二章其の弐 十二歳、春

11・大変相性が悪い…

 振り上げた鍬を振り下ろす。幾日も幾日も繰り返して来た。冷たく澄んで高かった冬の空も、霞掛かってすこしぼやけた春の空に変わって来た。朝晩の冷え込みはまだ厳しいが昼間に鍬を振るうと汗だくになる程度には暖かくなっている。

「若様、一息入れますか。」

「そうだな、今日は大分進んだのではないか?」

「はい、これなら若様の目的通り、春の作付けが出来るかもしれませんな。」

 一息つきながら、唯一の働き手の源爺と話をする。なんで領主の嫡男が隠居爺と二人ぽっちで鍬を振るって畑を拓いているかと言えば。誰も手伝ってくれないからだ。冬場の領民は炭の生産と運搬で農繁期並みの忙しさだ。春になったらなったで本業の田畑が待っている。視線を上げれば田起こしに勤しむ領民の姿がそこかしこに見える。

 では城の兵達はと言えば、狭邑の城跡の整備に忙しい。本城の見張りすら減員して進められているが、城の守兵だけでは手が足りないのが現実だ。更に田植えの時期には守兵も農作業に回らざるを得ないので整備は一時中断だ。

 どちらも俺が言い出した事なので文句も言えない。では霧丸と松吉の二人はと言うと。霧丸は与平の行商に合流した。春は各領地を巡る行商には色々な情報が集まる。その情報を得る為に霧丸には働いて貰っている。与平にしても読み書き計算の出来る霧丸は使い勝手が良いらしく喜んで迎えてくれる。松吉は相変わらず定吉達と狩りに出掛けている。俺の食卓に肉を運んで貰う為には仕方のない事だ。嬉しい事に狩りに出るようになった松吉は辛抱強さを身に付け、少しずつ落ち着きが出てきた。しかも、二人共与平からの給金や獲物の毛皮の売却益で年齢に見合わずそれなりの稼ぎまで有るのだ。まぁ、松吉は朝狩りに行った後にやって来て手伝ってくれる事が多いのだが。今日もそろそろ来る頃合いか。

「おーい、若。」

来たな。おや、今日は嶺も居る。

「嶺、どうした。」

「あぁ、アタシらはそろそろ移動の時期だからさ。挨拶しとこうと思ってさ。」

「あぁ、そうか。だがまだ少し早くないか?」

遠くに見える前実野の山々を見ながら言う。前実野の雪は解けたが、奥実野の山々にはまだ雪が残っているのではなかろうか。

「木地師達が今年から場所を変えたいらしくてね。去年までの場所は良い木が大分減っちまったらしいんだ。それに今年は雪が少ないみたいでね。」

「なるほど、じゃあ木を探して歩き回る事になるのか。」

雪が少ないのか少し心配だな。

「そういう事。それで、与平さんに毛皮を売るのはあんたに任せたいって父ちゃんが言うんだ。」

「分かった。じゃあ、代金はこっちで預かっておくな。そうすると春の椎茸は無しか?」

椎茸が無いと与平がガッカリするな。

「いや、塗師とか爺婆なんかのこっちに残る連中が取って持ってくるよ。数は減るかもしれないけどね。」

「そうか、分かった。今日はゆっくりして行くのか?」

「うん、数日居るつもり。畑造りを手伝わされるのをゆっくりって言うのか知らないけど」

「アハハ、間違いないな。」

松吉が思わず笑う。

「まったくだな。松吉、今日の獲物はどうだ?」

「今日は兎だ。今日は俺の矢が当たったんだ。」

「おぉ、やったな!」

背負籠から兎を取り出してちょっと誇らし気に言う松吉。見つけるのは天性の物が有る松吉だが、弓の腕はまだまだそうもいかない。ほとんど定吉や勝吉に助けて貰っているの(同時に射て、大体は松吉の矢が外れるらしい)。それが今日は当たったのだから嬉しさも一入だろう。

「それに山菜もちょっとずつ出てきたぞ。」

「アタシも山鳥と芹と三つ葉を持って来たよ。」

「俺も今朝漉油コシアブラが少し取れたんだ。」

「お、漉油か。やったぜ。」

「やっぱり里は春が来るのが早いね。アタシらの方は漉油はまだまだだよ。」

漉油は漆に似た木だ。これの新芽は癖も無くとても旨いので筍と並んで、領内の子供達に人気の高い春の山菜だ。俺はさっと湯に通して酢味噌で食べるのが好きだ。

「源爺、飯の用意を頼む。」

「わかりました。肉はどちらにしますかな?」

「折角だ、兎にしよう。芹と三つ葉は粥に入れるか。漉油は酢味噌だ。」

「分かりました。では山鳥は囲炉裏に吊っておきましょう。」

そう言って食材を受け取った源爺は小屋へ食事の用意に向かう。そう、源爺の隠居にかこつけて俺はここで密かに一日三食食っているのである。俺だけ申し訳ないとは思うのだがどう考えても一日二食では保たないのだ…そしてこれに大喜びしたのが松吉で、毎日必死に昼飯を獲って来る様になったのである。


