59・待望の
いそいそと寝床の用意をする。待ちに待った毛皮が思わぬ所から手に入ったのだ。板の間に毛皮を敷き、上から着物と蓑を掛ける。さて、それでは…わくわくしながら中に入る。夏の間に作った蕎麦殻の枕に頭を乗せる。非常に良い!!うん、これは良い物だ。寒さに震える夜にさよなら出来る気がする!!
朝が来た。熊の毛皮に包まれて、このまま冬眠したい…この世界では、冬の朝は寝ている方が寒いので仕方無しに起きる日々だった。しかし、これからは違う。某ロックバンドのヒット曲の様に、布団の中から出られないのだ!もう、父との稽古なんてどうでも良い。
…怒られた。こっ酷く怒られた。昨日今日と毛皮の温かさに二度寝をかまして朝稽古をすっぽかしただけなのに、父に怒られたのだ。何が悪いって毛皮が温かいのが悪いのだ。つまり、毛皮を持って来た嶺達が悪いのだ!!それなのに罰として物見小屋での物見を言い付けるなんて全く以って不当と言わざるを得ない。誠に遺憾である!!
谷を見張る。小屋の中から見張れるので吹きっさらしでは無いのが救いだ。早めに建てて良かったと思う。こんな事に二人を付き合わせても仕方無いので物見をするのは俺だけだ。蓑を被って窓から外を見張る。毛皮を被れば防寒的には一番なのだが、毛皮って奴は思った以上に重いのだ。この体格では運ぶのも、被って立っているのも難儀するのだ。よくよく考えてみれば、革ジャンなんかもかなり重いのだから、更に毛の付いた毛皮は重いのは当たり前なのだが。
心配した小屋が谷から見えてしまう問題についても、木の柱と屋根に土壁と言う作りは我等が物見にやって来るときでさえ、大分近付かないと見付からない事から、谷から見上げて見付かる事はまずあるまいと言う意見で落ち着いた。誰も確認に行っていないのか?と問われれば、行っていないと答えざるを得ない。ほぼ問題の無い事をわざわざ確かめに行くのが面倒なのだ…
夏にやって来た賊について改めて考える。奴らは恐らく斥候の役目を果たしていたのだろう。勿論、本人達にはそんなつもりは無かっただろうが、唆した奴が居る事は分かっているので、こちらの警戒や防御の具合を確かめる為に襲わせたのだと思う。現代風に言うなら威力偵察だろうか。ひょっとするとそれ以前に隠密偵察が来ていたのかもしれない。少なくとも横手から山之井まで抜けられる事は確認していたはずだ。
だが、誰も戻って来ない有様から、こちらの警戒が高いと感じたのか、以降は何も行動を起こしていない。少なくとも我等は察知出来ていない。山之井にとって幸運だったのは奴らが威力偵察を行った事だ。隠密偵察に留め、いざと言う時に全力で谷から攻められていたら勝ち目が無いとまでは言わぬものの、相当の被害を被っていたのは否定のしようが無い。結果的にこちらの警戒を高めた(高めたと言うよりは元々無警戒だったのだが…)だけに終わったのだから幸運と言って良いだろう。
五日程経って漸く罰当番から解放された俺は定吉から鹿の毛皮を受け取った。勿論代金はその場で支払った。そして、普段の礼として霧丸と松吉に贈ったのだ。本当は俺の分も頼んでいたのだが、俺は熊の毛皮が手に入ってしまったので不要になったのだ。翌日、朝一番に二人に聞く。
「毛皮はどうだった?」
「凄く温かかったです。寒くて起きる事が無かったから。」
霧丸は嬉しそうに答える。
「家も婆ちゃんが凄え喜んでるぞ。」
ん?
「婆ちゃん?」
「あぁ、温かいって若が言うから婆ちゃんとチビ達に使わせてるんだ。マズかったか?」
「「……」」
なんだろう、この人として負けている感…
「い、いや、年寄りは大切にしないとな。立派な心掛けだぞ。」
俺は松吉と目を合わさずにそう答えた。今更、あの温かさを失うなんて耐えられない…今日のところは俺の負けにしといてやる!!
