39・隠れた傷痕
民が年貢米を抱え門を潜って行く。門の脇に立ち、その様子を眺める。俺を興味深そうに眺めて行く者、恐る恐る目を合わさず通り抜ける者、反応は様々だ。そう今年は入谷の館で旧板屋領の年貢米の徴収に立ち会っている。蔵では行徳大叔父が孝政と実際の受け入れの手続きを行っている。ここで一度集めて各家に再分配される事になっているのだ。
兄の行賢大叔父と共に隠居するつもりだった行徳大叔父は最後に自分の領地が(一時的にではあるが。)出来たと殊の外喜んでいる。
因みに板屋領では去年までは年貢米では無く、段銭での徴収だったそうだ。所謂、貫高制と石高制と言う奴だ。前世の戦国時代では三英傑の時代以降に切り替わったと説明される事が多かったような気がするが、この世界の芳中国ではこれが混在している。
これは前世同様、輸入に頼る銭(硬貨)の不足とそれに由来する鐚銭の増加の問題も当然あるのだが、これに加え輸送の問題が絡んでいる。ようするに商人が来ない。来ても輸送出来る量に限りがある山間部では民が米を段銭に換金するのが困難な場合が多いのだ。
山之井でも来訪する商人は与平の田代屋だけだし、最近知ったのだが山之井に来る前に板屋で買い取った米を積んだ馬と人足はそこで引き返すのだそうだ。つまり、そこで買えなかった分だけしか与平には輸送出来ない訳で山之井では税を年貢米で一度引き受ける形に落ち着いているらしい。
事実、売り時を夏に変えるまでは、山之井では民は自分達の米を売るには春に与平が再度訪れるのを待たねばならなかった(その分若干高く売れていた訳だが)。因みに三田寺衆では喜田も同様に年貢米だと言っていたし、実野盆地でも割りと多い様だ。
中から年貢米を運び終えた三人の民が戻って来る。
「ご苦労だったな。」
そう声を掛ける。
「へ、へい…とんでもないです。」
年嵩の一人が小さくなってそう言う。まぁ、いきなり山之井の民の様に親しくはいかぬか。そもそも身分が違う上につい先頃戦ったばかりの相手なのだ。そうか、俺が斬り込んだ場に居た者も居るのかもしれん…それならば恐れられてもやむを得ぬか。
「板屋や入谷で困った事や気になる事はあるか?なんでも良いのだが。」
俺がそう聞くと三人は顔を見合わせてから、やはり年嵩の者が、
「い、いえ…今年は税も軽くして貰っておりますし…」
そうボソボソと言った。
「そうか、お主達にも冬場になったら山之井の炭焼きにも参加して貰うつもりだ。知っているかもしれんが、炭の売り上げは皆で分けられる。それが入ればお主達ももう少し楽になるだろうさ。」
「へ、へい、ありがとございます!」
今度は少し張りのある声でそう答えた。
「あ、あの!」
その様子を後ろで見ていた一番年下の男が意を決した様に声を上げる。
「お、おい、よせ!」
年嵩の者が慌てて止めようとする。
「いや、構わん。なんだ?是非聞かせてくれ。」
「あ、あの板屋の殿様の事で…」
板屋の殿様?他の二人は更に慌てている。
「あぁ、光潤殿の事か?」
「あ、あぁ、そう?そうです。」
ちらっと他の二人を見てからそう言う。まぁ、殿様は殿様、名前なんて覚えていないのかもしれない。上之郷でも父は城の殿様、大叔父は館の殿様だったからな。
「うん、光潤殿がどうかされたか?」
「そ、その…お城の食い物が苦しいみたいで…でも俺達が持って行っても山之井の殿様に言わずに勝手に貰う訳にはいかないって貰ってくれないんでさぁ。」
しまったな…板屋の城の手当ては完全に失念していた。
「おい、ちょっと付いて来い。」
そう三人に言うと蔵に向かって駆け出す。三人も慌てて後を付いて来る。
「大叔父、孝政、光潤殿の食い扶持を手当てしたか?」
