二章其の参 十二歳、夏

21・北の谷の戦い序

 城内が殺伐とした慌ただしさに包まれている。山之井は今戦支度の只中にある。山の民からの通報で実野盆地の勢力の一つである横手が北の谷に繋がる道を整備していることが分かった。

 父はこれを三田寺に通報する事に決めた。いざと言うときは後詰めを頼まざるを得ない関係から俺も反対しなかったのだが、事はそれに留まらず逆にその道を使って横手に攻め入ると言う話になってしまったのだ。当然俺を始め山之井の者達は反対したのだが、三田寺の、強い要望により押し切られてしまった。

 攻め取ったところで維持も困難な横手に攻め込む利はほとんど無いのだが、これには三田寺側のある思惑が関係していた。そろそろ齢五十を目前にして嫡男の典道叔父に家督を譲りたい御爺だったが、典道叔父が戦でこれと言った実績を上げていない事に不安を持っていた。そこへ実野に通じる裏道が通じたとなって、適当な実績作りにもってこいだと一部の家臣が上申したようなのだ。要するに、いつも通り実野川沿いに石野から川出に攻め込む本隊と合わせて叔父が裏口から別働隊を率いて撹乱しようと言う腹なのだ。しかもその道筋には武には定評のある父が治める山之井があるのである。

 俺から見れば典道叔父は武人としての苛烈さは持ち合わせていないが、人柄も良く、落ち着いて政務に関しては不安の無い人物に映るのだが、御爺を始めとした三田寺の者達には頼りなく映るのかもしれない。ひょっとしたら父と比較されている面もあるのかもしれない。彼等は、父が戦が無い時は全く頼りにならないのを分かっているのだろうか?

 しかも、心配した通り、空梅雨とまでは言わないまでも、梅雨の雨も少なめだった今年は稲の育成に問題が出ている場所もあると聞く。戦なんてしている場合では無いと思うんだが…只でさえ収量の減りそうな米を夏の戦に拠る手入れ不足で減らし、手持ちの米も兵糧で浪費する。愚かに過ぎると主張したのだが聞き入れられなかった。


 まぁ、そんなこんなで山之井は、というか三田寺衆は戦支度に大わらわなのである。基本的に山之井では爺か行賢の大叔父が父の補佐をして頼泰の大叔父が留守居、補佐に出ていない家のどちらかから嫡男が出て、残りの一家は次男以降が出るのがお決まりだ。今回は父と爺、それに忠泰叔父と、行和叔父が出る。兵数は城から五人、篠山城からも五人、それから各集落から五人の三十五人となる。正直山之井としてはかなり多い。攻め入るのに集める数としては最大限の人数だ。父としてはそれだけ北の谷も気になるし典道叔父を守りきらねばならぬという思いも強いのだろう。

 それと、今回は輸送に馬が使えない。石ころだらけの足場の悪い谷を延々登る上に、最後の峠越えの場面ではこちら側からの登り斜面にはまだ道が出来ていないからだ。結局、横手が造り始めた道は向こう側の斜面を登る所迄しか完成していないのだ。そこを荷を積んだ馬に登れというのはどう考えても無茶である。一体六年前の賊はどうやって馬に乗って来たと言うのか…まぁ、距離が近いので運ぶ兵糧も多くないし、川沿いを進むので水の調達にも苦労は少ないので大きな問題にはならないだろう。因みに軍馬は連れて行く。戦場になるであろう場所は横手側で騎乗可能であろうし、大将としては馬が無いと格好が付かないからだ。


 翌朝、日が昇って暫くしてから城から父達が出立する。母と梅、大叔父が門まで見送りに出る。今回は下山之井稲荷の境内で三田寺、山之井、板屋の三軍が合流する手筈になっているので、俺と紅葉丸そこまで見送りに行く事にした。

 中之郷で忠泰叔父の率いる上之郷の衆と、霧丸の兄の纏める中之郷の衆と合流する。霧丸も稲荷社まで同行すると言うので合流した。忠泰叔父を先頭に道を進み、下之郷に入った所で落合からやって来た爺達が合流し、稲荷社の境内に入る。行和叔父の率いる狭邑の衆と、康兵衛が纏める下之郷の衆はここで待っていた。松吉も康兵衛の横に居る。

 暫く待つと、夜明け前に三田寺城を出立した典道叔父の別働隊と、途中入谷の館で合流した板屋衆がやって来た。

「成泰殿、お待たせした。若鷹丸も紅葉丸も久しいな。」

「なんの、典道殿こそ良くお越し下された。」

「「叔父上お久しぶりです。」」

「ここで四半刻ばかり兵馬を休ませてから進みたいと思う。暫しお待ちくだされ。」

「畏まった。板屋殿もご苦労でございますな。」

「ふむ、山之井は数が少ないのではござらんか?此度は若殿の大事な戦。我等は五十程手勢を集めましたぞ。」

父の挨拶に板屋宗貞が鼻で笑う様に答えた。確かに気になっていたのだが板屋の戦力が明らかに多い。板屋は石高でも人口でも山之井よりも少ないのだ。本人の言う通り典道叔父の実績の為に出して来た戦力なら良いのだが…

「流石は板屋様。父上、それなら先鋒は板屋様にお願いするのが良いのではないでしょうか。」

「な、なんだと!?若鷹丸、お前何を言っておるのだ。」

「ハハハ、流石神童と名高い若鷹丸殿ですな。ではそうさせて貰おうか。」

そう言うと宗貞は手勢の所に戻って行った。

「若鷹丸、お前は!!」

「良いではありませんか。今回父上がせねばならぬのは無事に叔父上に手柄を立てさせる事。そしてなにより無事に帰す事です。いざと言う時に叔父上より前に居ては叔父上を守りに行けませんぞ。」

「ま、まぁ、そうだが…」

いまいち納得出来ない様子だな。まぁ、父上は最前線でこそ輝くタイプの武将だ。ここは、一つ、

「それに父上が先陣を切っては典道叔父上が立てる手柄が残らぬではありませんか。今回の先鋒は戦下手で有名な板屋程度がお似合いですよ。まぁ、父上が良い塩梅に手柄を残すなんて器用な事が出来るなら話は別ですが…」

「そ、そうだな。確かに儂が突撃しては後ろはやる事が無いかもしれん。」

すまんな宗貞、父を納得させる為に目一杯下げさせて貰ったぞ。

「そう言う事なら仕方あるまい。俺から典道殿にはそう伝えよう。」

満更でもない表情で再び典道叔父の所へ向かう父。

「典道殿。先ほどの件だが、儂が貴殿の後ろに付こうと思うが如何かな?」

「儂も成泰殿が後ろに居てくれるのは心強いな。それで良いと思う。」

「では、その様に致そう。」

さて、念の為、爺と叔父達にも話しをしておくべきか…


 稲荷社の境内を出て行く軍勢を見送った我等四人は稲荷社裏手の斜面を登り、尾根伝いに軍勢の横を歩く。すでに隊列は細く長く伸びている。横っ腹を突かれる様な事態にならないと良いが…しっかりと物見は放って欲しいと爺や叔父達には頼んだが…

「行ってしまいましたね。」

「うん、無事に帰って来て欲しいな。」

物見台の所で遠くなって行く軍勢を見ながら、紅葉丸がポツリと呟いた言葉に俺も返す。いつでも戦に行く者を見送るのは嫌なものだ。

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