18・水だけは困った事が無い

「父上、宜しいでしょうか?」

父の部屋の前でいつもの様に声を掛ける。

「うむ、入れ。」

部屋に入ると今日は孝政は不在だった。

「孝政は居らぬのですか?」

「ん?あぁ、今日は大した仕事も無かったのでな。呼んで居らぬ。居た方が良かったか?」

二度手間になるのは面倒なので居た方が良いな。

「そうですね、俺が呼んで来ます。」

孝政の部屋へ行き声を掛ける。

「孝政、居るか?若鷹丸だ。」

「若様ですか?」

すぐに障子が開き、不審そうな表情をした孝政が出て来る。まぁ、俺が部屋を訪ねてくれば何事かと思うのも無理はない。

「休んでいる所すまんが、父上に報告があるのだ。出来れば同席して欲しい。」

「畏まりました。すぐに参りましょう。」

なるほど、と言った表情でそう答える。


「それで、話とは何だ?」

孝政を連れ父の部屋に戻るとそう聞かれる。

「前にもお話しましたがこの冬は奥実野の山々で雪が少なかったと聞きます。」

「うむ、それは聞いた。」

「恐らくそれと関係して川の水が例年に比べて少ない様です。これは下之郷の康兵衛にも確認しました。狭邑川より山之井川の方がより少ないようです。」

「ほう、しかしそう大きく変わらぬ様に見えるが。」

「確かに某も先日川を渡りましたが気が付きませなんだ。」

「はい、山之井では今の所大きな問題にはなっていません。なにせ山之井は水だけは困った事が無い土地ですから。」

「何が気になる?」

俺の物言いに苦笑しながら父が聞き返す。

「年寄り連中に聞いた所、今までにも雪が少なく川の水が減った事が何度か有ったという事でしたので和尚と宮司に過去の記録をひっくり返して調べて貰いました。」

「なるほど、それで?」

「雪の少ない年はここ五十年で三度あった様です。その時は米の値が上がったり水争いから戦が起こったりした事がある様です。酷い場所では民の逃散も有ったとか…」

「ふむ、であればこの夏も戦を覚悟せねばならんか…」

「はい。ここ数年の実野盆地との関係を考えれば、石野と川出辺りでは何が起こっても不思議ではないかと…」

石野は三田寺の寄り子で勢力内では実野川の最上流に領地を構えている勢力だ。一方の川出は実野の寄り子で(実野盆地の勢力は土地が狭いのもあって守護代の実野氏を直接寄り親としている。)その名の通り実野川が盆地から出る場所に勢力を張っている。要するに平野と盆地の唯一直接接する場所である。地理的な要因から、戦は大体ここで起こるのだ。後はどちらが相手側に踏み込むかの差でしかない。

「やれやれ、こう毎年では民が保たんぞ…」

「全くです…」

「相分かった。頭に入れておこう。」

「それともう一つ。」

「ふう…これ以上頭が痛くなる事があるのか?」

「領内に米を節約してなるべく残して置く様に通達を出して頂きたいのです。」

父も孝政も少し驚いた様な表情をする。

「しかし、若様。先程、山之井は水だけは困らぬと…」

「うん、今まではそうだったが用心はした方が良いかと思ってな。少なくとも夏までは節約した方が良いかと思う。そこで稲が順調に育っていれば食うなり売るなりすれば良い。今年の夏は間違いなく値が上がる。霧丸の話では鉄や革はもう上がっているそうだ…それに山の民の年寄りの話では雪の少ない年は米が手に入らない事が有ったと。その年はかなり難渋したらしい。」

「孝政。どう思う?」

「取り越し苦労となるやもしれませんが、それで飢えるよりは良いかと。」

孝政が賛成に回る。この辺り正確な判断が出来る男なんだけどなぁ…

「良し、明日皆を呼んで通達しよう。若鷹丸、もう無いか?」

「…山之井に米の余裕が有る事は外に出すべきではないかと。それが三田寺であっても。」

「若様!?」

「例えば米が有ると実野盆地の連中まで知れたらどうなる?我等は北の谷を抱えているのだぞ。」

「民が逃散する程の状況になれば形振り構っていられなくなるか…」

「はい、それに水不足で一番影響を受けるのは恐らく平野。それも山に接していない場所です。守護代様から米を寄越せと言われたら我等には断る事は出来ますまい…それは守護代様や三田寺への不満へと変わりましょう…そうならぬ為にも。」

「孝政、良いな?」

「…はい、若様の仰る事が正しいと存じます。」

苦虫を噛み潰した様な顔だが孝政も同意した。


 畑に指で穴を開け、一晩水に漬けた大豆を二、三粒穴に落とす。落としたら土を被せて一尺程間を空けてまた穴を開ける。結局二枚目の畑を全て開墾する事は出来なかった。それでも三分の二程は畑として使える様になったので出来る範囲で大豆の作付けをする事にした。蕎麦と同様、大豆も畝有りと無しで比較する。

 今日は父が領内の主だった者を集めて米の節約を通達している。武士階級だけでなく誠衛門や康兵衛と言った民の纏め役。和尚や宮司の宗教指導者も呼ばれた。生活に密着し、尚且つ不自由を強いる通達だけにかなり気を使ったやり様だ。

「若、大豆をこんなに作ってどうするんだ?少し蕎麦にした方が良かったんじゃないか?」

今日は朝から駆り出した松吉がそんな事を言う。

「大豆は味噌にするだけじゃなくて青い状態で食うと旨いんだ。それに馬にも食わすからな多くても困らん。」

要は枝豆だが、こちらではそう言った食べ方は見た事がない。味噌や飼料に必要な分だけ作ったら他の土地は松吉の言う通り、穀物に回したいというところだろう。

「青い豆を食うのか!?」

「あぁ、さっと茹でてな。」

「本当に旨いのか?」

「ふん、せいぜい楽しみにしておけ。」

そんな事を言いながら作付けは順調に進み、三人での作業でもその日の内に終える事が出来た。


「そろそろ霧丸が帰って来るな。」

野良仕事を終え、小屋の縁側で休みながら言う。

「そうだな、そろそろ与平さんが来る時期だもんな。今年は椎茸が大量だから驚くぞ。」

「おいっ…」

「分かってるよ。でも山の椎茸だって大分多いじゃないか。嶺達の分も多いんだろ?」

「あぁ、そうみたいだ。急に量が増えるからな、誤魔化すのに丁度良い。」

「そうだと思ったよ。」

お、生意気言うじゃないか。そう思いながら南の空を見上げた。

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