36・突然の暗雲

 夏も終わろうとしている。田んぼの稲は色付き始め、川で泳ぐには肌寒くなって来た。紅葉丸もここ最近は川に行くと言わなくなった。三田寺の御爺からの返書で炭は一俵50文で取引される事になった。一日二十俵運べば一貫、内二分を船代として回収しても皆にそれなりの銭が行き渡るだろう。

また、板屋も三田寺からの要請には否応無く、船は恙無く航行出来る事になった。植林についても特に問題無く教えてくれるらしい。但し、三田寺とてここ数年で始めた事であり、結果はまだ出ていない事から過信は禁物である。

 生産量は、どうせ夏場も需要があるので有れば有るだけ買うだろうとの事。ちょっと待って欲しい…風呂を沸かす炭は残したいのだ。目先の銭に釣られてはいけない。皆に良く言って聞かせないといけないぞ。父上に風呂の建設を急がせねば…


 船大工は守護代様の領地からやって来た。田代のお城は川からは離れた場所にある為、城下ではなく少し上流の実野川沿いの集落に居を構えて仕事をしているらしい。今回は木材が豊富な山之井の仕事と言うことで、こちらに出張って仕事をしてくれている。材木代が掛からないということで、かなり格安で済むようだ。

 相談した結果、長さ十尺(一尺約30cm)幅三尺の上流用二艘と長さ二十五尺、幅六尺の下流用一艘を作る事になった。費用は締めて十五貫。父は悲壮な表情だったが、当初の予定より多く、一度に二十俵程運べそうな事から上手くすれば一冬で回収できた上で、結構な利益が出ると頭の中で計算し伝えた所、何とか持ち直していた。まぁ、大量に必要な材木置き場や、風呂の整備に更に金が掛かる事は黙っておこう。


 今日は常聖寺で和尚の手習いを受けた。はっきり言って習字が苦手だ。楷書はまだ良い。問題は仮名だの草書だのだ、なんだよ異字体って…和尚に読ませてもわりとなんとなく読んでる感があるんだが…ともかく、今日の手習いも終わった。久し振りに寺の裏山の様子を見に斜面を登る。まだまだ下草が繁っていて歩き辛い。途中、まだ緑の木通や栗の実を見かける。

「木通も栗ももう少し掛かりそうだな。」

「俺は木通が好きだ。早く割れないかなぁ。」

秋の味覚に思いを馳せながら進む。

 尾根に出た所で一休みする。腰籠から雉の干し肉を取り出す。この雉は霧丸と松吉が罠で捕った初めての獲物だ。それを俺が塩と山椒に浸けた後、燻して干した。そんなに長期間保つわけではないが、オヤツとして持ち歩く位なら問題無い。やはり、朝夕の食事の間に何か少しでも腹に入ると大分違う。特に秋は収穫に加えて、山の恵みが色々手に入る。皆が幸せになれる季節だ。何とか皆が三食食べられる暮らしが出来ぬものか…干し肉を噛りながらそんな事を思う。


「若!あれ!!」

唐突に松吉が、東の谷筋の上流側を指差し叫ぶ。

「どこだ?何だ?」

「谷筋を登った所。誰か来る。武器を持ってないか!?」

確かにいる。ここよりはかなり上流だ。大人数では無いが、一人二人でも無い。騎馬も居る様に見える。

 体に緊張が走る。今は時期が悪い。実野盆地との間の緊張感が高まっているからと、父を含め周辺の寄り子は対応を話し合う為に、三田寺の城に集まっているのだ。

この谷の上流で尾根の鞍部を越えると、実野盆地に繋がる谷の上流に出られると聞いたことがある。

険しくて通る者はいないと聞いていたが。これは、偶然では無いかもしれない。ここで見付ける事が出来たのは僥倖と言って良いだろう。


「頭を下げろ。見つかるな。」

二人をしゃがませる。

「なんでだ?」

「見つかったとわかったら、奴等は速度を上げるぞ。そうしたら報せが間に合わなくなるかもしれん。俺達三人の働き次第で領民が何人殺されるか。米がどれだけ奪われるかが変わるぞ。」

「そ、そうか…わかった。」

松吉も事態を認識したようだ。霧丸も緊張した様子を見せる。

「松吉、何人居る?馬も居る様に見えるぞ。」

松吉が目を細める様にして遠くを見る。

「馬は二、かな?」

自信無さ気に言う。

「二だ。」

霧丸が言い切った。

「見えるのか!?」

思わずそう聞く。

「場所がわかれば見えました。」

霧丸が頷きながら答える。

松吉は動体視力、霧丸は静態視力が良いタイプなのか?

