら今日だって言うから。」

当然の様に霧丸が答える。

「そもそも何で俺が山之井を出るって知ってるんだ?源爺に聞いたのか!?」

「何言ってんだ?毎日一緒に居るんだぞ、なんでバレないと思ったんだ?」

松吉の言葉に隣で霧丸も当然と言った様子で頷いている。そんな…誰にも言わずに出て行くつもりだったのに…

「でも、怒ると思うぞぉ…」

「む、梅か?怒るだろうなぁ…」

「まぁ、梅様もそうだけど…嶺はどうするんだよ。」

「嶺は論外だろう。アイツに伝えたら間違いなく付いて来ちゃうぞ…」

「「あぁ…」」

二人が声を揃えて納得する。


「それで若、何処に行くんです?」

霧丸の問いに、

「お前等は良いのか?残れば紅葉丸はお前達を重用してくれると思うぞ?」

「もう父ちゃんにも母ちゃんにも言って来ました。好きにして良いって。どうせ俺は与平さんにくっ付いて出掛けてばかりだったから。」

「そうか、取り敢えず与平に船を紹介して貰おうと思っている。それから俺はもう若じゃなくなったからな。」

「そうか、じゃあどうするんだ?なんて呼ぶ?」

「ふむ…仲間…いや、兄弟にするか。我等は三人で兄弟でどうだ?」

「そりゃ良いな。じゃあ兄貴か?」

「なんか山賊の親玉みたいだな…兄者にしよう。」

「よし、兄者だな。どうせなら名前が要るな。」

「確かにそうだな。どうせ元服する事になってたんだし。」

「うんうん、どうせなら縁起の良い名前が良いな。」

「お前が一番下だからな…」

霧丸がボソっとそう言う。

「えぇ!?なんでだよ!?」

「俺の方が先に近習になったんだ。俺が兄だ。」

唐突に始まる不毛な争い。

「えぇ!?若、じゃないや、兄者はどう思うんだよ?」

「それで良いんじゃないか?」

さっきまでの感傷はどこかへ吹き飛んでしまった…そう思いながら適当にそう答える。

「ほらな。」「えぇ!?」

勝ち誇る霧丸に悲鳴を上げる松吉。おかしいな…どうしてこうなったんだ。


 空には一つ、先ほどと変わらぬ雲が我等を見下ろしていた。

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