19・財布の中身が心配だ

 稲が青々とした葉を天に向かって伸ばす田に囲まれながら松吉と二人霧丸を待つ。事前に与平の行商隊が来る日時の連絡が来ているので、朝から落合と板屋の領境まで出迎えに来たのだ。見渡してみても今のところ、稲の生育に問題が出ている様子はなさそうだ。

「松吉、稲の様子はいつもと比べて違いがあるか?」

「いや、むしろちょっと育ちが早い位じゃないかな。」

「そうか、雪が少なかったからいつもより暖かいのかな。」

「あんまり暖かさに違いは感じないけどな。」

「お、来たぞ。」

 川の向こうから馬の列がやって来る。この辺りで渡し船で川を渡るのだ。最近与平が来る時は炭運搬船も手配して渡河を効率化している。尤もそれらに乗せた人や荷物は軒並み黒くなると不評なのだが…因みに馬を乗せられる程の大きさの船はないので馬は雪解け水で満たされた川を泳いで渡る事になる。


「久しいな与平、霧丸が世話になっている。変わりないか?」

「お蔭様で息災でございます。若様はまた逞しくなられましたな。」

「ハハハ、それは毎日鍬を振っている甲斐があったな。」

「霧丸から聞いておりましたが、真にご自分で畑を拓いていらっしゃるので?」

「うん、誰も手伝ってくれぬのでな。お主もたまには土を耕してみるか?あれはあれで良い物だぞ。」

「いえいえ、私等が鍬を振ったら体がバラバラになりかねませんよ。」

与平が笑いながらそう言う。

「各地の様子はどうだ?」

「三原様の御領地では例年に比べてかなり水が少ないですな。今のところ田畑への影響は無さそうですが。」

「そうか、米の値はどうだ?」

「かなり上がっていますな。小高様や実野様がかなり買い集めているようです。」

「そうか…与平、予め言っておくが、この夏は民を含めて米を売れぬかもしれぬから覚悟をしておいてくれ。」

「それは、戦が激しくなるとお考えですか?」

「いや、不作による飢饉も有り得るだろう。」

「不作になりますか?」

「空梅雨になればどうしようもあるまい。そもそも芳の国は夏の雨が少ないのだ。」

「しかし、それは今の時点ではわかりますまい。」

「だから、かもしれぬだ。我等は民の命を守る為に最悪を想定せねばならんのでな。」

「左様ですか…」


「では明日、源爺の所で会おう。」

「はい、お伺いします。」

下之郷まで同行した我等は行商隊と別れ、三人で城へ戻る。

「そう言えばこの間、山鳥を獲ったんだ。少しずつ鳥にも当たるようになって来たんだよ。」

「へぇ、鳥が獲れるなんてすごいな。大物はどうなんだ?」

「そもそも大物は一人で獲るものじゃないよ。大体、鹿なんか一人じゃ運べないじゃないか。」

「そう言われてみればそうだな。」

「そっちはなんか面白い事あったか?」

「公家を見た。」

「「公家!?」」

「なんだそれは!?どこで見たんだ?湊か!?」

「そうです、なんでも広根の国に下向する途中とかで。」

道中はそれぞれの近況報告に盛り上がる。

「若、盛り上がっておりますな。」

後ろから馬に乗った爺と永由叔父が追いついて来る。今日は霧丸から各地の状況を聞いておこうと言う事で皆が城に集まるのだ。馬から降りた二人に、

「聞いてくれ、霧丸が奥津の湊で公家を見たらしい。」

「ほう、公家ですか。それは珍しい。」

皆でワイワイと盛り上がりながら城へ向かう。


 城の広間に領内の主だった者達、というかいつもの面々が顔を揃えている。最後に父がやって来て上座に座り報告が始まった。霧丸は流石に緊張した様子だ。

「では、話を聞こう。若鷹丸、宜しくやってくれ。」

「はい、じゃあ霧丸。気付いた事を報告してくれ。」

「はい、えっと、やっぱりどこの領地も川の水が少ない事に不安の声が聞こえました。特に守護代様の所や湊の近くは山から離れているので、川の水がいつもの半分近くまで減っている所もあるみたいです。」

「やはり、山之井にいると気付きませんが水不足は大分深刻ですな。」

「若様の言う通り、今年の梅雨はかなり重要になりましょう。」

叔父達が口々に言う。

「霧丸よ、田に水が引けないと言う話はあったか?」

大叔父が聞く。

「いえ、そういう話は聞きませんでした。回った場所はどこも稲は育っていました。」

「そうか、梅雨時に雨さえ降ってくれれば何とかなりそうな塩梅ですな。」

「そうだな。その他はどうか。」

「鉄、革の値上がりは止まりません。もう去年の倍近い値段です。」

「買っているのは?」

「主には小高を中心とした西芳中の人達のようですが三分の一位は実野の方に行くみたいです。それから数打の武器も飛ぶように売れています。」

「奴等、やる気かの。」

大叔父がため息を吐きながら言う。

「間違いなかろうな…」

父もそう答える。

「砦の整備を急がねばなりませんね。」

「うむ。」


「そんな所か?」

「えっと、これは芳中に関係有るかは分からないんですけど…」

「良い、言ってくれ。」

「さっき、奥津の湊で公家を見た話をしたんですけど。」

「うん。」

「その一人だけでなく、最近は何人も都から地方に下向してるみたいです。」

「「ほぉ…」」

都周辺で戦でも起こったのか?いや、起こりそうだから逃げ出したのか?それとも都の周辺も不作なのか?

