27・板屋庄の戦い壱

===太助===

 若様から命じられて城を出る。落合の城に至急の使いに行くのだ。はっきり言って若様への蟠りわだかまりは消える事は無い。だが、今は山之井全体の危機だ。そんな事を言っている場合で無い事位は俺でも分かる。城を出て、坂を下ると橋を渡らずに川の手前を右に曲がる。夕方とは言え、まだ明るさの有るこの時間なら川沿いの畦を走った方が絶対に早いはずだ。暫く走ると狭邑川が左から合流して来るのが見える。そのまま斜面に沿う様に進路を西に変えればすぐに篠山城の下に出る。左の方には領内の子供達が夏に心待ちにする水練場がある。俺は若様が始めた水練場だからって行った事はないけど、上之郷の子供達も皆楽しそうに通っていたな…そんな余計な事を考えていたらもう城の下に出た。そのまま大手門に続く坂道を駆け上がる。

「城から、若様の使いで、来ました…。永由様は、いらっしゃい、ますか?至急の報せです。」

息が切れた声で門番に伝える。それを聞いて門番の一人が中へ走って行く。

「このまま玄関まで行って待っててくれ。」

俺はこのまま門で待たされるかと思ったけどそのまま中に通された。すぐに永由様がやって来る。

「太助ではないか!?なぜお主が若様の使いなのだ?」

俺が若様に蟠りを持っている事は知れ渡っている様だ。まぁ、仕方の無い事か。

「横手から忠泰様がお戻りになって、板屋の裏切りで味方が敗走していると…お父上が殿を務められて退いているそうです。」

永由様の顔がサっと蒼くなる。

「それで…若様はなんと?」

握り締めた拳が小刻みに震えている…

「板屋の方からも攻め寄せて来るやもしれぬから守りを固めよと。それと忠泰様が上之郷の衆を纏めてこちらに来られます。協力せよと。」

「分かった。良く報せてくれた。」

緊張した面持ちでそう答えられる。

「それから、某に南の尾根から入谷の館の様子を探れと。場所は永由様がご存知だと言われました。」

「それは危険だぞ!」

思わずと言った様子で大きな声を出される。やはり、それ程危険なのか…

「若様もそう言われて、それでも頼むと…」

「…そうか、付いて参れ。」

仕方無いと言った感じで永由様が立ち上がる。

 二人で櫓に登る。右前に見える尾根の下に問題の入谷の館が小さく見える。飯炊きの煙が一本登っている。

「あそこの斜面が急にキツくなる所の上だ。あそこからなら館が丸見えになる。だが気を付けろ。こちらから見えると言う事は、向こうからも見えると言う事だぞ。」

永由様が心配そうにそう言ってくれる。確かにあそこからなら入谷の館を覗き込めそうだ。

「大丈夫です。茂みの中に伏せて覗く様にします。それと、船を貸して欲しいんです。」

「分かった、民が川を渡る船があるから使うと良い。一人付けてやるから渡して貰え。」

「いえ、船は一人で出来ます。炭を運ぶの手伝ってますから。それに兵は一人でも多く残した方が良いですから。」

「そうか、すまんな…頼むぞ。」

「はい。」

「もし、危なくなったら御役目よりも自分の命を優先するんだぞ?」

「若様にもそう言われております。」

「そうか、なら良い。暗い中で水に落ちると危ない、努々気を付けろ。」

そう言って優しげに微笑まれた。


 城の前の坂を駆け下りて船着場を目指す。炭を運ぶのを手伝っているのは本当だけど、船を漕いだ事は無い。でも竿で川底を突くだけだからきっと俺にも出来るはずだ。

 う、腕が…パンパンだ…思ったよりも遥かに難しかった…流れを横切るからか船が思った方向に進まなかった…そんな事を思いながら田んぼの間を駆け抜ける。斜面まではそう遠くない。すぐに斜面の下に辿り着くと登れそうな場所を探す。一年で草が一番伸びる時期だからどこも歩き辛そうだ。なんとか登れそうな場所を見付けて茂みに入る。


 なんとか尾根まで辿り着いた…擦れた草の葉で手足はあちこち切れているし、何より蚊が酷い…虫除けをする時間が無かったから仕方無いけど体中痒いのだ…でもここに来るまで誰にも会うことは無かった。

 言われた辺りの茂みに身を伏せて入谷の館を覗き込む。ここまで折角上手く来られたのに、ここで見咎められては台無しだ。細心の注意を払って覗く。…え?

