30・戦の終わりに壱

 板屋城の裏まで下って来た。まだ発見された様子はない。

「二列で少し間隔を空けろ。滑ったら崖下だぞ気を付けろ。」

崖の上をソロソロと進む。板屋の城はすぐ下だ。

「…」

松明を持っているのですぐに騒ぎになると思ったのだが…これは一体どう言う事だ?

「孝泰叔父上、これはどう思う?」

「どう思うって…人の気配が無いではないか…灯りも無いし門番すら居らんのは一体何なんだ?」

何なんだって、こっちが聞きたいよ…

「入れ違いで入谷に向かったという事は?」

「無い…と、思うがなぁ…普通出陣となれば城内には多かれ少なかれその痕跡が残るだろう?」

「そうだな、火が焚かれたり、物が出ていたりするな。」

「そうだろ?だが、どう見てもそう言った様子が何も無い。正直俺は無人だと言われても驚かんな。」

そうだよなぁ…

「定吉、勝吉、お主等は人の気配を感じるか?」

こう言う時は狩人にと言うのは安直か?二人が顔を見合わせた後、定吉が、

「さて…我等にも感じられませんが…ただ、松明のせいで細かな音が聞こえませんのでそこがなんとも…」

そうか、小さな音も聞こえないから尚更なのか…

「どうするべきだ?入谷に向かうか?」

「この人数だ、後ろを突かれるとどう仕様も無いぞ。我等はまともな防具も着けておらん…やはり、火矢を射掛けて見てはどうだ?」

「そうだな、そうするか。半分の者は、火矢の用意をせよ。残りは松明を二つ持て。」

半分の者が矢籠から油を染み込ませた布を鏃に巻いた矢を引き抜く。俺は孝泰叔父の松明を受け取る。そこへ、

’ぅ゛ぉー’

左手から喚声らしき音が響いて来る。始まった様だ。

「随分と張り切っているな。」

「夜とは言えここまで響いて来るとは。」

皆も少し驚いた様子だ。まぁ、入谷と板屋の距離は歩いて半刻程度しかない。聞こえてもおかしくはないのかもしれない。そう言えば風向きは南だ。夜中、風向きに拠っては遠くの踏み切りや電車の走る音が聞こえたな。そんな事を考えて一瞬感傷的になる。と、その時、

「若様!あれを!」

勝吉が小さいが強い口調で言ってくる。彼が指差す先を見ると城の裏手の厨と思われる場所の戸が開き、女が一人声の聞こえる方を不安そうに見ている。

「定吉、女の前に撃ち込め。決して当てるなよ。」

「はっ!」

定吉が弦を引き絞って矢を放つ。狙いを違わず、女から少し離れた地面に矢が突き刺さる。女はビクっとした後、周りを見回しこちらに気付いて尻餅をつく。

「そこの女!城の兵はどうした!?」

思ったより大きな声が出なかった。これまで声を潜めて来たので、急に大きな声を出すのは難しいな。

「答えねば城を燃やすぞ!!」

口をパクパクさせているが声が出ない様だ。

「兵は居るのか!?」

再びの問いに首を振る。

「さっき出て行ったのか!?」

これにも首を振る。どういう事だ?本当に兵がいないのか?

「城主は居るか!?」

続いての問いには首を縦に振る。

「すぐに呼んで来い!!急がねば焼くぞ!!」

俺の脅しに這ったまま厨に駆け込む女。

「どう言う事だ?」

「全く分からん…」

叔父も困惑顔だ。


 すぐに戸口から老年の男性が飛び出して来る。話を聞いて夜着のまま慌てててやって来た様だ。

「な、なんじゃお主等は!?」

明らかに狼狽えた様子で聞いて来る。

「俺は山之井若鷹丸。板屋宗光か!?」

「そ、そうじゃ!お主が山之井の神童か!?なぜこの様な事をする!?」

様子がおかしいな…

「孝泰叔父、あれは本当に分かっておらん様に思えるが…」

「うん、俺にもそう見える…」

うーん…

「板屋は裏切った!横手で三田寺の手勢に襲い掛かったのだ。知らぬのか!?」

それを聞いた宗光は呆然とした様子で立ち竦む。

「ま、真か?」

声が引っくり返って擦れている。

「冗談でこの様な事をするものか!?城の兵達はどうした!?」

「お、甥達が皆連れて行った…三田寺の若殿の大事な戦じゃと…」

ヘナヘナと座り込みながらそう答える。本当にもぬけの殻だったとは…

「城内を検める!門を開け!!城内には何人居る?」

「わ、分かった。裏を開ける!お、おい皆を呼んで来い。」

戸口の中に声を掛ける。すぐに数人の女と男が一人、恐々と出てくる。

「昌泰叔父上、二人ばかり連れて中を検めてくれ。あの様子だ、嘘は無いと思うが一応気を付けてくれ。」

「分かった。」

昌泰叔父が上之郷の兵を二人連れて崖の脇を慎重に降りて行く。

「城内に居るのは何人だ!?」

門の閂を他の者と共に持ち上げている宗光に聞く。

「こ、これで全員じゃ!」

本当に奥向きの者しか残って居なかったのか…まぁ山之井も同じか…いや、厨の者すら外に出ている山之井よりはマシか…


 暫くすると戸口から昌泰叔父が出てくる。

「若、誰も居ない!」

「分かった、そちらに行く。」

皆で急斜面を降り、板屋城の搦手門へ行く。目の前には痩身で禿頭の俺と同じ位の背丈の男が蒼い顔をして立っている。

「板屋宗光殿か?」

「今は出家して光潤と名乗って居る。それで、真の事なのか?間違い無いのか?」

必死の形相でそう聞いてくる。何かの間違いであって欲しい。そんな様子だ。

「あぁ、板屋は横手と三田寺勢を追撃して来た。」

「山之井と一緒に逃げて来たのではないのか!?」

「俺が迎え撃った時、板屋は横手の後からやって来た…」

「そ、そうか…」

「落合の当主と狭邑の次男の首を掲げてな…」

「ぐぅ…」

流石に受け入れざるを得ないと理解したのか、光潤は顔を顰めて下を向いた。

「真に何も知らぬのだな?」

「知らぬ…儂は昔から兄には相手にされて居らぬ…この城を維持するだけが儂の仕事よ。」

自嘲気味にそう答える。

「お主、子は居るのか?」

「いや、嫁も貰えなんだからな…」

「そうか。」

まぁ、小規模国人の次男以下等そんなものだろう。

「それがどうか…まさか!?」

言葉の途中でハッとした様に顔を上げる、

「そうだ、板屋と言う家は今日を以て無くなる。まぁ、入谷に行った連中が負けていなければだがな。」

「お、甥には産まれたばかりの!」

「知っているさ!!だが、殺さねばならん!やらせるのはお前等だ!!」

言葉も無く崩れ落ちる光潤の顔を尾根の稜線を越えた朝日が明るく照らし始める。

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