24・北の谷の戦い壱
どんどんと暗くなって行く谷を手勢を率いて小走りに上る。今日の月齢はどうだっただろうか…
「誰か今日の月はどうだったか分かるものは居るか?」
「後二日で満月です。」
すかさず後ろから答えが返ってくる。兵ではなくその後ろの武装した領民が答えた様だ。流石に農民はこの辺りは強いな。ほぼ満月という事は月の出は過ぎているな。まだ山陰で見えないだけか。月明かりも確認出来ないのは空はまだ薄暮の明るさを残しているからだろう。
そこへ霧丸が駆け戻って来た。
「どうした?」
「一人走って来る者が居ます。」
「どんな様子だ、慌てていたか?それとも落ち着いていたか?」
「転びそうになりながら必死な感じでした。」
「敗走して来た兵だろう。そいつから状況を聞こう。」
そう言って再び進み始めるとすぐに松吉がその者を連れて駆けて来た。
「若、三田寺の兵だ。俺の隠れている目の前で転んだから声を掛けて連れて来た。」
「松吉、良くやった。悪いが霧丸と二人でもう一度前に出てくれ。」
「よしきた。」
二人は男を残し再び走って行った。残された息も絶え絶えなその男は、三十前後で粗末な腹当を身に着けた男だった。召集された農民だろう。
「おい、俺は山之井の嫡男だ。お前の名前は?」
「い、伊兵…」
「三田寺の領民か?」
男は声を出さずに頷く。
「板屋が裏切って三田寺勢に攻めかかったのは知っている。どの時点で逃げた?」
「お、俺は…峠を越えた所で…下りの斜面で転がり落ちて…」
なるほど、こちら側の斜面は道がないからあそこで戦えば転がり落ちる事もあるだろう。
「それまで大将格は皆健在だったのか?」
「た、多分…討ち取られたって話は聞かなかった。」
「他にも逃げた奴は大勢居ただろう?お前が一番に逃げて来たが他の奴らはどうした?」
「と、途中で追い抜いた…」
単に足の速いだけか?
「大きな怪我はないのか?」
「…え?」
「お主には怪我はないのかと聞いている。」
「な、ない…です。」
「良し、伊兵、俺達はこの先の隘路で敵を向かえ討つ。お主はどうする?」
「え、えっと…」
「一緒に来て仲間の仇を討ちたいのか、もう逃げたいのか。」
「に、逃げたい!」
うん、これは無理に連れて行っても駄目だ。
「行きに合流した稲荷社は覚えているか?」
男はぶんぶんと頷く。
「そこで炊き出しをしている。そこまで行って休め。」
「は、はい。」
そう言うと男はまた走りだした。
その後、同様の男二人とすれ違った頃、霧丸が再び戻って来た。
「若様、隘路まではまだ敵は来ていません。」
「よし、皆すまん急ぐぞ。」
そう言うと走る速度を上げた。
漸く、隘路の入り口まで到達した。皆息が切れている。目の前に続く隘路は左右の斜面から張り出した微高地の茂みが落とす影でより一層暗く、先は見通せない。
「松吉、すまんが隘路の先を見て来てくれ。決して無理はするな。危なくなったら横の森に飛び込めよ。」
「あいよ。」
そう言って走りだす。
「皆は少し休め。腰を下ろして構わん、水も飲んでおけ。武器の無いものは座っている間に自分の投げやすい大きさの石を拾うのだ。左右の袖に五つずつ詰めておいてくれ。兵は水を飲んだら狭邑衆が来る前に目印を探せ。見つかったら見失わぬ様にその場に留まれ。」
そう命じると、俺も川に近づき水を掬って飲む。籠手が濡れるなと思ったが、気がつけば体中汗でずぶ濡れだ。当たり前だ、夏なのだ。そんな事にも気がつかない程に俺は動転して居たのだ。
程なく後ろから複数の足音が聞こえて来る。狭邑衆が追い付いて来てくれたのだ。行連の他に行賢大叔父に行徳大叔父、行昌叔父まで狭邑の一門は全員出て来てくれた様だ。後ろには兵が五人程続く。館の兵を全員連れて来たのだろう。更には領民が続く。
「皆来てくれたのか!」
「山之井の一大事故に留守番等、御免被りますのでな。」
行賢大叔父が答える。
「助かる、例の物は持って来てくれたか?」
