37・駆けろ(※)

 走る。大丈夫、小さな時から何度も通った場所だ。尾根の端まで行ったら、お稲荷さんに続く下り坂に飛び込む。折れ曲がった坂を一気に駆け下りる。そうすれば、そこはもうお稲荷さんの裏手だ。

「宮司様!!」

大声で呼ぶ。

「何事ですか?」

宮司様の声がする。建物の中じゃない、境内の方だ。箒を持った宮司様に駆け寄って言う。

「…武器を持った奴等が北の谷間から来るんだ。若が宮司様に伝えて迎え討てって…」

宮司様の顔からサッと血の気が引く。

「…松吉、一応聞きますが本当の事ですね?」

「こんな事、冗談で言わないよ…」

少し疑われている。これは、俺が今までやって来た事の裏返しだ。

「わかりました、それで若様は何と?」

「男衆を集めて境内で迎え討て。なるべく印地で遠くから倒せって。中之郷と城からも助けが来る。後、霧丸が山の上で下之郷か狭邑郷のどっちに進むか見張ってるんだ。どっちに来るかわかったら伝えに来るから、狭邑に行ったら挟み打ちにしろって。若は多分狭邑に行くだろうって…」

言われた事は全部伝えたはずだ。

「じゃあ俺、狭邑に伝えに行かなきゃいけないから!!」

そう言ってまた走り出す。


 狭邑郷に向かって走る。足の裏が変だ。皮が剥けたのかもしれない。でも、止まるわけにはいかない。落ち着いて頭の良い霧丸と違って、俺はこう言う時に体を張らなきゃいけないんだ。そう自分に言い聞かせて走り続ける。多分、若は狭邑郷へは、他の人に行って貰えって言ったんだ。本当は俺だってわかってる。でも人を呼んで俺の下手くそな説明を伝えるよりは、俺が走った方が早い。違う、俺だって少しは役に立つんだって、証明したいんだ!!


 もう少しで谷の出口だ。これを越えれば狭邑郷はもうすぐだ。

「絶対に見つかるな!」「俺達三人の働き次第で、領民が何人殺されるか。米がどれだけ奪われるかが変わるぞ。」

唐突に若の言葉を思い出す。谷の前に飛び出しそうになって、慌てて一度止まる。草むら越しに谷の奥を覗くと、居た。まだ遠いけど、道を横切ると見つかってしまうかもしれない。草むらを掻き分けて、一度川下に向かう。奴等が見えないのを確認して川を渡る。また草むらを掻き分けて道に戻るともう一度駆け出した。


 しんどい、一度止まったからか足が痛い。狭邑の館は集落の真ん中だ。もう見えてくるはず。館の門に駆け込むと、門番の人が驚いた様に言う。

「お前、若様のお供の…」

良かった、俺の事を覚えている人だ。もう立てない…

「…ハァ、若様から…下之郷との間の谷を、武器を持った奴等が下って来るから…迎え討てって…」

もう声も出ない。門番の人の一人が中に走って行った。すぐに狭邑の殿様達がやって来た。

「松吉か、おい、水と薬を持って来い!!」

「松吉、何があったか詳しく話せ。」

「…谷を武器を持った奴等が下って来る。騎馬が二、歩きが十人位。若は下之郷か狭邑を襲うだろう、多分狭邑だろうって…」

「良し、良く伝えてくれた!!戦支度をしろ、村の男も皆集めろ!!」

「…あ、それから…」

「まだ何かあるのか?」

「若はお城と中之郷からも助けを呼ぶって。アイツらが狭邑に向かったら挟み打ちにするって言ってた。」

「良々、それは大切な事だ。良く忘れずに伝えてくれたぞ。」

狭邑の殿様が嬉しそうに言う。

「父上、若様は戦も早くも一端ですかな。」

跡継ぎの息子さんも嬉しそうに笑う。そこに館の女の人がやって来た。湯呑に水を注いでくれた。

「お主はお役目を立派に果たしたぞ、松吉。しっかり休むと良い。」

どっちにしろ、もう動けないよ。


====


 段々と武器を持った奴等が近付いて来る。絶対に見付かってはいけない。どうすれば見付からないか考える。取り敢えず体は斜面のこちら側に隠して、顔だけ尾根の上に出す様にしてみた。そして、なるべく草むらの影から見る様にする。谷間にはちゃんとした道なんて無い。大岩を避ける為に川を渡ったりしながら近付いて来るからか、中々やって来ない。これなら、若様も松吉も間に合うかもしれない。だけど俺が見付かったら、全て台無しってことになる。若様が一番大切って言ったのは本当の事だった。途端に不安に襲われる。駄目だ、弱気になるな。若様が信頼してここを任せてくれたんだ。松吉は今頃必死に走っているはずだ。負けるわけにはいかない。


 真下まで奴等がやって来た。やっぱり馬は二頭いる。でも、あれは軍馬じゃなくて駄馬じゃないだろうか?村で見る馬っぽい気がする。要するに、奪った物をあれに積んで逃げる気なんだ。徒の者は全部で十三人だ。弓を持っているのは二人だけ。後の十一人は槍だ。これ位の計算なら、すぐに出来るようになった。若様が教えてくれたからだ。ちゃんとした武士じゃない。槍は錆びている物が多いし鎧も最低限と言った感じ。


 奴等の進みに合わせて、こっちも進む。でも大人と子供の差と、こっちは斜めの斜面を横に移動しているからか遅れがちになる。一度目を離して斜面を駆ける。ある程度先回りして見張る事にした。息が切れるまで走って後ろを見る。奴等は変わらずに進んでいる。また川を渡る様だ。目の前の大岩が邪魔なんだろう。その時奴等の一人がふと視線を上げた。大岩越しに目が合った気がした。不味い!!ここで見付かっては全て台無しだ。慌てる心を抑え付けてすぐに場所を移動する。

 辛うじて向こうが透けて見える草むら越しに、そっと谷底を見る。奴等は変わらぬ様子で進んでいる。良かった、たまたまこっちを見ただけみたいだ。喉がカラカラだ。水筒から水を飲む。ジッと相手を見張っているだけなのにどんどん疲れて行く。そろそろ奴等が追い付いて来た。移動しよう。


 そんな事を二度繰り返した時。川沿いを進んでいた奴等の進路が、向こうの斜面沿いに曲がって行く。若様の言った通り狭邑郷へ向かうんだ。尾根に出て下之郷へ向けて一気に走り出す。


注:近況ノートに今回の戦の大まかな動きを書き込んだ地図を用意しました。ご興味がありましたら近況ノートの山之井襲撃戦概況図をご覧下さい。

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