「何人居る?」

「騎馬が二人に徒が十人位。」

たいした数では無い。迎え討つ準備さえ出来ていれば遅れは取らないはずだ。

「弓か?槍か?」

「そこまでは…槍は担いでいそうだけど弓を持っていないかと言われたら…」

「鎧武者では無いよな?」

「そうですね、皆たいした格好はしていないように見えます。」


「松吉、下之郷に走れ。父御か宮司殿に話をして、男衆に迎え討つ準備をさせるんだ。稲荷社の境内で待ち構えろ、なるべく印地で遠くから仕留めるんだ。それから狭邑郷へも使いを走らせて貰ってくれ。可能性としては狭邑が狙われる方が高いはずだ。奴らが狭邑に向かったら、後を追って挟み打ちにしろ。どっちに行ったかは霧丸が後から伝える。中之郷と城からも後詰めを出すと伝えろ。絶対見つからずに行け!!」

「わかった!!」

松吉が屈んだ体勢で上体を低くし尾根を駆けて行く。

「おい、山の中を行くのか!?」

一度道に下りると思っていたので思わず聞く。

「お稲荷さんの裏に出られる道があるんだ、こっちの方が速い!!」

そう言って松吉は走り去った。


「霧丸、俺は城に走る。お前は尾根伝いに、奴等の行動を監視するんだ。弓は持っているか、火を熾したら田を焼く準備だ、谷の出口でどちらに向かうか確認したら稲荷の近くまで走って伝えろ。絶対に見つかるな。お前の役目が一番大切だ。」

「わ、わかりました…」

顔を青褪めさせて霧丸が答える。

「良し、頼んだぞ!」

そう言い置いて俺は駆け出す。


 登って来た斜面を駆け下りる。下草の葉や灌木の枝が剥き出しの腕や脚を擦る。あちこち切れているだろうが、そんな事に構ってはいられない。半刻程掛けて登った斜面を、あっという間に駆け下りる。寺の裏に出た。庫裏の玄関に飛び込み和尚を呼ぶ。

「和尚!!一大事だ!!」

「何事です!?若様?」

慌てた様子で和尚が出て来る。

「尾根の向こうの谷筋を賊が下って来る。数は十人と少し。今から迎え討てば間に合う。中之郷の男達を大急ぎで武装させて下之郷に送ってくれ。集落の北から稲荷社の境内に行かせるんだ。俺は城に走る、頼んだぞ!!」

そう言い捨て、また走り出す。階段を下った所に村の者が見える。

「おぉーい、皆を集めろ!!大至急だ、和尚から指示を受けるんだ!!」

そう言って横を駆け抜ける。

後ろで人を集める声が上がり始めた。良かった、緊急性が伝わった様だ。


田の間を駆け抜け橋を渡る。炭を運ぶために嵩増しする予定の橋だが、まだ手は付いていない。その先は登り坂だ。肺が焼けそうになり、脚は後ろに飛んで行きそうだ。坂の途中で肺に残ったなけなしの空気を使って叫ぶ。

「賊だ!!迎え討つ準備をしろ!!」

守兵の空気が一瞬で変わる。この辺は流石に村の連中とは違う。門まで辿り着くと櫓から下りてきた行連が聞いて来る。

「若様、賊と言うのは!?」

行連が当番だったのは助かった、話が通り易くなる。

「…寺の山向こうの谷筋を、武装した連中が下って来る。数は騎馬が二と徒は十人と少しだ…」

「若様、水を。」

気を利かせた若い門番が水筒を出してくれる。

「すまん、助かる。」

一息に水を飲み続ける。

「狙いは下之郷か狭邑だろう。下之郷には松吉を走らせた。そこから狭邑へも人が走るだろう。中之郷でも後詰めを頼んで来た。お前達も出られるものから出てくれ。城の守りは非番の者に引き継げ、急げ!!」

そこからの動きは早かった。


「戦だ!!」「賊が攻めて来た!!」

館内に大声が響き渡る。門番達当番だった者達十人程は既に槍を担いで下之郷へ駆け出している。

「行連、馬の用意をさせてくれ。お前が乗れ。」

「馬を用意せい!!」

行連が厩番に命令を出す。

「若様、何事ですか!?」

小嶋孝政が甲高い声を上げなら玄関から飛び出して来る。

「賊だ、青田刈りだろう。迎え討つ。」

「それは、真に御座いますか!?どこから、誰が見たのです。」

「東の尾根で俺が見た。」

煩い奴だ。母も後からやって来た。

「しかし、殿も居らぬのに勝手な事をなさるのか!?」

キャンキャンと良く吠える。

「だから領内が荒らされるのを黙って見ておれと言うのか!?父上が居らぬなら領地を守るのは嫡男の俺の責任だ!!」

「誰が指揮を摂るのです!?」

いい加減に喧しい!!

「己の様な臆病者には頼まん!俺が出る、それで良かろう!!お前は城で震えて待っておれ!!」

城の者達も白い目で孝政を見ている。

「若鷹丸殿、何も貴方が行かなくても…」

母が顔を白くして心配そうに言う。

「母上、今は一刻の猶予も有りませぬ。勿論、戦になれば邪魔をせずに後ろから見ております。」

そう言うと、馬を引き出して来た行連の所へ行く。

「若様?」

「下之郷までだ。」

「わかりました…決して前へ出ない、宜しいですな?」

俺の顔を見て説得を早々に諦めた行連が言う。

「無論だ、足手纏いは御免だからな。」

そう言うと馬で城から駆け出した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る