二章・別れ(少年編弐)

二章其の壱 十二歳、冬

1・十二歳

 遥か遠くに輝く海を南の尾根から眺める。最近、無性にここに来て遥か彼方の海を眺めたくなるのだ。

 正月を迎え十二歳になった俺は南の尾根に登り海を眺める。外套に仕立てた黒い熊の毛皮の下の体は五尺に少し足りない位に大きくなり、この時代の平均的な大人と並んでもほとんど背丈は変わらない。あれ程重く感じていた毛皮を身に纏う事も苦にならなくなった。腰に差した脇差も同様だ。

 最近は霧丸と松吉とは行動を別にする事が多くなった。別に仲違いした訳ではなく、俺の勧めでそれぞれの長所を伸ばすよう経験を積んでいるのだ。霧丸は与平の行商について村や町を回り見聞を広め、松吉は定吉兄弟と山々で狩りを行っている。二人共、日々経験を積み、師匠からの評価も上々の様だ。特に与平について回る事には俺も付いて行きたい位なのだが、立場上そうも言えない。

 視線を実野川の下流へ向ける。一度無理を言って見に行った奥津の湊の賑わいを思い出す。あの賑わいとは比べるべくもないが、ここ数年で山之井庄も大分活気が出て来た。経済的に余裕が出来た事が原因だろう。振り返って見ると狭邑郷から炭焼きの煙が上がっている。冬場の炭焼きもすっかり定着した。尤も、食料生産力は増していないので人口はほとんど変わっていないが。そろそろ農業関係にも口を出すべきだろうか。実は俺が今まで口を出して来た部分は、民が今までやって来た事にはなるべく手を出さないという点も重視していた。理由は人間は基本的に変化を嫌う傾向にあると考えているから。特に上手く行っている事に関しては尚更だろう。そこで今までやっていなかった事から手を付けて実績を作ってきた。そろそろ田んぼを何枚か使って塩水選や正条植えなんかを試してみるべきかもしれない。


 しかし、良い事ばかりではない。実野盆地の勢力との確執は強まるばかりで、毎年の様に小競り合いが起こっている。城の兵にも集落の民にも帰って来なかった者が何人もいる。

 もう一つの問題は母との間に距離が出来ている事だ。紅葉丸の成長につれ、実子の紅葉丸に家を継がせたいという思いが出て来たのだ。否、正しくはそれを意識させた者がいるのだ。誰あろう小嶋孝政である。三田寺からお目付け役でやって来た彼は、盛んに紅葉丸の家督継承を吹き込んだ。その結果、母はそれを意識する様になり、俺との関係がギクシャクしているのだ。当然、その他の山之井の者(落合や狭邑も含んで)はそれに強く反発しており。俺の祖父でもある落合の爺を筆頭に家中は真っ二つに割れているのが現状だ。どうも、孝政は最初からそれを念頭に置いて山之井へやって来たらしい。これについては三田寺の御爺も頭を痛めており、このままでは山之井は三田寺の寄り子からの離脱も有り得ると危機感を持っているらしい。ここへは紅葉丸を連れて来た。最近は紅葉丸もその空気を感じてか、俺と一緒に居る事は少なくなった。ただ、今日は久し振りに声を掛けて連れ出したのだ。


 山を下りて繋いでいた馬に跨る。十歳から始めた馬の稽古も既に一人で乗り回せる程度にはなっている。後ろに紅葉丸を乗せ領内の見回りを再開する。狭邑川を渡ろうとすると、空の船を曳いた狭邑の村衆が河原を上って来る。

「これは若様、見回りですか?ご苦労様ですな。」

馴染みの村衆が気安く声を掛けて来る。

「そちらこそ精が出るな。」

「お蔭さんで、稼ぎが倍になりましたんで、皆より一層張り切っておりますよ。」

「そりゃ何よりだ。張り切りすぎて船を引っくり返さないように皆に言っておいてくれ。」

「ワハハ、良く言っておきます。」

ひとしきり笑いあって別れる。一日一度、三田寺に運んでいた炭の運搬は、この冬から与平にも売ることになり、一日二度の運搬に増えていた。その為、前日の午後に川俣まで運んだ炭を朝一番で三田寺へ運び、当日の午前に運んだ分はその日の第二便にて実野川の川向こうに運ばれて与平の田代屋へ引き渡される様になった。山之井が三田寺に運ぶ炭を指を咥えて見ていた与平は、事ある毎に自分たちにも卸せと言ってきた。実際、輸送容量的には一日二度運べる事は最初から分かっていた。しかし、山の木の量、炭の生産量、運搬の負担を考え、去年までは様子を見ていたのだ。今のところ問題なさそうだと判断し、今回の増産増便と相成ったわけだ。これで、民の生活もまた少し楽になるだろう。


 城に戻ると紅葉丸を迎えに近習の太助が玄関まで出て来た。約束通り、父と母は太助を紅葉丸の近習として付けてくれた。俺との仲は正直なところギクシャクしているが明るい紅葉丸と物静かな太助の組み合わせはそう悪いものではないと思う。

「若様、紅葉丸様、お帰りなさいませ。」

「太助、ただいま。」

「今戻った。」

「若様、梅様がお待ちです。」

太助が俺にそう言うと同時に、

「あにうえ〜!」

とてとてと廊下の奥から妹の梅が走って来た。


 色々とあった中でも一番の変化といえば妹の梅が産まれた事だろう。四歳になった今は頻りに馬に乗りたがる様になった。今日も出がけに帰ったら馬に乗せると約束させられていたのだ。

「待たせたな梅。行こうか。」

「うん、おうま♪」

左腕で梅を抱き、馬に上がる。

「さて、どこへ行こうか。」

そう聞きながら、前に梅を座らせる。馬を歩かせ門を潜って再び城の外へ出る。

「おふねは?」

「今日はちと遅いからもう船は行ってしまったなぁ。」

「え〜…じゃあ、おてら。」

「お寺?お寺に行きたいのか?まぁ、良いか。では、行こうか。」


 寺の階段の下に馬を繋ぐ。梅は馬から降ろしてやった途端に駆け出す、

「階段か…」

なぜ奴等は、階段を無意味に上り下りするのだろう…楽しそうに階段をぴょんぴょん上る梅に追い付く、

「梅、最初に和尚に挨拶に行くぞ。」

「え~!?ここでまってる。」

「駄目だ。ほら、行くぞ。」

梅を引き摺って階段を上る。

「やー!!」


「和尚、お邪魔するぞ。」

庫裏の玄関で声を掛ける。

「おや、若様に梅様。如何なさいました?」

「いや、梅がお寺に行きたいと言うので連れて来たんだが、目的は階段だった様だ。」

「ハハハ、左様でしたか。お好きなだけどうぞ。」

「そうさせて貰おう。民の様子で何か気になる事はあるか?」

領民の様子は自分でも見て回る様にしているが本音の部分は中々領主側には伝わって来ないものだ。そんな時に僧や神官は本音を聞いている事が多い。

「お蔭様でこれと言ってございませんな。皆無事正月を迎えられましたしな。ただ、戦が多いのは皆気にしておりますな。」

「それは、俺も気になっているのだが、こちらがどうこう出来るものでもないしなぁ…」

「左様でございますな…」


 領内に大きな問題は無さそうだと分かったところで階段を上下するお仕事に戻る。

「あにうえ、て~!」

「て?手か?」

階段の三段目に立つ梅が言うので手を伸ばす。その手を掴んだ梅が、

「とぉ~!!」

手に掴まったまま階段から飛び降りる梅…兄はちょっと妹の将来が心配だ…

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る