39・後始末
始まった様だ。狭邑郷の方向から声が聞こえて来る。人数的に負けはあるまい。だが、狭邑の男の数と賊の数にはそう大きな差はないはずだ。せめて死者が出ないと良いのだが…そう思っていると、後ろから馬の駆ける音がする。振り返ると爺と永由叔父が馬に乗って駆けて来る。
「爺!」
「若様、どうしてここに!?いや、何があったのです!?」
爺が驚いたように馬を止め跳び下りる。
「北の谷筋から賊が入り込んだ。今、この先で行連を中心に迎え討っている所だ。叔父上、ちと物見に出てくれんか?相手は十五人程、こちらは五十を大きく越えている。負けは無いと思うが。」
「わかりました。ちと見て参ります。」
叔父が馬に跨り駆けて行く。
「むしろ爺はなぜ来たのだ?誰か報せたのか?」
疑問に思っていた事を聞く。
「城の見張りが、下之郷の方が何やら騒がしいと報告して来ましてな。櫓に上がって見れば兵まで駆けて行くではありませんか。何故こちらに報せてくれなかったのです?」
おっと、藪蛇か?
「さっきも言ったが、人数は充分集まったのだ。一刻も早くそれで狭邑に助けを出さねばならなかった故、落合は後回しにしたのだ。むしろこの後、三田寺に居る父に使いを出さねばならぬ。爺か永由叔父に頼めるか?」
「むぅ、理には適っていますな。殿の元へは某が参りましょう。その為には状況を説明して頂かねば。」
「うん、わかっている。取り敢えず叔父上が戻ってからだ。」
永由叔父はすぐに戻って来た。
「若様、戦いは既に終わっておりました。御味方に損害は無いそうです。」
「そうか、人死は無かったか。一安心だ。爺、乗せてくれ。現場へ行こう。叔父上は霧丸を乗せてやってくれるか?」
漸く一息吐けると思っていたのだが、叔父が微妙な顔で。
「若様、本当に行かれるのですか?一応戦場ですから、それなりに血やら死体が転がっておりますぞ?」
成程、子供に見せる物では無いか。
「俺は行かぬ訳には行くまい。霧丸はここに残って宮司殿の手伝いをしてくれ。宮司殿、避難した女子供と年寄りを家に戻してくれるか?」
霧丸は一瞬不満そうな顔をしたが、叔父の言葉を思い出したのかあっさりと引き下がった。
「畏まりました。早速、皆に伝えます。皆、喜びましょう。」
宮司はそう言うと霧丸を連れて森に向かって行った。
「「若様!」」「やりましたよ、若様!」
現地へ着くと、皆が顔を上気させて声を掛けて来る。確かに踏まれたり石や矢を受けたりで息絶えている者が転がっている。だが余り強い感情は浮かんで来なかった。何度も戦場へ向かう父を見送った。何度も帰って来なかった者の話を聞いた。だから多少の覚悟は出来て居たのかもしれない。
「怪我をした者は居ないか?」
皆に聞いて見るが大丈夫そうだ。
「行賢の大叔父、行連!」
二人を見付けて声を掛ける。
「若様、素早い後詰め、感謝致しますぞ。」
行賢がそう答える。
「何を言う。行賢の大叔父こそ良くやってくれた。一人も失わなかったのだろう?」
「若様がしっかりとした使いを走らせてくれたお陰で、後詰めがすぐに来ると分かっておりましたのでな。」
行賢の大叔父がそう笑って言う。
「そうか、松吉はちゃんと着いたか。怪我は無かったか?」
「足の裏の皮が剥けた程度ですが、此度の戦では一番の重症かもしれませんな。ワハハハ!」
松吉も無事で何よりだ。無茶はしたが、後でしっかりと褒めてやらねばな。それで本人も周りの目も少しずつ変わるだろう。
「因みに敵は皆、石や矢で倒したのだな?」
「左様です。それが?」
「では分捕りの権利が誰かに偏る事は無かろう。これ以上血で汚れる前に身ぐるみ剥いでしまえ。死体の処理も頼む。夏場だからな。」
この時代、倒した敵の物は倒した者が手にする権利がある。だが、弓や石で倒した場合は誰の手柄かわかり辛くなる。揉める前にこちらで抑えよう。
「確かにそうですな。首は如何なさいます?」
「捕らえた者はおるか?」
「騎馬の者を一人、それから槍持ちが数人ですな。」
「騎馬の者が居れば首は要るまい。大体、山之井に晒しても仕方無いし、首を担いでこの先の山を越えるのも、皆嫌だろう。万が一どこかの手の者であると分かったら、捕らえた者の首を送ってやれば良かろう。」
「そうですな。和尚を呼びましょう。」
「うん、そうだな。誰か呼びにやってくれ。それから大叔父、皆に飯位は食わせねばならぬと思うがどう思う?」
「確かに、戦に狩り出した事には違いありませんから一食分位は出しても良いかもしれませんな。」
「爺もそれで良いと思うか?」
「まぁ、ちと人数が多いですが宜しいのではないかと。」