「孝政、都の話は何か聞いているか?」

孝政は黙って首を振る。

「与平は何と?」

「あ、その話を聞いた時は与平さんは一緒じゃなかったので…」

「そうか、明日与平に聞いてみるか。」

霧丸は与平に聞いていなかった事を気にして面目なさ気だ。

「父上、こんなところかと。残念ながら碌な話は有りませんでしたが…」

「全くだな。本格的に雨が降る前に砦の整地は終われせられる様にしたい。各集落からも人を出してもらう。冬場の賦役はなし崩しで免除になっているのだ、ここは協力してもらう。」

「「はっ」」

父のその一言で散会となった。尤も、その後は皆が霧丸から公家の話を聞きたがって、父や孝政までもその場に留まったのだが。


翌日、朝から三人で源爺の所へ向かう。

「結局、椎茸はいくつ出来たんですか?」

松吉から椎茸の栽培が成功したと聞かされた霧丸が俺に聞いてくる。

「聞いて驚け十五個だ。山でも八つ採れている。」

「それはすご…あ、多分手持ちが足りないな…」

霧丸は与平の財布の中身まで把握していた…パッと明るくなった表情が途端に曇った。

 しばらく三人で畑の手入れをする。源爺は「若い者が三人も居りますので儂は必要ありませんな。」等と言って高みの見物を決め込んでいる。蕎麦は順調に育っているし、大豆も芽を出してきた。どれ位採れるだろうか。今から楽しみだ。

 少しすると与平が馬を引いた供一人を連れてやって来た。

「お待たせしましたかな?」

「いや、大丈夫だ。やる事はいくらでもある故な。」

「しかし、見事な畑ですな。」

「自分でやってみると良く分かる。これを毎日毎日やってくれている領民には頭が上がらぬ思いだわ。」

「左様ですか。しかし、中々そう言える方も居りませんぞ。」

「田舎だからな。大きな家の者がやっては示しがつかぬだろうな。」

「ところで何故馬を使って耕さぬのです?若様なら城の馬が使えましょうに。」

「…」

な、なんてことだ…そうか、確かに皆集落の馬を使って耕しているではないか…なぜ俺は毎日毎日馬鹿みたいに鍬ばかり振るっていたのだ…

「えっ?なんか考えがあって人だけで開墾してたんじゃないのか!?」

松吉が悲鳴の様な声で聞いてくる。

「…荷物はこっちだ。来てくれ。」

「若!?」

聞こえない聞こえない…俺は与平を蔵へ案内する。

「霧丸が与平の財布の中身を心配しておったぞ。」

「ほう、それ程良い物がありますか。期待してしまいますな。」


 結果的に与平は椎茸の数を見て顎が外れそうな顔をする事になった。俺が用意した二十三個の椎茸の他に山の民は三十を超える椎茸を採って来ていたのだ。これは例年の倍近い数だ。やはり天候の関係だろうか。

「な、なぜ、こんな数が…」

「分からん、冬に雪が少なかった影響なのか分からんが今年はやたらと椎茸が採れるのだ。」

お陰で栽培した分の増加を自然に誤魔化す事が出来そうだ。

「…若様、申し訳ありませんが霧丸の心配する通りです。流石にこの数は銭が足りませぬ。」

痛恨の極みの様な顔をする与平を見て思わず笑い声が起こる。

「アハハハ、そもそもお主は初めて会った時も銭が足りずに後払いだったではないか。」

「そ、そうでしたかな…あれから何年経ちますか。当時に比べて山之井へ来る時には何倍もの銭を持って来る様にしておるのですが。若様には驚かされてばかりですな。」

苦笑いの与平は力無く首を振る。

「取り敢えず山の民の分を優先で良い。その変わりに頼みが有るのだ。」

「何でしょうか?」

途端に与平が真顔になる。

「そんな顔をしてくれるな俺が無理難題ばかり言っているみたいではないか。」

「いや、そんなつもりではないのですが…」

「「アハハ。」」

お前らこう言う時は息バッチリだな…

「何、一人暫く面倒を見て欲しいのだ。弟の紅葉丸の近習の者だ。年は俺と同じだ。」

「は、はぁ、それ位でしたら構いません。して、霧丸と同じ様にすれば宜しいので?」

「いや、まずはあちこち見せてやってくれれば十分だ。俺達が初めて湊に行った時の様にな。」

「懐かしい話ですな。分かりました、それでは今日この後そのまま?」

「うん、こちらは用意が出来ているのでそちらが問題無ければ頼みたい。」

「畏まりました。」

「では、この後一緒に城へ行こう。霧丸、悪いが太助の面倒を見てくれ。あいつには気になった事は何でも聞けと言ってあるがお前と同じで口数が少ないからな。気にしてやってくれ。」

「分かりました。」

「それと与平、何か起こった時は二人をすぐに山之井に戻して欲しい。」

「はい、承知しました。」


 山の民から預かった荷を馬に積み、城に向かう。

「そういえば、京から下向する公家が増えていると聞いた。何が原因か知っているか?」

「あぁ、それはどうも京では次の管領様を決めるのに揉めている様でして。」

「なるほど、では芳中は関係が無さそうだな。」

「そうですな、飛田様は管領になれるお家ではありませんから。」

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