53・遥か遠き海

 山の木々もすっかり色付いた。今朝は朝一番で南の尾根に登っている。足元の下草も大分勢いを失い、歩きやすくなっている。紅葉の滝を見に、母と共に狭邑に泊まった翌朝のことである。紅葉に囲まれた滝は、それは見事なもので、紅葉丸ですら暫くじっと黙って眺めていた位であった。

 狭邑郷の人々だけが見に来るのでは勿体無い。狭邑郷の人々以外も見に来る様になれば領内の人の交流も増えるであろうか。取り敢えず、誠右衛門と康兵衛に見に行く様に言ってみようか。いや、和尚と宮司もかな。そうすると上之郷と落合から、なぜ誘わないのだと怒るかもしれない。紅葉が美しい内に、一度皆を集めてみるのも良いかもしれない。


「あにうえ、つかれた…」

目の前を一生懸命登っている紅葉丸が口をへの字にして振り返る。

「良し、少し休むか。あそこの倒木のところまで行って座ろうか。」

「は〜い…」

結局、母は山登りは厳しいと言うことで同行しなかったが、紅葉丸は強硬に同行を主張した。

「若様、もう半分は大分越えましたのでそう急がずとも大丈夫です。」

同行してくれた行和叔父がそう言いながら、紅葉丸に水筒を渡す。俺も腰籠から干柿を一つ取り出して紅葉丸に渡す。

「わぁ♪」

途端に顔をほころばせる紅葉丸。この干柿は第一次生産分で。先日無事に完成した。三百個程…ちょっと作り過ぎた気もするが毎日食べられるので良い気もする。尚、現在第二弾が同じ量、絶賛生産中である。

「叔父上、やはりこちら側は木が多いな。集落から遠いからかな?」

「でしょうな、切り出しても運ぶのが手間ですから。」

「ならば、炭焼はこちら側の木を使った方が良さそうだな。」

「しかし、運ぶのが面倒なのは変わりませんぞ?」

「炭俵なら子供でも一人一つは運べるさ。川まで運べば良いのだしな。丸太を運ぶのとは訳が違う。」

「成程、確かにこちらで焼いてしまえば良いですな。」

つい、そんな事ばかり考えてしまう。

「あにうえ、いこ〜」

お、紅葉丸が復活したようだ。


 広大な芳野平野の先に光り輝く海が見える。空との境界に薄っすらと見えるのは余島だろうか。その間は前世の瀬戸内海と同じで多島海なのだろうか、潮の流れが激しく航海の難所だろうか、水軍が跋扈しているのであろうか、興味は尽きない。

「うみ?」

紅葉丸が良く分からないといった様子で呟く。

「そうだ、あれが全部水らしい。どこまでも水なのだ。」

「はぇ〜…??」

目を真ん丸にしている。理解が追い付いていないのだろう。

「あれが全部水なのか。」

「海は塩っ辛いんだろ?」

「和尚様はそう言ってた。後は波があるんだろ?」

「その波が良く分からないんだよ。川の水が揺れているとは違うのか?」

「俺だって見た事ないからわかんないよ。」

霧丸と松吉も初めて見る海に困惑している。遠くから見ただけでは分からないだろうな…一度湊へ連れて行きたいな。


「それより、平野は広いな。田んぼの数が山之井とはえらい違いだ。」

松吉は海より平野の広さが気になるようだ。

「だけど、若様が言う通り、木が無いな。」

「確かに。山っぽい所もあんまり木が無い。」

「二人共、目の前の斜面も見てみろ。ここから向こうは三田寺の領地だが、やはり木が少ない。」

「本当だ…同じ山なのに…」

「生えている木も細いぞ。」

その後、二人は平野のあれこれについて話していた。本当は海を見せに連れて来たのだが、感じるところがあったならそれはそれで良いか。


 その後、山之井は冬支度の季節となった。脱穀した後の稲藁を用いて、来年分の道具を作り。冬に乾燥させる木材や竹材の切り出しも進める。今年からは炭焼きも大規模に開始するので、切り出す木材の数も多くなる。しかしその分、収入も増える民としては例年以上に張り切っている様子だ。

