23・初陣

 納戸の中から具足のしまわれた箱を引っ張り出す。箱を開けると紺色に近い暗い青い色をした腹巻はらまきが入っている。背が高くなってから何度か勝手に持ち出して着た事があるので着方は分かっている。因みにその時は源爺の部屋で紅葉丸に手伝わせて着たので紅葉丸も慣れたものだ。ついでに源爺に手入れもして貰ってある。父親と共に爺様に拾われた源爺は懐かしそうに手入れをしていた。

 まず服の上から鎧直垂よろいひたたれを着たら、最初は脛当を付ける。腹巻の背中から体を入れ(腹巻は背中が開くタイプの鎧)、首の後ろと腰の後ろを交差させて腹の前で合わさった紐を結ぶ。腹の紐はともかく、両肩の後ろの紐は一人では絶対に結べない。具足が一人では着られない理由はこの辺りにある。草摺くさずりの上から佩楯はいだてを腰に巻き、肩に袖を付けたら兜を被る。最後に籠手を嵌めたら完成だ。

※現在腹巻と呼ばれる形式の鎧は当時は胴丸と呼ばれていたとの資料も有りますが。本作では一般的に使われている腹巻と言う呼称を使用します。

 具足を着けたら父の部屋に行き、壁に飾ってある爺様の槍を取る。刀が無いな、御爺から貰ったいつもの脇差で良いか。敵の首を取る以外でこれを抜かなければならなくなったら即逃げよう。最後に自分の弓と矢籠を背負い完成だ。

 玄関に行き、草鞋の紐を結んで貰う。あ、そうだ。

「紅葉丸、急いで米を呼んで来てくれ。」

「え、あ、はい!」

紅葉丸が走って厨の方に消えて行く。玄関から出ると兵達は各自戦支度をして待って居た。皆、簡単な具足を着けて、槍と弓を担いでいる。普段は弓と槍はそれぞれ片方しか持たないが今回は撃ちまくったら突撃する予定だから両方持たせた。纏め役は力持ちの増蔵だ。今回は山登りが必須なので巨漢の増蔵は留守番に回されたのだ。

「増蔵が居てくれるのは心強いな。頼むぞ。」

「はい、お任せ下さい。」

そこに孝政がやって来る。後ろからは大叔父と母も付いて来る。

「フ、フハハハハ!」

思わず笑ってしまった。

「な、なんです、若様。人を見ていきなり笑うとは…」

「孝政、似合っておらんのぉ!」

そう、なんとも具足が似合っていないのだ。

「わ、若様だって似合っておらぬではありませんか!」

顔を赤くして言い返して来る孝政。

「そうよな。皆、今度の戦は大変だぞ。具足の似合わぬ二人が率いるのだお主らが頼りだぞ。」

「「おうっ!」」

半分笑いながら兵達も答える。

「若様、お呼びで?」

そこへ米がやって来る。

「うん、我等は兵糧は持って行かん。逃げて来る連中も飲まず食わずだろう。悪いが台所番の面々で稲荷社で火を焚いて飯が食える様にしておいてくれ。中之郷と下之郷の女衆にも助けを借りよ。」

「分かりました。」

「あぁ、それから危なくなったらとっとと逃げてくれよ。」

笑いながらそう言うと、

「ならぬ様にしてくだされ。」

溜息を吐きながらそう返された。

「努力しよう。」


「良し、出陣だ!」

「「おぉ!」」

兵達が声を上げる。兵が十人残っていたのは有り難い。まぁ、行連は狭邑に行ってしまったから今は九人だが。父は戦へは基本的に城の兵は五人しか連れて行かない。なぜなら、普段から昼番、夜番、非番で五人ずつ(内二人は物見小屋に配置される。)交代で仕事をしているので、五人連れて行かれると非番が無くなる訳だからそこいらが限界な訳だ。ただここ半年は非番の連中は砦の普請に駆り出されて居たので、実質休み無しなのは常態化している。我ながらブラックだな…

 城を出て小走りに中之郷に向かう。普段から戦に備えて走る様にしているが具足を付けて走るのは始めてだ。爺様の腹巻は徒での戦に主眼が置かれた、どちらかと言えば軽装の具足の部類だ。それでも大将の使う物として袖や佩楯が付き、それなりに重装備に強化されている為、相当に重い。

 漸く中之郷まで走って来ると、残された女子供や年寄り達が表に出て不安そうに下之郷の方を見ている。皆、この辺りが戦場になる事を体験した事が無いのだ。その中に霧丸の母の路が居た。