「よし、一人一合とあの倒れた馬をバラした肉でどうだろう。狭邑は兵糧米の蓄えは大丈夫か?」
「潤沢とは言えませんが、その程度なら造作もありません。肉が付くなら皆喜びましょう。」
「可能なら中之郷、下之郷の分も立替えてくれ。勿論、俺が戻ったらすぐに借りた分は運ばせる。」
「わかりました。儂が一度館に戻って運ばせましょう。」
「では、この場の仕切りは、行連に任せて我等は狭邑へ行こう。一番の怪我人を見舞わねばならぬからな。」
そう言うと皆が笑った。
「和尚の迎えには倅を遣りましょう。」
爺が言う。
「頼む、ついでに帰りに下之郷で、霧丸も拾って来てくれ。アイツも飯を食う権利がある。松吉と同じ位は働いたからな。」
永由叔父は常聖寺に向かい、俺と行賢大叔父と爺は、兵を何人か連れて狭邑に向かう。すぐに矢を拾っている中年と老人の境位の男と行き会う。
「猟師の正助か?」
馬上から声を掛けると、子供が居るのが不思議だったのか困惑した表情で、こちらを見上げて答えた。
「へぇ、儂が正助だが。」
「山之井の若鷹丸だ。狭邑に弟子を何人も抱えた腕の良い猟師がいると聞いて居たのでな。すぐにわかったのだ。」
「若様でしたか。左様で…」
少しくすぐったそうな表情を見せた後、ポツリと答える。これはあれだ、源爺と似たタイプの職人気質の男だ。霧丸と松吉は、上之郷の定吉、勝吉兄弟に懐いているが本質的にはこの男も面倒見の良い男なのだろう。でなければ弟子を何人も抱えたり出来まい。ただ、子供から見ると少し無愛想でおっかないのだ。それで特に松吉は避けているのだろう。
「矢の回収が終わったら、あの馬をバラしてくれんか?皆で焼いて食っちまおう。ついでに皮も鞣してくれると助かる。」
「へい、矢を拾ったらすぐにやります。」
そう頼むと、すぐに請け負ってくれた。
狭邑の館に着くと、松吉は門の前で足を投げ出して座り込んで居た。足には布が巻かれている。
「若!!どうなったんだ!?」
「うん、お前が頑張って走って、正しく伝えてくれたお陰で誰も死なずに済んだわ。良くやってくれた。」
「そうか…」
松吉は安心した様な、どこか寂しそうな、そして少し嬉しそうな顔をして、そう答えた。
「無理だと思ったときは、他の手を考える事も大切だ。」
「うん…」
本人にも無茶をした自覚があるのだろう。だからこんな顔をしているのだ。
「だが、今回はお前の頑張りが良い結果を生み出したのだ、誇って良いと思うぞ。」
「うん。」
漸く顔が笑顔になる。
そうこうしている内に、館から米だの塩だの釜だのが運ばれて行く。それを眺めていた松吉の腹が鳴る。
「戦に出た者には飯が出るんだ。お前も行くだろ?」
「行く!!あ、でも…」
「良し。爺、松吉を乗せてやってくれ。俺は歩きで構わん。」
「わかりました。」
松吉に最後まで言わせずにそう言った。
近くの河原で飯が振舞われる。和尚に念仏を上げて貰った後、皆で河原に移動し火を熾して飯を炊いた。飯の炊ける匂いと、肉の焼ける匂いで辺りは一杯だ。和尚と共にやって来た霧丸は、松吉を見ると。
「怪我をしたのか!?」
と、慌てた様子を見せた。
「走り過ぎて足の裏の皮が剥けたんだ、たいした事じゃないよ。」
松吉がそう返すと、少し安心した様子だった。
我々の所にも飯と肉が運ばれて来た。
「我等も食って良いのですかな…」
「落合から駆け付けたのだ良いのではないか?」
爺は戦に参加していないので遠慮がちだ。
「これなら毎日戦でも良いな。」
そんな冗談も遠くから聞こえて来る。
「冗談じゃ無いよ…それじゃ俺の足の皮が何枚有っても足りないじゃないか…」
松吉のボヤきに皆が笑う。確かに毎日こんなに米を出していたら我が家の蔵はあっという間に空っぽだ。いや待て…馬が一頭手に入った。あれの価値を考えれば余裕で黒字か?いやいや、馬鹿な事を考えるのはよそう。
「あ、松吉、お前は暫く城に来るなよ。怪我が治るまでは駄目だぞ。」
「えぇ!?なんでさ!?」
松吉が悲鳴を上げる。
「稲刈が近いんだ、それまでに治さんと。母御は怪我が治っていなくても、間違い無くお前を稲刈に狩り出すぞ。」
「うっ…でも稽古が…」
怪我を押しても剣の稽古がしたいのか。
「それなら、座ったまま振れば良いのだ。腕の鍛錬にもなるし、新しい事に気が付くかもしれんぞ。」
爺が優し気にそう言う。
「爺…俺には、すっぽ抜けた木刀が大惨事を引き起こす光景が目に浮かぶぞ…そうなったら、迷わず教えたのは爺だと母御に言うからな。」
「松吉、今のは無しだ…」
皆でまた笑った。
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