38・損害無し
馬に揺られて下之郷に向かう。いつもの並足では無い、駆足だ。完全に走っている。小型の馬とはいえ、人が走るより遥かに早い。中之郷を過ぎた辺りで、先行した守兵達に追い付く。このまま追い抜いて先行したいが、俺が居る事を考えれば兵の中に居た方がいいだろう。
「行連、皆と速度を合わせてくれ。」
「はっ」
あからさまに、ホッとした様子を見せる行連が馬の速度を落とす。
暫く走って、集落の手前で斜面に沿って左へ進路を変えさせる。
「そこを左に入れ。山沿いに稲荷まで突っ切るんだ。」
獣道より多少マシ程度の道に入ると、行連が若い兵に指示を出す。
「春太、神社まで駆けて、戦いが始まっていないか見て参れ。始まっていたら急ぎ伝えに戻れ。まだなら、我等がすぐに駆け付けると皆に伝えよ。」
春太と呼ばれた兵が駆けて行く。成程、指名されるだけあって中々の俊足だ。しかし、今の指示は俺から出さねばならなかったか?否、行連に指揮を執れと命じたのは俺だ。任せるべきだ。今度、どちらが正しいのか爺に聞こう。現実感の無さからか、益体も無い事が頭に浮かぶ。先行した春太が戻らぬまま、稲荷社に到着した。
「「若様!?」」
宮司と康兵衛が声を上げる。境内にはパッと見、五十人近い男達の姿が見える。本当に中之郷と下之郷の戦える男衆を全員引っ張って来た様だ。
「宮司、状況を説明してくれ。」
「はい、今しがた山の上より、狭邑郷へ向かったとの声が聞こえました。恐らく霧丸でしょう。数は全部で十五程の様です。」
霧丸もしっかりと役目を果たした様だ。
「物見は出しているか?」
「申し訳ありません。そこまで考えが至らず…」
宮司と康兵衛、それに誠右衛門が申し訳無さそうに答える。
「いや、良いのだ。それは我等の仕事だ。むしろ、良くこれだけの人数を集めてくれた。誠右衛門、康兵衛、皆を纏めて行連の下に着け!狭邑を助けに行ってくれ。残念だが俺はここまでだ。」
「「はっ!」」
二人が村の男衆を纏めに掛かる。
「皆、こんな詰まらぬ戦いで怪我等するなよ!!まだ稲刈りだってあるのだからな!!」
声を張り上げ、集まってくれた領民に声を掛ける。
「おぉ!」「秋祭りまでは死ねないなぁ!」
あちこちから声が上がる。
「行連、可能なら一人二人生きて捕らえよ。誰も怪我せずに出来るならだ。」
「畏まりました。では。」
すぐに隊伍を組んだ男達が行連に率いられて稲荷社の境内から駆け出して行く。それを俺は宮司と見送った。
「霧丸、居るか!?」
山に向かって声を掛ける。
「居まーす。もう少し。」
声が帰って来たが、あれは大分疲れているな。
「ゆっくりで良いぞ。良くやってくれた。」
そう声を掛けるとふと気が付く。
「宮司、松吉はどうした?」
「松吉なら狭邑へ伝えに行くと、ここへ来てすぐに。」
宮司が何を今更と言った様子でそう答える。
「アイツめ…自分で行ったのか。」
「若様が、そうお命じになったのではないのですか!?」
宮司が驚いた様に聞く。
「俺は狭邑へは人をやれと言った。確かに松吉以外とは指定しなかったから、自分が行くものと思ったのかもしれんが…」
「松吉が来た時に、私が聞き質す様な事をしたからかもしれません…」
宮司が悔やむような顔をする。
「いや、本人にもその自覚があるのだろう。自分達で思っているより、二人共遥かに良くやっているのだがな。まぁ、霧丸の様子では、途中で見付かって取っ捕まったなんて事は無さそうだ。無事に着いただろう。」
霧丸が疲れた様子で歩いて来るのが見えた。
==狭邑行賢==
山之井に賊が侵入する、久しく無かった事だ。狭邑郷の戦える男は皆呼び出した。全部で二十五人程だ。我が家の男を含めると三十人近い。若様からの指示は遠くから叩けだ。つまり人死を出すな。時間を稼げと言う事だろう。手頃な石を拾わせながら下之郷への道を進む。猟師の正助達が山から帰ってきた後だったのが良かった、我等と合わせて弓を使える者が十人近い。