「よし、俺達はもう一頑張りするか。」

そう言って鍬を振るい始めると二人も鍬を取り手伝ってくれるのであった。

「それで、ここでは何を育てるつもりなんだい?」

嶺がそう聞いてくる。

「とりあえず、蕎麦と麦だ。余裕があれば野菜もやりたいな。あ、大豆もやろう。」

三人で一心に鍬を振るう。とその時、

「あ~!!みね、またきてる!!」

妹の梅だ…恐ろしい事に齢四つにしてちょくちょく城を抜け出してここへ来るのだ。紅葉丸はそんな事無かったのに。俺だって四つの頃に城を抜け出したりはしなかった。一体誰に似たのか…

「お、チビじゃないか。また抜け出して来たのか。」

「ちびっていわないで!!がさつおんな!!」

「なんだとぉ!!もう一遍言ってみな、チビ!!」

「なんどでもいってあげるわ、がさつおんな!!」

そして梅と嶺は大変相性が悪い…というか四歳児と本気で喧嘩をするなよ嶺…

「梅…源爺に来た事を伝えて来い。」

もうこうなると何を言っても無駄なので一緒に行動する前提で考える。

「は~い♪」

梅は小屋に走って行く。俺は小屋の横に立てた旗竿に合図の旗を揚げる。山の民に合図を送る為に作った旗竿だが、最近では梅が勝手にここへ来た事を城へ伝える役目で使われる回数の方が遥かに多い…

「げんじぃ~、うめのごはんも!!」

そして、俺がこっそり三食食べているのを知っているのだ…だから俺がここへ来ていない日は梅も城を抜け出さない。抜け出して来ても飯が食べられないからだ。


「梅、川には近付かなかったか?」

「うん、あにうえがダメっていうから。」

城から小屋の道は川沿いを行くか田んぼの畦を行くかだ。現代でも目を離した幼児が川に流される事故は数え切れない。どれだけ効果があるかは分からないが、梅には川沿いは通らない様にきつく言ってある。

「なら良い。川へ行くか?」

「うん!」

「松吉、嶺、すまんが後を頼む。」

「あいよ。」

「みね、しっかりおしごとするのよ。」

「煩い!さっさと行け!!」

駄目だこりゃ…

 階段を下りて河原へ行く。以前は年中仕掛けていた筌だが、今は初夏から秋位にしている。冬は鮎が掛からないし、春先は掛かっても小さい事が分かったからだ。

「これはどうだ?」

「だめ、もっとあかいの。」

「そうか…じゃあ、これはどうだ?」

「だめ、ここがきれいじゃない。」

「そうか…」

何をしているかって?河原で綺麗な石探しのお仕事ですが?今日は赤い石が良いそうだ。

「梅、赤くないがこれはどうだ?緑と白が綺麗な縞になっているぞ。」

「…おぉ、あにうえすごい♪」

お気に召した様だ。

「若、姫様、出来たぜ。」

と、そこに上から松吉の声が掛かる。

「お、梅、飯だ。行こうか。」

「え~!?もうちょっと。」

「冷めてしまうぞ。今日は松吉が肉を獲って来ているぞ。」

「おにく!?いく!」

途端に梅は目を輝かせて方針転換をする。

「梅の方は何か良い石はあったか?」

「これ。」

握った右手を開いて石を見せてくれる。濃い赤褐色と薄紅の二色から成る石だ。

「おぉ、これは美しい石だな。良く見つけたな。」

「むふ~、そうなの♪」


「わぁ、いいにおい♪」

小屋の外まで漂う香ばしい匂いに梅が引き寄せられて行く。

「こら、先に手を洗わねば食べさせぬぞ。」

「…は~い。」

気もそぞろに井戸で手を洗い、囲炉裏端に座る。

「わぁ、おにくだ♪」

俺の脚の間に座り、囲炉裏で炙られる兎肉を見て歓声を上げる梅。今日は味噌を塗って焼いているせいでいつもより更に凶悪な匂いが漂っている。

「まつきちがとってきたの?」

「お、若に聞いたのか?そうだぞ、今日は俺が獲ったんだ。」

「すごいね~、えらいね~♪」

なんて言いながらも視線はお肉に釘付けだ。最早、松吉と話しているのか肉と話しているのか分からない状態である。

「ほら、若鷹丸。」

「お、すまん。」

嶺が椀に芹と三つ葉の粥を装ってくれる。粥に青菜が爽やかな香りを加えている。

「チビの分は少しで良いんだろ?」

「あぁ、肉もあるし夕餉が食べられなくなるからな。」

梅には椀の底に申し訳程度に粥が装われる。肉に夢中の梅は粥が少ない事にもチビと呼ばれた事にも反応しない。

「さぁ、姫様どうぞ。若様と二人分ですぞ。」

焼けた肉を源爺が切り分けてくれる。皿には俺の分と二人分乗せられたが果たして俺の分は残るだろうか…

「いただきま~す♪あにうえ、はやくふ~ふ~して♪」

「分かった分かった。そこに居るとやりにくい。一度どいてくれ。」

「うん♪」

期待に満ちた目に見つめられながら肉を吹いて冷ます。

「これくらいで良かろう。」

俺がそう言うと当然の様に元の位置に収まる梅。あ、嶺に向かって勝ち誇った様な顔をしたぞ。

「ちょっとチビ!何か言いたい事でもあんのかい!?」

どっちが年上だか分からんな…

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る