そして、時を同じくして与平本人が飛んできた。正月までに椎茸が何としても追加で欲しいようだ。
「若様、この度はお報せ頂きましてありがとうございます。」
「わざわざお主が来たのか!?」
「はい、前々から山の民とは取り引きしたいと思っていたのですが、伝手は実野盆地の商人に皆押さえられておりまして。」
成程、商機を狙っていたのか。
「そうか、しかし彼等は商人に対してかなり不信感を持っている。交渉するなら慎重にやってくれ。」
「畏まりました。それで、いつ会えますでしょうか?」
「それは、向こう次第だ。こちらから合図を出して、それを見たら向こうが来る。そんな曖昧な方法なのでな。松吉、悪いが定吉の家までひとっ走りして合図を出してくれと頼んで来てくれるか?」
「うん、分かった。それで通じるのか?」
「大丈夫だ。通じる。」
「分かった、行ってくる。」
そう言うと走って行った。
「与平はこのまま寺に逗留するのか?」
「そのつもりです。」
「では、彼等が来たら、そのまま寺に案内する故、なるべく寺に居てくれ。」
「分かりました。ところで若様、炭を売り始めた様ですが…」
耳が早いな、
「あれには商人は噛ませんぞ。三田寺の領民の負担が増えるからな。」
「左様ですか…」
あからさまにガッカリしている。
光繁は翌日にはやって来た。中之郷で落ち合う。今日は嶺は連れて来ていない。なんだかんだ彼等も期待していた部分が有る様だ。
「随分早かったな。」
「うむ、まぁ、そう遠くない所に居たのでな。」
「そうか、相手は寺で待っているから共に行こう。」
常聖寺では与平が首を長くして待っていた。
「若様、お待ちしておりましたぞ。そちらが?」
「うん、光繁と言う。山の民の何だ?お主の立場はなんと言うのだ?頭か?族長か?」
「頭と呼ばれるな。正式に何と言うかは知らんが。そもそも、俺達は自分達を山の民とは呼ばぬしな。」
そりゃそうか。そこへ、与平が挨拶をする。
「田代屋の与平でございます。この度はお取り引き頂けると言うことで。誠にありがとうございます。」
「まだ、取り引きすると決まったわけじゃねぇ。小僧が商人にも信用出来る奴が居るって言うから確かめに来ただけだ。」
これは、先が長そうだぞ。
「左様ですか。では、なるべく早く信用して頂ける様に早速商いの話を致しましょうか。」
「…そうだな、それが良い。」
「まず、物を拝見出来ますか?虫食いだったり、小さかったりすると値が変わりますので。」
「わかった、これだ。」
光繁が荷物から椎茸を取り出す。十個はあるだろうか。
「これだけの数があると私共も助かります。お話の通り、一つ一貫で如何でしょう?」
「そ、そうか、俺達も異存は無い。だが、聞いているだろうが俺達は米が欲しいんだ。」
おや、意外とすぐに纏まるかもしれない。
「米ですと運ぶのに手間賃を引かせて頂きますが、宜しいですか?」
「どの位だ?」
「一貫一石として俵で二俵半ですが、二俵で如何でしょう?ただ、今すぐにご用意出来ません。一度戻って手配する事になります。」
「二俵か…分かった、今までに比べれば雲泥の差だ。それで良い。」
「それと、出来れば椎茸は今すぐにでも欲しいのです。今日のところは銭と銀でお支払いして、後日運んだ米と再度交換という形で如何でしょうか?」
光繁が答えに悩んでいる。
「良いのではないか?銭としては今までより遥かに多く手に入るのだ。最悪、米が届かなくてもどこか里に下りてその銭で買えば良いではないか。それに与平が約束を破ると、俺の顔を潰す事になる。それは与平の商いにとって良い事ではないからな。」
少し、助け船を出してみた。
「そうか…小僧がそう言うならそうしよう。」
ふむ、纏まった。特に揉める事もなく良い取り引きだったのではなかろうか。
「では、お支払いを。」
支払いも滞り無く済んだ。
「光繁、塗物は持って来てくれたか?」
取引が無事に終わったので聞いてみる。
「あぁ、持って来た。」
そう言って、木目の見える椀と朱漆で塗られた椀。それから膳を出した。
「他にも言われた通り、思い付く物は持って来た。」
毛皮に竹製品だ。
「これは、中々良い塗物ですな。」
早速、与平が喰い付いた。
「お主に見て貰おうと思って光繁に持って来て貰ったのだ。やはり、良い物か?」
「えぇ、十分に売り物になる品です。」
「そうか、幾ら位になりそうだ?」
光繁が身を乗り出して聞く。
「取り敢えず、朱漆の膳は三百文、椀は百五十文、生漆の方は百文。最低でもその位にはなりましょう。」
「悪くは無いな。」
言葉とは裏腹に満更でもなさそうな様子だ。
結局、今後は与平達が山之井に来る春と秋に光繁達も荷を持ってやって来る事で話がついた。
「それと、お互いが取り引きするコトについては外に漏らさない方が良いと思うがどうだ?」
俺が最後にそう言う。
「何かマズいのか?」
光繁がそう聞く。与平も意外そうな顔をしている。
「妬まれたりすると面倒だ。特に光繁達から今まで買い叩いていた奴らは面白くないだろう。変な邪魔をされるのは嫌だろう?それに、山之井としても実野の連中とこれ以上関係が悪くなるのは有り難く無いのだ。」
「そうか、俺達も面倒は御免だな。」
「今までの商人とはどうするんだ?」
「無視だな。山から下りなければ関係無いだろう。」
「そ、そうか。与平も良いか?」
「はい、私共も問題ございません。」
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