谷に近付いた辺りで、斜面に沿ってやって来る男達が目に入る。向こうは迎え討たれるとは思っていなかったのだろう。思わずといった様子で足を止める。全部で十五人程か。松吉の話より少し多いが、見付けてすぐに駆け出したのだろう。それを思えば馬の数も含めて充分に正確な情報と言える。
奴等はこちらの出方を窺っている様子だ。こちらも時間稼ぎが出来ると考えれば、それに付き合うのが良手だろう。
「最初に弓、次に馬を狙うぞ。小声で隣へ伝えよ。」
儂がそう言うと、皆が隣へ、そして前へと命令を伝えて行く。
痺れを切らしたのか、相手が前進を再開する。弓を持った二人が前へ出て来る。猟師の持つ短弓は我等の長弓より距離が出ない。まずは我が家の男で、あの二人を何とかしたいところだ。皆を後ろに下げて矢を放つ。目標が少なく、放つ矢の数も少ない。中々当たるものではないが、敵の槍持ちが射線を避けて左手へ回り込もうと進路を取った。騎馬は出て来ない。馬を惜しんだか?
「石は槍持ちを狙え、距離を保つのだ!正助達も槍持ちを狙え!」
走ってくる相手に石が当たる。一人倒れた。儂が下がると弟も倅達も下がる。それを見て民も下がる。徐々に徐々に下がって行きながら五人程倒した所で相手の足が止まる。こちらの動きに思う所があったのか、それとも抵抗の強さに警戒したのか。だが、どちらにしてももう手遅れだ。
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==狭邑行連==
稲荷社を出て狭邑郷へ向かう。儂が率いているのは、二ヶ村の男に、城の兵合わせて六十人程。こんな人数を率いた事など無い。山之井の殿だって無いだろう。そもそも、普段の戦に連れて行くのは精々三十人程度なのだ。それも小荷駄を入れてだ。そんな大人数を率いて生まれ故郷の狭邑郷を助けに行く。武士として、こんな男冥利に尽きる機会に恵まれる者は、そうは居るまい。
賊が下って来たという谷筋の小川を渡ると少し先に敵が見えた。既に戦端が開かれている様だが、敵はまだ狭邑の者に取り付けていない。何人かの敵は脱落して倒れたり座り込んだりしている。兄が上手くいなして居るのだろう。
「弓隊は前へ出よ。その他の者は、左右から距離を詰めるのだ。味方の矢に当るなよ!!」
その時、こちらの足音に気付いたのか、敵の一部が振り返る。状況を理解した者が谷筋の方へ駆け出す。
「左の者は逃げる敵を狙え!一人も逃がすな!!」
「「おぉ!!」」
皆、状況がこちらに有利であると理解しているのか士気も高い。逃げ出したのは弓を担いだ者達だ。尤も、弓は投げ捨ててしまったが。これで、兄の方は大分楽になるだろう。
最初に逃げ出した二人が、石に打ち倒される。既に石に打たれて脱落していた者達は、踏まれ、蹴られて更にずたぼろにされる。馬に乗った二人が迷いを見せる。馬は無傷で手に入れたい。思わずそんな欲が出た。
「人だけ狙え、なるべく馬には当てるな!」
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==狭邑行賢==
川を越えてやって来る味方の数は優に五十を超えるだろう。良くもこの短い時間であれだけ集めたものだ。後詰に気付いた敵の弓持ちが、弓を投げ捨て逃げ出すが、既に時期を逸している。
「槍持ちに集中しろ!」
残った敵もほとんど足が止まっている。それを掃討するのに、たいした時間は必要無かった。
「兄上、御無事ですか!?」
行連が馬に乗って駆けてくる。
「うむ、見ての通りよ。たいした怪我人も居らぬのではないかな。しかし行連よ、暫く会わぬ内に随分偉くなったな。馬に乗って五十人も兵を従えて来るとは。」
笑いながらそう言うと弟は苦笑しながら。
「若様に言われるままにやって来たらこうなりましてな。」
そう答えた。
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