二章其の肆 十二歳、秋

36・一段落して

 北に並ぶ前実野の山々とその奥に聳える奥実野の山々を眺める。夏が過ぎ、空の高さを感じ始めるが陽の下ではまだ暑さも感じるそんな季節になった。今俺が居るのは、北の谷の砦に建てられた物見櫓だ。砦本体からは西に少し離れた尾根の最西端に建てられた櫓から北を望んでいる。正面に見える山の鞍部が横手に通じる峠だろうか。だとすれば向こうからもここに防衛用の城が築かれているのが見えるかもしれない。見える事で抑止効果が生まれれば良いのだが。


 夏の間に山之井城の二の郭から兵舎と蔵、そして門と櫓と塀を移築したこの砦は、話し合いの結果守谷城と呼ばれる事になった。北の谷を守るから守谷、そして規模としてはそもそも山之井城や篠山城と大差ない広さを持つ事から砦と呼ぶには違和感があると言う事で守谷城となった。最初は狭邑城で良いのではと言う話だったのだが、狭邑の館と紛らわしくなると言う事で新しい名前が付いた。守谷と言う名は俺が案を出したのだが、それを聞いた父は「安直だが語呂も悪く無いしまぁ良いか。」等と抜かし、他の者もなんとなく微妙な顔をしながらも反対しなかった。誰も他の案を出さなかったくせに!!

 とは言え、二の郭の施設を移築しただけでは狭邑側の下の郭に門と櫓を建て塀で囲むのが精一杯だ。しかし、山之井城の守りをこれ以上薄くするのも問題と言う事と、なにより落合と板屋、入谷の人手不足が想像より深刻だった事を受け、工事はそこで中断となった。兵達も最低限を残し田の手伝いに出した(尤も、再侵攻に備え、それなりの数は残さざるを得なかったが)。お陰で、守谷城以外の城や館では門番は櫓に物見兼業で一人なんて状況になっている。しかし、その一人が重要である。いざと言う時の為に俺が緊急招集用通報システムを構築したのだ。

 その方法とはこうだ。まず侵攻を察知した守谷城で旗を揚げ、鐘を鳴らす。この鐘は当然(?)常聖寺から拝借して来た物だ。近い内に鋳物師の手配が付いたら専用の物を作るのでそれまで貸してくれと言って泣く泣くと言った表情だった和尚から心を鬼にして借りてきた。今度作る鐘はこれより立派な物にして和尚に贈るのも良いかもしれない。

 この鐘の音は寺の裏の物見小屋(守谷城の櫓の方が遠くまで見通せる事が分かったので物見小屋としての意義は低下したが。)と篠山城で察知され、受信の旗が揚がると共に物見小屋からは寺へ、寺からは山之井城と中之郷、上之郷へ、篠山城からは板屋、入谷へと報される。ここは今の所人力だ。寺と篠山城に兵が二人ずつ詰めて居り。報せを受けて走るのだ。因みに狭邑と下之郷は鐘が鳴ったら城を見れば旗が揚がっているので分かるだろと言う方式だ。寺と篠山城にも鐘が設置されれば人が走る必要はなくなるだろう。我ながら目新しい事は一つも無い方法である。説明しても皆あっさりと理解し受け入れてくれた程である。

 勿論、雨天には音も視界を遮られるので走るしかない。但し、雨天の場合は野良仕事も休みなので兵の数にも余裕が出来るから人員的には問題ないはずだ。速達性と言う点では大きく劣るが。夜は鐘と一緒に櫓の上で松明を掲げて対応する。夜には明かりは月明かり星明りしか無いこの時代。山で火が焚かれれば視線が通る場所からなら距離があっても見えるものだ(昔、潜水艦の潜望鏡から水平線上の船の上のタバコの光が見えると読んだ事がある)。そもそも夜間に鐘が連打されればそれだけで緊急事態だと伝わるだろう。とまあ、そんな誰でも思い付きそうな連絡手段を構築して兵達は田畑へ出て行ったのである。


 城の普請としては他に周辺の木を伐採、抜根する作業が残っている。現在は頂上付近の木だけが切られ、見通しの確保が行われている。しかし山城としては麓まで木を切らぬと防衛上問題が出るのだ。前世で、博物館等で山城の模型や想像図を見ると城の周囲は茶色の地面で表現されていたのだが、あれは木を表現する手間(ジオラマ模型に木を沢山植えるのは絶望的な手間が掛かるのだ…)を惜しんだ訳では無かったのだとこちらに来て理解した。木が生えていると言う事は登ってくる者に手掛かり、足掛かりを与え、尚且つ姿を隠す場所まで提供する事になるのだ。それ故、城の周りの木は綺麗に伐採したいのだが、ここで小規模国人の貧乏性が発動。人手も足りぬし、冬場にまとめて伐採して炭焼きと城の拡張工事の材料調達をまとめてやればお得、と言う意見が誰からとも無しに出て。俺も含めて全員がそれもそうだとあっさりと納得してしまった。今更だが冬場にこの周りで大量に炭焼きをしたらこの城は煙攻めの様な状況になりはしないかと心配になって来たがもう遅いだろうな…


 視線を転じて南側を眺める。眼前に広がる狭邑と下之郷の稲は頭を垂れながら黄金色に色付き始めた。収穫はもう目前だ。ここから見る限りでは例年と変わりない様子に見えるが、特に人手不足だった三ヶ村からはやはり出来が良くないとの声が上がっているらしい。

 そんな中、今朝から父は守護代様の田代のお城に出掛けて行った。収穫が近付き石野、川出間で行われていた睨み合いが漸く終わったからだ。と言うかまだやってたのかと言いたい所だが、双方が別働隊に小さくない被害を負い、引くに引けなかったのか例年に比べて随分睨み合いが長引いた様だ。そこで報告と論功行賞の為に主だった者が呼ばれたらしい。山之井の規模では普段は守護代様への報告へ呼ばれる事は無いのだが、今回は功大なりという事で呼ばれて行った。それが済むと今度は三田寺の城で寄り子への論功行賞が行われる。これには俺も参加するらしい。本気か?いや、呼び出して何やら言ってやろうと言う勢力があるのやもしれん。あの孝政が帰ってきて早々に典道叔父の傳役の何某が俺に不満を持っていると伝えてきた位だからな…さてさて、どうなる事やら。

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