25・北の谷の戦い弐

「皆聞け、正面は狭邑衆に任せる。大叔父、引いて来た父上と協力して敵を食い止めよ!槍だけ持った者は狭邑衆と共にここを守れ、味方の間から敵を突け!」

「心得た!」

行賢の大叔父が答える。

「狭邑に弓持ちはいるか?居たらこっちに回してくれ。」

そこに進み出たのは、

「正助!?お主隠居したのではないのか!?」

五十を大きく越え、山で獲物を追うのが流石に厳しくなったと近頃弟子に後を継がせて隠居した猟師の正助だった。後ろには弟子を二人連れている。

「へへへ、若様がこの谷に行くってんです。儂がお供せんと始まらんでしょうと思いましてな。」

六年前、この谷を始めて調査した時の事だ。

「全く、年寄りの冷や水だぞ。だが心強い、三人で誠右衛門の下に付いてくれ。投石隊の内若い連中は誠右衛門と共に行け。残りは左右に登って、茂みの中から石を投げろ、斜面を登ろうとする敵を優先で倒せ。」

「「応っ!!」」

「誠右衛門は、左から隠し道を行け。俺は右から行く。松吉と霧丸は誠右衛門の方だ。道を案内しろ。」

「わ、わかった!」「わかりました!」

「敵を引き込んだら、俺の「放て」の掛け声でありったけ撃ち込め。そちらは隘路の手前柵の方だ、こちらは奥、柵と反対に向かって撃つ。お互いに自分から見て右側の敵に撃つんだ。間違っても対岸の味方の方に撃つなよ。」

「分かりました。」

「それから「掛かれ」の掛け声がしたら全力でここまで戻れ。戻ったら石を拾いなおして他の投石隊に合流してくれ。」

「「放て」で右側に撃ち、「掛かれ」で引き上げですな。分かりました。」

ちょっと不安になる位、要点だけを抑えた返答だ。

「二人とも、待ち伏せする広場は手前の方だ間違えるなよ。」

「分かりました。」「分かった。」

そう言うと二手に分かれて我々は左右の微高地に登る。登り易い様に坂道も梅雨の雨間に整備してある。そこからは張られた綱を伝って兵を伏せる為に切り開いた空き地へ進む。川側からは見えない様に間に茂みを残してある。これが二つ目の対策だ。正直もっと早くにやっておくべきだった事だ。俺もどこか他人事と言うか、もう来ないかもしれないという油断が有ったのかもしれない。

 兵達が空き地に伏せて弓に矢を番える。聞こえる物音から、すでに沢山の人間が近くまで来ている事が分かる。

「矢を撃ち終わったら、弓と矢籠しこは置いていけ。」

俺も槍を置き、矢籠を外して膝射の姿勢を取る。

「若様。」

増蔵が声を掛けて来る。

「ん?増蔵か、どうした?」

「撃ち終わったら俺が先陣を切って道を拓きます。若様はその後から続いて下さい。危ないですから俺の横には出ないで下さいよ。」

「しかし!」

「若様、そうなさいませ。」

「そうそう、それが山之井流ってね。」

他の兵が気安い感じでそう勧めて来る。

「わ、分かった…」

不承々々そう答えたその時。

「ホー」

川の向こうから梟の鳴き真似が聞こえる。用意良しの合図だ。

「ホー」

こちらからも合図を返す。本当にギリギリのタイミングだった様だ。


 すぐに目の前をバシャバシャと川の水を掻き分けながら山之井勢が逃げて行く。康兵衛がいる。無事だったか。他にも見知った顔が幾つも通り過ぎて行く。最後に兵達と父が来た。全部で二十人を下回る位の人数しか居ない。行和叔父の姿も見えない…