======


 弓を回収し、谷を下る。ついでに無傷だった宗貞のなんとかいう馬も連れて来た。まずは稲荷社で兵達に飯を食わせて、矢玉を補給したい。板屋からの攻撃が始まっていなければ良いのだが…すぐに先に出た怪我人の運搬部隊を追い越す。丸い月は既に谷の真上に近付いている。兵達も口には出さないが疲れているのが動きから見て取れる。黙々と走り、稲荷社に着く。境内にはそこかしこに篝火が焚かれ、竈が組まれている。竈の上では鍋や釜が湯気を上げている。先に走らせていた松吉達、同年代の少年達は握り飯に有り付いている。ご丁寧に味噌汁の椀まで用意されている。あれは冬に引っ張り出して捨てようって言ってたおんぼろの椀じゃないか。米め、こんなところで有効利用しおったな。

「あ、若。これは母ちゃん達がまた走るんだから先に食えって…」

どうやら一番に飯に有り付いた事を見咎められると思った様だ。女衆は炊けた釜から飯を握って積み上げていっている。

「良い、母御の判断が正しい。お前達も飯を食ってくれ。俺が状況を把握するまでは休め。」

そう、松吉に言い、兵達を休ませる。

「松吉はこっちに戻ってくれ。皆は飯を食ったら握り飯を出来た分から上に運んでくれ。それと松明と篝火用の薪も頼む。但し、絶対に一人では行くなよ。最低でも二人で行動するんだ、頼むぞ。」

「分かった。」「はい。」

飯の詰まった口で口々に皆が答える。


 状況を確認する為に宮司を探す。松吉が握り飯と汁椀を持ちながら付いて来る。

「霧丸、兵達と休め。すぐに手が必要になるはずだ。」

「はい…」

山之井に戻って来て気が緩んだのかドッと疲れが出た様子だ。兄の事もある…

松吉の案内で宮司の下へ行く。

「宮司殿!」

「若様、ご無事でしたか!!」

「若様、お見事なお働きだったとお聞きしましたぞ。」

和尚もやって来ていた。

「宮司殿、損害は大きいがなんとか食い止めた。西はどうなっているか把握しておるか?」

「子供達を川俣の手前まで物見に行かせていますが今のところ何も。」

「そうか…宗貞を待っているのか?いや、そもそも西は立て篭もる気だったのか?」

そう悩む俺に、

「若、俺が一っ走り落合に行って来る。敵が見えたらすぐに引き返す。それで良いだろ?」

「しかし、お前だって疲れているだろう。」

「飯を食ったからな。今にも倒れそうな顔をしている若や霧丸よりマシさ。それにチビ達や母ちゃん

達に行って貰う訳にはいかないだろ?」

「まぁなぁ…」

「若様、ここは和尚様に任せて私が行って参りましょう。」

松吉を気遣ってか宮司がそう申し出てくれる。

「いや、和尚と宮司殿はここに居て欲しい。もうすぐ怪我人が谷を下りて来る。その手当てに回って欲しいのだ。やはり松吉頼んで良いか?」

「あぁ、じゃあちょっと行って来る。」

そう言うと松吉は空になった椀を俺に渡す。

「おい、自分で片せ。」

俺がそう言うと、

「若もそれ持ってって飯食いな。倒れちまうぜ。」

そう笑いながら走って行った。

「松吉の言う通りですな。若様もまずはお休み下さい。」

そう言う宮司の横で和尚も深く頷いている。俺も傍から見れば相当に酷い有様なのだろう。有難く言葉に従い休みを取る事にする。近くの竈に行き飯を貰う。

「若様、なんて顔です!早くお食べ下さい。」

米にそう言われて大きな竹皮に包まれた握り飯を渡される。その見た目に反さぬどっしりとした手応えに、

「これは上の連中に運ぶやつだろう?それにこんなに食えんぞ。」

思わずそう言う。

「今の貴方様はこれ位食べないといけません!あ、梅干も出して頂戴。」

隙間から梅干を幾つか押し込まれた竹皮を右手に、汁を溢れんばかりに注がれた椀を左手に近くの木の根元に座る。味噌汁を一口啜る。味噌の味が口一杯に広がる。旨いなぁ…熱い汁が胃に入ると安心感も体中に広がっていく様だ。竹皮を開いて握り飯も一口頬張る。気が付くと涙を流しながら貪り食っていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る