32・戦の終わりに参

 結局、俺はその後三日間眠り続けた。この時代に来て十年近く経つが戦に出たのも人を殺したのも初めて。その上、一晩中山野を走り回ったのだ。心身共に限界を超えていたのだろう。目の前にはこんもりと丸い土の高まりがある。爺の墓だ。この時代には墓石という概念はまだ余り浸透していない様だ。個人で埋められているだけマシと言ったところなのだ。 遺体の腐敗も速い夏の事、俺が目を覚ました時には亡くなった者達の葬儀はすでに終わっていた。視線を上げると少しだけ高くなった空が目に入る。目を覚ましてから十日近く経つが俺は毎朝城を出て、狭邑で行和叔父の墓を参り、その後夕方まで爺の墓の前でボーっとする毎日を過ごしている。

「若鷹丸殿。」

後ろから声を掛けられる。

「御婆様…」

「皆が心配しておりますよ?」

「…分かっております。分かっておるのです…」

分かっているがどう仕様もない事もあるのだ…

「貴方がそんな様子ではあの人が成仏出来ないではありませんか。」

少し茶化して言う言葉に、

「化けて出てくれるならそれでも良いから会いたいものだと思うが…怒られるだろうなぁ…」

「怒るでしょうねぇ…」

俺も冗談めかして答える。

「仕方無い…怒られるのは嫌だからな。」

本当に仕方無い。俺は重い腰を上げ篠山城の裏手の墓地と呼ぶには殺風景な空き地を後にする。

「若鷹丸殿、そちらは山ですよ!?」

「面倒なので尾根を突っ切ります。」

そう言って俺は城に向かって歩き出す。俯きがちに視線を落として尾根を歩くと例年に無い程真っ黒に日焼けした自分の腕が目に入る。それはそうだ、十日も一日中日の下で座り込んで居たのだからそうもなるだろう。


 俺はあの後の事を振り返る。板屋の横っ腹を急襲した我等に拠って当主の宗貞と二人の弟は討ち取られた。やはり後ろで首を掲げていた二人が弟だったようだ。父親の宗潤と合わせた四人の首は今も入谷の館前に晒されている。さすがに幼い息子は晒される様な事にはならなかった。残った板屋城の光潤は板屋城で領民の慰撫に努めている。谷で散り散りになった領民を迎えに行った彼等だが、兵を中心にではあるが、かなりの人間が帰らなかったからだ。一応、彼に板屋を継がせ、すぐに領地を山之井に譲渡させるという方向で話が進みつつある様だ。尤も、これは守護代様にお墨付きを貰う必要があるので近日中に動きがあるだろう。

 もう一方の横手の方もどうも跡継ぎを失ったらしい。らしいと言うのは山之井に横手の人間の顔を知っている者等皆無だから捕らえた横手の者に首を見せたところ嫡男だと答えたからだ。こいつは俺達が後ろから襲い掛かった時、空けてあった右側を兵達と一緒にしれっと逃げようとしていたので俺が「己は逃がさんわ!!」と一突きしてやったのだった。なぜあからさまに大将の様な格好をしていながら見逃して貰えると思ったのだろうか…今の所、横手から首の返還要求は来ていないのでそのまま埋められてしまうかもしれない。また、宗貞の妻は早々に実家に送り帰された。実家は小高衆の寄り子の一つであるそうだ。

 山之井の被害も大きなものだった。二人の大将を失ったのに加え、最初に殿を受け持った落合の手勢の被害は甚大だった。城の兵で戻った者は無く、領民兵も半分以上が帰らぬ者となってしまった。今後、領内を治めるに当たっては隣り合う落合と板屋、入谷の関係をどう改善するかが大きな問題となりそうである。残りの山之井、狭邑の手勢も少なくない人数を失っており、合計で死者が十三人にも上っており、こちらもこの時代では壊滅と言って差し支えない人数を失った。更に重症者を含めると二十人以上になる訳でこの状態で壊走せずに撤退してみせた父の手腕は見事と言う他ないだろう。

 しかし、中には嬉しい出来事もあった。霧丸の兄を含め、行方の分からなかった数人が二日後にひょっこりと戻って来たのだ。彼等は弓を持っていた為に後方に配置されて居たのだが、序盤の混乱で矢を撃ち尽くした後は戦う術が無くなり、更に横合いから敵に分断されそうになった為に止む無く背後の山に逃げ込んだらしい。そのまま二日掛けて上之郷まで山中を踏破して帰って来たのだ。また、嬉しいと言うと語弊がありそうだが、横手は脇目も振らずに敗走してくれた為に谷の上流には双方の残した物資が丸々残っていたようで、父は自分の馬を無傷で取り返し、失った物は峠を越えて持ち込んだ少量の兵糧と矢などの消耗品のみで済んだ。ただ、人的被害が甚大過ぎて全く慰めにはならないが…