 続いて敵が後を追う様にやって来る。こちらは松明を灯している。先頭の旗印は板屋の物では無い。という事は横手か。厄介だな、板屋の横っ腹を突き板屋宗貞の首を取ってしまい、横手にはそのまま引き上げて欲しかったんだが、これでは板屋の横っ腹を突くと横手を閉じ込める形になってしまう。目の前を横手勢が通過して行く。馬に乗っている若い男が大将だろう。

 その後ろから板屋勢も続いて来た。先頭が出口の柵に到達したのか戦う音がし始める。そこへ最後の方から悠々と宗貞が馬に乗ってやって来た。正月に三田寺に集まった時に皆に見せびらかしていたなんとか言うやたらと高い馬だ。その後ろに続く二人が掲げる槍先に何か掲げられて…

「放てぇ!!」

それが何か理解した瞬間。沸騰した頭でそう叫んだ。


===霧丸===

 この間、若様と一緒に切り拓いた空き地に父上や松吉達と伏せる。

「ホー」

松吉が梟の鳴き真似をする。準備良しの合図だ。

「ホー」

すぐに向こう岸からも合図が返って来る。

 本当は若様の方に付いて行きたかったけど、俺達は具足はおろか、槍も刀もまだ持っていない。若様は多分敵に斬り込むつもりだろうから俺達が行っても足手まといだ。松吉もそれが分かっているからだろう、何も言わなかった。

 すぐに目の前を味方が逃げて行く。松吉の父ちゃんも居る。横から松吉がホッとする様子が伝わって来る。でも兄ちゃんが来ない。すぐに殿様も来た。それから少し遅れて敵がやって来る。兄ちゃんが来ない!

「良いか、霧丸と松吉は馬を狙え。初めてで人を狙うのは難しい。まずは的の大きい馬を狙うんだ。良いな。」

父上が小声で俺達にそう言う。父上だって兄ちゃんが

居ないの分かってるだろうに…

「放てぇ!!」

その時、向こう岸から若様の掛け声が聞こえた。

「放てぇ!!」

父上も負けずに叫び、矢を撃ち始める。正助爺さん達もそれに続いた。周りも石をどんどん投げている。慌てて俺も撃つ。えっと…何を狙うんだっけ?弓を引いた状態で視線を彷徨わせる。そうだ、馬だ!松明の灯りで影になって見える馬の姿に向かって矢を放つ。暗くて当たったかどうかなんて全然分からない。分からないけれど次を撃たないと!

「掛かれぇ!!」

若様の声がした気がする。

「おい、霧丸、松吉!引き上げるぞ!」

父上がそう怒鳴って来る。

え?でも、まだ矢が残ってるのに!

「早くしろ!!」

石を投げていた他の連中も正助さんに急かされて引き上げて行く。こっちに配置されたのは俺達位の若い連中が多いからか、まごついている。多分逃げ足の速さで選んだんだ。俺がまごついてどうする。

「皆、来た時と一緒だ柵の所でまた石を拾うんだ!」

俺がそう叫ぶと隠し道に近い方の連中が駆け出した。そうすると不思議なもので他の連中も後を追って行った。

「霧丸、俺達も行こう。」

松吉がそう言うと走り出す。松吉の背中の矢籠にもまだ矢が数本残っていた。良かった、慌てて矢を残してしまったのは俺だけじゃなかった。そう思うと少し気が楽になり、急いで松吉の後を追って駆け出した。

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「掛かれぇ!!」

ありったけの矢を敵に叩き込んでそう叫ぶ。地面に置いていた槍を掴んで飛び出そうとした時には、増蔵が既に斜面を滑り降りて敵の隊列に斬り込んで居た。俺も必死で斜面を滑り降りる。

 滑り降りて立ち上がると目の前で手にした棒を左から右に振るう増蔵が居た。その一振りで敵の雑兵が三人吹き飛ぶ。一歩踏み出し逆から棒を振り戻してもう二人吹き飛ばした。なるほど、これが山之井流か。横に並ぶなと言われる訳だ。あの棒は戦の度に槍の柄を圧し折って来る増蔵に業を煮やした源爺が拵た物で、樫の棒に籐を巻き付け漆で固め、最後に鉄のたがを嵌めた物だ。