「お路殿!」

「これは、若様!ご立派なお姿で。」

暗かった顔が幾らか明るくなった。周りでも声が上がる。領主の姿次第で民に安心を与える事が出来るのだと実感する。

「すまんが、城の手が足りない。稲荷社で炊き出しをしたいのだが手伝ってくれんか?」

俺がそう頼むと、

「分かりました。皆集まって!」

すぐに役割を分け始めてくれた。

「お願い致す!」

そう言って再び駆け出す。


 重い、鎧が肩に食い込み佩楯が脚に纏わりつく。必死に駆けながら酸素の足りない頭で考える。これが俺の初陣だ。誰に励まされる事も無く、汗だくで必死に走っている。爺は無事だろうか…殿を受け持ったと言う事は覚悟を決めているのだろうか…その後ろにはきっと父が居る。殿が崩れたら父が典道叔父を逃がす為に敵を食い止めるのだろう。行和叔父はどちらに付いているのだろうか。隘路まで先に着けるだろうか、いくら谷が狭くてもその手前の部分まで入り込まれたらこの戦力では防ぎ切れないだろう…

 そう言えば母達を逃がす手段を何も用意出来なかった。昼間なら山の民に頼む事も出来たかもしれないのに…酸素の足りない頭には悪い事ばかり思い浮かぶ。


 尾根沿いの近道を通って稲荷社が見えて来た。周りを走る兵達の息も上がっているのが分かるが、境内から聞こえて来るガヤガヤとした声は更に大きく聞こえる。境内にはあちこちに篝火が焚かれていた。

「…人多くない?」

境内に入って思わずそう呟く。男衆はもちろん、下之郷の女衆や俺と同じ年頃の子供達も居る。

「若様。」

宮司と弓を担いだ誠右衛門がやって来る。中之郷の領民を纏めて戦に出ていた誠右衛門ももう長男にその座を譲っているが流石にこの危機に出て来たらしい。

「なんでこんなに人が居るんだ?これじゃ祭の時みたいじゃないか…」

「それが、霧丸と松吉も行くと聞いた子供達も若様と一緒に行くと聞かんもので…女達は見送りと言うかなんと言うか…」

「若様、どうなさるのです?」

一番息を切らせて黙り込んで居た孝政がそう聞いて来る。

「今は一人でも人数が欲しい…前に出さなければ十分に戦力にはなる…」

「そうですな…」

孝政も苦い顔をするが否定はしない。俺も同じ様な顔をしているのだろう。

「皆を集めてくれ。」

「分かりました。」

そう言って誠右衛門は皆を集める。


 集まった中之郷と下之郷の衆の前に立つ。

「今はとにかく時が無い。あれこれ言っていられんから手短に言う。まず女衆は後からくる城の台所番と中之郷の女衆と協力して炊き出しをしてくれ。竈を組んで火を熾し水を運んでくれ。」

「分かりました。」

松吉の母の初が答えて女衆を連れて行く。

「道中は敵に見つかりたくない故、灯りは持たぬ、皆足元は気をつけてくれ。それと大声は絶対に禁止だ。じゃあ、具足や槍の有る者は前へ出てくれ。」

これは少ない。この時代武具は自己調達が基本だ。それも各家庭に一人分あれば良い方だ。因みに無い家の者は小荷駄に回される事が多い。誠右衛門ですら弓は担いでいるが具足は着けていない。つまり今具足を着けている者は今回兵を出さなかった家の者と言う事だ。全部で十人程だ。

「よし、具足を着けている者は俺達と同じ隊だ。槍だけの者はその後ろに付いてくれ。弓を持っているのは何人いる?」

誠右衛門と霧丸、そして松吉が前に出る。

「三人か…」

「申し訳ありませぬ。弓があれば息子達に持たせるのですが…」

しまったな…弓も槍も城から余分に持って来るんだった…荷物を減らす事と急ぐ事に意識を割き過ぎたか。これは俺の落ち度だ。

「いや、俺が用意するべきだったのだ。残りは投石だ。どうせ暗い中での戦いだ、矢も石も大して変わるまい。誠右衛門は投石隊を纏めて殿に付け。松吉と霧丸は俺と来い!すぐに出るぞ!!」


 夕闇の迫る北の谷の入り口に着く。空はまだ明るさを残しているが、東西を尾根に遮られた谷底は既にかなり薄暗い。その時、上から声が掛かる。

「若様ー!見える範囲に人影は見えませぬー!!」

砦の物見櫓からこちらを見つけた誰かが大声で報せてくれる。

「分かったー!!先に行くぞー!!」

こちらも大声で返事を返し、谷に入る。

「松吉、霧丸、先行して様子を探れ。川沿いを歩くな。なるべく斜面沿いを歩いてすぐに隠れられる様にして行け。松吉が先、霧丸が後だ、お互いが見える距離でなるべく離れて行ってくれ。何か有ったら松吉はその場で待機、霧丸が報せに戻れ。」

「分かった。」

「はい。」

そう答えると二人は駆け出し、すぐに闇に溶け込んで行った。

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