13・少しばかり

 櫓から見える山之井庄は田植え真盛りである。種籾を撒く者達の田植え歌がここまで聞こえてくる。城の者も多くは実家の手伝いや城周りの田植えに出掛けている。それ故、現在山之井城は絶望的なまでの人手不足である。

 どれ位人手不足かと言うと大手門脇の物見櫓に物見に立っているのが俺だということで察して貰えるだろう。


 という事を始めてもう六年経つ。相変わらずこの季節になると俺は櫓に上がる。紅葉丸もすっかり大きくなったんだが何故だか俺ばかりがやっている。きっと孝政辺りが止めているんだろう。別に良いけど。現在、霧丸は行商に付いて回っているが、松吉は家の手伝いをしている。子沢山の家の年の離れた末っ子の霧丸と、年齢に比べて背が高く力も強い、下の兄弟の面倒見も良い真ん中の松吉では農繁期での戦力としての期待度が違い過ぎるのだ。しかし、霧丸はこれ幸いと与平と湊に行っている。この時期は行商も村々で売り歩く物の最後の仕入れに人手が欲しいのだ。そんな立派に社会人をしている二人に比べて櫓でぼんやりするしかない俺の穀潰しっぷりは一層際立つのである…

 嶺達は先日奥実野の山へ移動して行った。彼等の話によると今年は奥実野の山々では例年より雪がかなり少なかったらしい。言われてみれば前実野の山々もほとんど雪を被らなかった。眼下の山之井川の水量は例年と変わらない様に見えるが、実野盆地や実野川流域では田植え時期に雪解け水の足りない地域も出るかもしれない。そうなると芳中は荒れるかもしれない。いや、芳の国全体、ひょっとするともっと広い範囲、秋津島全体が水不足に見舞われるかもしれない。旱魃等にならねば良いが。


「あにうえ~…」

今日もやって来たか。のんびり悩む事も出来ないな。紅葉丸から引き継がれた踏み台を背負った梅が梯子を上がって来た。

「あそびにいこうよ~…」

毎日暇を持て余した梅が外に連れて行けとせがみに来るのだ。

「兄は物見の仕事がある。紅葉丸はどうした?」

「もみじまるはたかまさとなんかしてる。」

「紅葉丸も兄上と呼べと言っているだろう?」

「あにうえだってもみじまるっていうじゃない!」

「俺は紅葉丸の兄だからな。」

「え~、なんでよ~?」

やれやれ。

「あ、かえってきた!」

嬉しそうに梅が指差しながら言う。城の周りの田に行っていた連中が帰って来るところだ。

「あにうえ、きょうはおうまだよ♪」

「えー…」

「おうまなの!!」

厩番も田植えに行っているから馬の用意を自分でしないといけないんだけどなぁ…


 馬を速足で進ませる。梅が乗っているので駆足にすると危ない。というか支えられるか自分に自信がない。

「アハハ、はや~い♪」

まぁ、ご機嫌だから良いか。

川俣を目指して馬を進める。やはり水量が気になったのだ。

「まつきち〜!」

下之郷の集落を抜ける途中で梅が左手に向かって手を振る。

「おー、若、姫様。」

松吉の一家が田植えから戻って来るところだ。

「姫様。どこ行くんだ?お出掛けか?」

「しらない♪」

「そ、そっか。」

妹よ、あの松吉が若干引いているじゃないか…

「若様、見回りですかな?」

「康兵衛、川の水が気になるのだ。そうだ、疲れているところすまんがちと一緒に川俣まで来てくれんか?」

「はぁ、すぐそこですから構いませぬが。」

「そうか、助かる。松吉も来てくれ。」

「分かった。」

「姫様は家の子供達に面倒を見させましょうか?」

松吉の弟妹か。

「そうか。梅、どうする?俺はちと難しい話をして来る。遊んで貰って待っているか?」

「そうする♪」

「では、お願いしよう。」

「姫様行こう。」

「うん♪」

梅も去年から川遊びに行き始めたので領内の子供達に顔は知られている。問題無いだろう。


「それで、どうされたのです?」

「うん、どうもこの冬は奥実野山の雪が少なかったらしい。ひょっとすると川の水が少なくなるかもしれんと思ってな。お主達にとって川の水は命も同じだろうから俺より余程良く分かるだろうと思ったのだ。」

川俣に向かって進みながら話をする。

「なるほど、確かに例年より水嵩が少しばかり低い気はしておりました。」

「やはり、そうか。俺も言われてみれば城の前の水嵩が少ない様な気もしたのだが、そう言う目で見ているからかもしれんと思ってな。」


「あぁ、確かに。少ないな。少ないっていうか増えてない?」

松吉がそんな事を言う。

「確かにそんな感じですな。冬よりは増えていますが、いつもよりは少ない、そんな感じですな。」

「なるほど、山之井川も狭邑川も、どちらも少ないか?」

「狭邑川は余り変わらぬ気がしますが…」

「俺もそう思う。狭邑川はこんなもんだ。」

「康兵衛の経験にある事か?」

「いえ、儂が覚えている限りは。」

「そうか。そうだ御婆様に聞いてみよう。家に寄らせて貰っても良いか?」

「勿論ですとも。」


 結論から言うと、春先に水が少なかった年は松吉の御婆様の人生で数度有ったそうだ。ただ、山之井は水に困らなかったという事以外は分からなかった。山之井は困らなかったと言う事は、他所は困ったのではないかと思うのだが…

 梅を再び前に乗せた俺は帰り道で稲荷社と常聖寺に寄り、古い記録に同様の記述が無いか調べて貰う様に頼んでから城へ帰った。

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