「無論よ。おい、こっちに運んでくれ。」
狭邑の非武装の者達が竹で組んだ柵を担いで来る。中には同じ年頃の見知った者達も交じっている。
「お前等。」
「どうせ松吉や霧丸も行くと思ってな。」
順太がそう笑いながら答えるがすぐに表情を引き締め、
「兄ちゃんも助けに行かないといけないからな。」
そう言った。そう、山之井を守りたいのもあるだろうが皆、戦に行った家族を守りたいのだろう。
「よし、柵はそっちに運んでくれ。」
横手が道を作り始めてから我等が大慌てで対策した事の一つがこの柵だ。穴を掘る事が容易でない石ころだらけの川原にある隘路の出口で敵を迎え撃つ為に、予め脚が丁度嵌る太さの竹を石の中に埋めておいたのだ。勿論、大雨等が来ればずれてしまうかもしれないが、今の所そんな事態にはなっていない。持ち上げられない様に細い竹を通す穴も開けてある。
時を同じくして松吉が駆け戻って来る。
「大勢が逃げて来るぞ。多分三田寺の若殿だ。」
「よし、柵は正面はまだだ。だがすぐ差し込める様にしておいてくれ。横は設置してしまえ。」
幅が一間(約1.8m)程しかない隘路の出口を柵でコの字方に囲んで三方から叩いてしまおうという腹なのだ。しかし、本当にギリギリだった様だ。
すぐに20人程の集団が走って来る。全員徒だ。総崩れと聞いて居たがどこかで立て直した様だ。当初の半分以下とはいえこれだけいると出来る事も増える。しかし、こちらの姿を認めて慌てて立ち止まる。
「典道叔父上、若鷹丸です。早く!!」
俺がそう叫ぶと、再び走り出した。
柵の隙間から次々三田寺勢が飛び込んで来る。
「若鷹丸。すまん、助かった。」
衰弱した様子の叔父が言う。
「御無事で何よりです。して、状況は?」
「山之井殿が隘路の入り口で敵を食い止めていらっしゃいます。」
叔父の横に居た男が代わって答える。お目付け役として付いて来た男だ。名前は何と言ったか…
「敵の数は?板屋と横手だけか?」
「はい、旗印は横手だけでした、それと板屋。数は対峙した時は五十程。全てが追って来たかはわかりませぬ。」
つまり板屋と併せて百程か。こちらは六十程か。三田寺の残存兵力と父上達を併せれば十分計算が立つ。
「すまん、若鷹丸…大迫殿を喪った…」
「な…」
爺が死んだ…膝から崩れ落ちそうになる…落ち着け、殿と聞いた時から覚悟していただろう。戦なのだ誰か死ぬ…今日は爺の順番だったのだ…だが、許せぬ…喪失感の直後に強烈な憎しみが湧いて来る。
「叔父上、ここで敵を迎え撃ちます。三田寺勢も協力して下さい。」
俺の言葉に典道叔父は目を泳がせ、隣の男は泡を食った様に捲し立て始めた。
「な、何を言っているのだ、こちらは死ぬ気でここまで逃げて来たのだぞ!もう戦う力等残っておらん!」
「では、山之井を奪われても良いと申すのか!?貴様等の見栄の為につき合わされた戦だぞ!!」
思わずカッとなって怒鳴り返す。
「なんだと!?寄り子が偉そうに!」
「寄り子も守れない寄り親こそ偉そうにするな!典道叔父上、どうするのだ!?」
「え、あ…」
三田寺の面々が不安視していたのはこれか。確かにこれでは後を継がせるのは不安があるという意見が出てもおかしくない。俺は平時の叔父しか知らなかったからな。だが、これでは困る。我等の兵の士気にまで影響が出る。
「もう良い!皆聞け!三田寺は頼り無し!!我等を守ってはくれぬ。我等の土地は我等で守るぞ!!」
皆に聞こえる様に声を張り上げる。
「「おぉ!!」」
これで敵に我等の存在が露見したかもしれんがもう知った事か。
「孝政…父の所まで行けるか?」
「は、は?」
突然話を振られた孝政が固まる。
「父上の所まで走って急ぎここまで下がれと伝えろ。」
「わ、分かりました!」
慌てて孝政が走り出す。怖気付くかと思ったがしっかりとした足取りで走って行った。
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