 そんな頃、田代屋からの使いが山之井へやって来た。寺で顔を会わせる(城は色々マズい)。やって来たのは城で女達に反物を見せていた男だった。田代屋の中でも、それなりの立場に居るのだろうと思っていたが、聞けば番頭だそうだ。それなりどころでは無かった。

「待っておったぞ。これが追加の分だ。」

そう言って袋に入れた干し椎茸を渡す。今回は五本用意出来た。目を付けていた中で、大きく育ったのは半分程度だった。やはり、自然相手は予想が難しい。

「確かに頂戴致しました。これだけあると助かります。して、お支払いは銭と銀、どちらに致しましょう。」

「銭で良いか?銀で貰って貯めておきたいのだが、銭は入って来る分、すぐに出て行くな。ちっとも貯まらん。」

俺が、そう苦笑いすると。

「銭はお足とも呼ばれますから、そもそもそういう物なのでしょう。当家も中々どうして。」

そう言って笑ってくれた。

「そうか、与平でも貯まらんなら、俺に貯まる訳がないな。」

そこで番頭は表情を改め、

「実は、主が山之井籠を至急作って頂きたいと。数は無制限。お代は一個二百文でお願いしたいと。可能でしょうか?」

「二百文?そんなに売れたのか?」

驚いて聞き返す。

「実は、奥津の湊に持っていったところ。半日保たずに売り切れまして。あちこちから引き合いが来ております。」

なんと、そこそこ売れるのではないかと期待していたが予想以上に売れた様だ。

「分かった、至急女衆に頼んでみる。この後、一緒に下之郷に行こう。」

「畏まりました。では、こちらは籠の代金として、二百文が三十個で六貫と椎茸が五貫、締めて十一貫になりまする。」

「三貫は女衆に支払う分故、下之郷で受け取る。残り八貫か。やはり、半分は銀で貰うか。少しは貯めないとな。」


 その後、松吉の家に行き、母御に会う。

「母御、腰籠があっという間に売れたそうで。追加が幾らでも欲しいそうだ。与平は一個二百文で買うと言っている。皆に急ぎで頼めるか?それと、これは前回の分の追加だ。皆に配って欲しい。」

「まぁ、二百文ですか?それは助かります。この時期は皆、色々作るものが多くて大変でしょうが二百文となれば張り切ってやりましょう。すぐに声を掛けます。」

「うん、お願いする。それとな、二百文で売れるのは最初だけだ。今は珍しいから飛ぶように売れるが、欲しがる者が買ってしまえばその後は、そうそう沢山は売れないだろうし。何より、売れると分かれば真似される。いつまでも高く売れる訳ではない。それまでになるべく作るんだ。だが、出来も気を付けてくれ。出来の悪い物が混じると今後に響く。それから材料ももっと必要になる。今時分に切り出している竹の量も増やすように皆に言ってくれ。」

「分かりました。」


 松吉の家での話が終わる。

「このまま田代に帰るのか?」

「はい、急ぎ戻ります。」

「では、落合まで行こう。上手くすれば三田寺へ行く船に乗れる。」

そう提案する。

「米を運んで頂くという船ですか?」

「そうだ、漸く完成したので、今は民が交代で慣らしをしている。一日二回出るので、ニ回目に間に合うかもしれん。」

「それは助かります。」

その後、番頭一行を船に乗せた。慣らしをする民は、下りなら幾らでもと笑って乗せてくれ、実野川の対岸まで行ってくれると請け負ってくれた。追加の籠も船で運ぶことにした。



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お読み頂きましてありがとうございます。

一章其の参はここまでとなります。お気に召しましたらフォロー、評価等頂ければ大変励みになります。

次回からは冬編。新たな出会いが若鷹丸を待っています。

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