 立ち所に拓いた道に槍を構えて飛び込む。奇襲を受けた隊列は、隘路で長く伸び切っていた事もあり大混乱に陥っていた。目の前で棒立ちになっている雑兵を叩き伏せる。

「逃げる者は追うな!大将首以外は要らん!!」

目指すのは板屋宗貞ただ一人だ。

 突撃に怖じけたのか、俺の声を理解したのか、宗貞の前に居る雑兵が背を向けて逃げ出す。誠右衛門達が陣取って居た方へ斜面を必死によじ登って行く者も居るが多くの者は来た道を戻ろうとする。だが、後方の矢の届いていない隊列の人間は状況が理解出来ず進もうとしているのだろう。進もうとする者と戻ろうとする者で宗貞の周りは人が密集してしまった。この状況では馬は進路を変えられまい。進むのに邪魔になった雑兵を後ろから叩き伏せる、倒れたそいつの上を踏み付けて尚も進む。


「宗貞ぁ゛!!」

俺の絶叫に宗貞の顔が恐怖に歪む。左の盾と草摺、そして右の太腿の内側に一本矢が刺さっている。俺の視線よりやや高い位置にある左の袖と脇板の隙間目掛けて槍を突き出す。爺と一緒に何千回とやった訓練で体に染み付いた動き…

 そう思った時には槍の穂先は宗貞に届いていた。最初に硬い物にぶつかり、それが砕ける手応えがあり、それから弾力のある物の中に穂先がめり込んで行く感触が伝わって来る。


’あぁ…殺した…’


 手から伝わる感触に、本能的にそう感じた。宗貞は言葉も無くこちらを見つめている。その口元からは真っ赤な血が溢れ出し、目から光が消えて行く。体からも力が抜けて行くのを感じ、慌てて槍を引き抜く。抜こうとするが上手く抜けない。あれ程、爺に突く時は力を入れすぎると抜けなくなると注意されたのに…急激に襲って来る悲しみを抑え込みながらなんとか槍を引き抜いた。宗貞の体は引き抜いた勢いで俺の上に崩れ落ちて来る。それを躱して落ちた体を左手で掴み、右手に持った槍を掲げて叫ぶ。

「板屋宗貞、討ち取ったり!!」

一瞬の静寂の後、

「敵将を討ち取ったぞ!!」

「板屋の負けだ!!」

兵達が俺の言葉を補強するかの如く大声で触れ回る。きっと戦を無闇に長引かせない為の知恵なのだろう。周りの板屋勢は一斉に逃げ出す。宗貞の後ろで槍の穂先に二人の首を掲げて居た二人も一瞬硬直していたが慌てて逃げ出そうとする。

「その二人は逃がすなぁ!!」

俺の声を受けて俺の右側に居た兵が数人で後を追い、すぐに叩き伏せる。俺の言いたい事が分かったのだろう。すぐに二人の首を槍から降ろしてくれる。


 だが、これで安心しては居られない。先に行った横手勢が残っているのだ。爺には相手を包囲する時には完全に閉じ込めるなと教わった。逃げ場が無くなると包囲された側は本当の意味で死物狂いになるからだと。このまま後ろを完全に塞ぐと正にその状況になるだろう。しかも我等は数が少ない。

「左に固まれ!右から逃げる者は構うな!ただし、逃げると見せて右から襲って来る奴もいるかもしれんから後ろに続く者は右に用心せよ!」

そう言うと、先に行った横手勢の後ろを突く。先に行ったと行っても元から連続した隊列であったところに先頭は柵で食い止められているのである。実際には最後尾はすぐ目の前で、そこには散々石に打たれた敵の雑兵が幾人も蹲っている。中には我々に気が付いて逃げ道を探している者も居る。

「逃げる者は構うな!」

そう声を張り上げて再び駆け出す。

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