 草に覆われた坂道を下って城の裏に下りて来る。この道は整備させよう。整備したら毎朝、両方の城の兵に往復走らせるのだ。そうすれば草も成長しづらくなり道の維持も兵の強化にも繋がるな。

「あれ?若様!?」

搦手の門番をしている兵が驚いた声を出す。

「あぁ、今戻った。」

「随分お早いですが、なぜ、裏から?」

「何、面倒だから尾根を突っ切って来ただけさ。」

そう言うと門を潜る。厨の裏口から館に入り、廊下を通り玄関に差し掛かる。そこには梅が背中を丸めて寂しそうに大手門の方を眺めている。

「梅?そんな所でどうした?」

「ぴあっ!?」

尻が浮き上る程驚いた梅が目を真ん丸にしてこちらを見る。

「あにうえ!?なんでそっちからくるの!?」

「裏から戻って来たのだ。梅はどうしたのだ?」

「おそとでまってるとあついから、なかにいなさいって…あにうえげんきになった?」

なんと俺を案じてこんな時間から待っていてくれたのか…

「毎日、こんな時間から待っていてくれたのか?」

「う、うん、そうだよ?」

我ながら情けなくなる…

「それはすまない事をした。兄は大分元気になった。梅が心配してくれたお陰だな。」

そう言って頭を撫でる。

「ほんと!?」

パっと顔を輝かせて梅が聞く。

「うん、本当だとも。久しぶりに源爺の所に行って旨い物を食うか。」

「うん!!」

「では、用意して参るから、梅も母上に伝えておいで。」

「は~い!!」

そう元気良く答えると梅は廊下を走って行った。俺も部屋に戻り久しぶりに籠を腰に巻く。さて、畑に行くか。


 玄関に戻ると紅葉丸も待っていた。どうやら梅に引っ張って来られたらしい。

「兄上…もう宜しいのですか?」

俺を案じてくれる紅葉丸に、

「毎日、梅をあんな顔で待たせる訳にはいかんからな。お前も来るのか?」

「そうですね。ご一緒しましょう。」

二人で梅と両手を繋いで大手門から出る。門番達も安堵の様子が見られる。

「皆、心配掛けてすまなかったな。」

「いえ、行ってらっしゃいませ!」

増蔵が代表してそう言ってくれる。

畦道沿いの稲はすっかり穂を実らせ、頭を垂れ始めている。照りつける日差しを受けて光る穂先の動きで風の流れが良く見える。ご機嫌な梅と共に最後の階段を上がれば蕎麦の実が実った我等の畑だ。

 と、思ったんだが…

「おぉ、若、ちっとも来ないから蕎麦は俺達が全部刈っちゃったぞ。」

蕎麦の畑は全て収穫され、収穫された蕎麦は茎毎干されていた。

「あ、あぁ…そうか、すまん…」

あぁ、初めての収穫が…終わっているじゃないか…

「畝の有る所と無い所の蕎麦は分けてくれてるか?」

「あぁ、比べるんだろ?ちゃんと分けてあるって。」

「そうか、助かる。」

「あ、若様。もう良いんですか?」

小屋から出てきた霧丸が明るい声を上げて駆け寄ってくる。

「あぁ、心配掛けたな。もう大丈夫だ。」

「おや、若様。いらっしゃいましたか。」

後に続いて源爺が出てくる。

「あ、げんじぃ~!!ごはんごはん♪」

源爺に向かって駆け寄りながら梅が頼む。

「梅、今日は我等三人で作ろう。紅葉丸も手伝ってくれ。」

「は~い♪」

三人で大豆の畑に行く。

「梅、美味しそうなやつを選んで引っこ抜くんだ。」

まだ青い豆の付いた株を真剣な表情で吟味する梅。

「これにする!」

そう言って茎を引っ張り始めた。

「ん~!抜けな、いっ!!」

「そら梅、がんばれ。」

紅葉丸が横から少しだけ力を貸してやると徐々に根が抜け始めた。

 三人で枝から外した豆の鞘を軽く茹で、鞘から豆を取り出したら飯を炊く準備をした釜に豆と塩を加えて火に掛ける。


「おいしいねぇ♪」

「ほら梅、零れてるぞ。」

「塩で茹でただけのも旨いけど飯と一緒だとこれはこれで良いな。」

「俺はこっちの方が好きだ。」

輝きを失った今年の夏が少しだけ輝きを取り戻した気がする一日だった。

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