蔵の前に居た二人に前置き無しに聞く。二人を顔を見合わせる。これはどちらもしていないな。
「孝政。少し持って行く。具体的にどれだけ必要かは後でするとして当面必要な分だけ持って行くぞ。」
「そうですな。某も失念しておりました。取り敢えず三俵もあれば当座は十分かと思いますのでお持ち下さい。」
「すまん。おい、運んできて貰ってなんだが、門まで一人一俵運んでくれるか。俺は馬を用意する。」
「あ、は、はい。」
三人に米俵を運んで貰う間に縄を用意し、馬に荷を積む用意をする。この間の戦で手に入れたこの馬は蒼風と名付けた。青鹿毛の毛色に因んだ安直な命名だ。あれ…この間の守谷城の時も…いや、分かり易くて良いはずだ。うん、きっとそうだ。
「あ、あの、持って来ました。」
「良し、馬に二つ積んでくれ。一つは俺が担ぐ。」
「え?ご自分で持って行かれるんですか!?」
「そうだが?」
目を丸くする男から米俵を受け取り、
「蒼風、行くぞ。」
そう蒼風に声を掛け、板屋城に向かう。
「なぁ、兄貴…馬って手綱で曳かなくても良いんだな…」
そんな呟きが風に乗って流れていった。
米俵を運ぶ俺に目を丸くする板屋の民と何人もすれ違いながら集落まで来る。板屋で入谷に運ぶ前の米を押さえれば良かったと気が付いたのは既に板屋の集落が目前になってからだった。光潤は年貢を運ぶ民の様子を見に城の下まで下りて来て居た。
「光潤殿。」
「これは若様!どうされました!?」
目を丸くして驚く光潤。元々痩せこけていたが、更にやつれている様な気がする。
「すまん、こちらの城の者が食うに難儀していると聞いたのだ。こちらの手落ちだ真に申し訳ない。」
「いやいや、決してその様な!」
慌てて首を振るが、
「その様にやつれては説得力が無い。城へ上がろう。」
「そ、某が持ちます故。」
俺の言葉にそう言うが、
「光潤殿に渡すと落としそうだからな。」
笑って俺が言うと少し恥ずかしそうにして言葉を引っ込めた。
城に着くと女達が飛び出してきて米俵を大急ぎで運んで行った。そこまで切羽詰って居たのだろうか。
「流石にこの坂を米を担いで登ると堪えるな。」
「面目無い。」
「いや、早速だがこの城に居る者を全員残らず集めて頂きたい。」
「は?は、場所はここでよろしいでしょうか?」
「あ、あぁ…広間にしましょうか。」
「畏まりました。皆を呼んで参ります。広間の場所はご存知でしたな。」
「はい、一人で参れます。」
すぐに城の者が集められた。男は以前にも見た光潤の側仕えの者が一人。女は十人程居た。
「…光潤殿、気のせいか女衆が増えておらぬか?」
「はぁ…それが入谷の館で御役御免となった者達の中に家に帰れぬ者が居りまして…」
それを見かねて受け入れた訳か。食い物が足りなくなる訳だ。
「守谷城の方で何人か台所の者が必要になる。何人かはそちらで引き受けられるだろう。」
「そうして頂けますと助かります。」
「しかし、残りはどうしたものか。光潤殿の身の回りと考えると男が一人に女が一人二人が良い所だろう。嫁ぎ先と言ってもな…そう言えばこの城もどうするか考えねば…」
「男が減りましたからなぁ…」
「真に…人は簡単に減るが増やすのは容易ではありません…」
「子は宝とは良く言ったものです。」
「集落にも寡婦になった者が多く居る。心情を考えるとすぐに次の夫を探せとはとても言えんが、子が増え育ってくれないと暮らし自体が成り立たなくなる。」
「左様ですな…愚かな事をしたものです…」
収穫を迎え平穏を取り戻した様に見えるが、戦の残した傷はまだまだ深い。そう痛感する。
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