31・平野(※)

「それでは、父上行って参ります。」

「うむ、くれぐれも粗相の無いように。わかっておろうが領内ではないのだぞ。」

「わかっております。」

館の玄関前で父に出掛ける挨拶をする。服装も普段の襤褸ではなく綺麗な薄青色の直垂姿だ。光が怖い顔をして汚すなと言うわけだ。

「義典、最後の最後にすまぬが面倒を見てやってくれ。」

「なんの、道中寂しく無くて済むと言うものです。」

「義典、長い間御苦労でした。達者で暮らして下さい。」

「涼様もお達者でお暮らし下さい。」

同行する義典殿は最後まで落ち着いた様子だ。


 馬に跨る義典殿の前に乗せて貰って領内を行く。沿道では領民が収穫後に干した蕎麦を叩いて実を落としている姿が多く見られる。そのまま落合の城の下まで来ると、今回供に付いてくれる永由叔父と霧丸、松吉が待っていた。

「二人共こんな所までどうした?」

「若様、二人は若様の見送りにわざわざここまで来て待っていたのですぞ。どうしたはないでしょう。」

笑いながら叔父が言う。

「そ、そうか、それはすまん。」

「若様、お気を付けて行ってらっしゃい。」

「若、早く帰って来てくれよ。」

 二人の見送りを受けながら西へ進む。

「そういえば、叔父上は何故徒なのだ?」

「若様…帰りにその馬を誰が操るのです?」

成程、そりゃそうだ。叔父もいつもと違い直垂姿だ。正月に着ている物とは違うので夏服だろう。

「道中ですが、まずは、入谷の館に寄って挨拶をしますぞ。」

「うん、わかっている。挨拶をしたらすぐに発つのだろう?」

「左様です。そろそろ板屋の領内ですな。」

右に見える北の尾根(山之井城の裏山の尾根)の西端と、左に見える下之郷や落合の南の尾根の西端を繋いだほぼ南北に沿った線が我が領と隣の板屋庄の大まかな境になるらしい。

 板屋庄は北の谷間の板屋郷と南の平野への出口に当る入谷郷の二ヶ村からなり、石高は山ノ井の三分の二程度。領主の板屋氏は普段は入谷郷の館で暮らし、有事の際には北の板屋城に入るらしい。


 右手から板屋郷へ続く道が合流して南に進路を変える。その先で渡し舟で山之井川を越えると入谷の集落。そして入谷の館だ。

「随分大きいな。しかも新しいではないか。」

入谷の館は山之井の城と比べると倍近い広さがあるように見える。外から見える塀や門も新しく綺麗だ。

「板屋は先代、当代と館の拡張に熱心でしてな。」

叔父がそう言う。

「…叔父上、はっきり聞くが板屋は見栄っ張りか?」

「はっきり聞かれたのではっきり答えますぞ。まぁ、そうでしょう。特に当代は我が殿の武勇に比べると今一つ目立たぬ故。その辺りもあるのでしょうな。」

苦笑交じりに叔父が答える。面倒なタイプだな。

「取り敢えず煽てておけば良いか?」

「酷い言い様ですがそれで良いかと。」


 門の前で誰何を受ける。叔父が、

「山之井家嫡男、若鷹丸様だ。御当主に御取次願いたい。」

「暫し待たれよ。」

櫓の見張りが引っ込み待たされる。

「勿体付けるな。」

「確かに。」

「先触れと通行の許可は出ているのだろう?」

「無論です。」

 やれやれだ。門で待たされた後は広間でもたっぷり待たされた。暫くすると二人の男が入って来て上座に座る。父より少し若い男と禿頭の三田寺の御爺や落合の爺位の男だ

「お待たせした。板屋家当主宗貞である。こちらは父、出家して宗潤と名乗っている。」

「お初にお目に掛かります、山之井若鷹丸で御座います。此度はお時間を頂きありがとうございます。」

そう言って頭を下げると、叔父と義典殿も続いて頭を下げた。

「頭を上げられよ。若鷹丸殿、良く参られた。噂の山之井の神童とお会い出来るとは光栄だ。」

頭を上げると斜に構えた様な表情の顔が目に入る。背丈は五尺と少し。まぁ、普通の背丈だ。表情以外は全体的に特徴のない容姿と言える。

「神童等と、ちと算術が得意であっただけの事。商人の子ならそれも良いでしょうが、武士の子では仕様がありませぬ。」

敢えて困った様な表情を作り、そう返す。

「ハハハ、左様か。ところで我が館は如何かな?」

来たな。ここが持ち上げ時よ。

「こんな大きな館は山之井には御座いませぬ。とても驚きました。某は山之井から初めて出ました故、よく存じませぬが、他所の館はどこもこの様に大きく立派なのでしょうか?」

「そんな事は無い。この館は特別よ。これから若鷹丸殿が行かれる三田寺殿の館と比べても遜色あるまい。」

自慢気に宗貞が言う。

「そうなのですね。板屋庄は豊かだと聞いていましたが、この館を見れば良くわかります。時間があれば是非見せて頂きたかったのですが残念です。」

如何にも残念そうにそう言うと、

「ならば、帰り際にでも見て行くが良い。儂が案内する故、是非寄って行かれよ。さて、我等も忙しくてな、そちらも先を急がれるであろう。三田寺殿にも宜しくお伝え下され。」

そう言うと用は済んだとばかりに二人はさっさと退出した。


 入谷の館を出て再び進路を南へ取る。

「忙しいのに館は本人が案内してくれるんだな。」

ふと、そんなことを呟くと。

「館を見せびらかすのは何より大事なのでしょう。」

義典殿が珍しくそんな事を言う。

「成程成程、それは一番大事でしょうな。」

叔父が笑って同調する。

「やれやれだな…」

 そんな話をしていると入谷の集落を抜け、左右の尾根の先の視界が開けて行く。どこまでも続く平野だ。大分先には左から右に実野川が流れて行く。しかし、平野はその更に先まで遮る物も無く続いて行く。

「これは…別世界だな。どちらを見ても山が目に入る山之井とは比べるまでも無い。」

「某等は山が見えぬと落ち着きませぬがな。」

俺の感想に叔父がそう自嘲気味に返す。

「それは俺も一緒だ。山が無いと落ち着かぬ。」

いつの間にか俺はすっかり山の子供になっていたようだ。

「三田寺の領地は背後に山を抱えておりますが、守護代様の御領地等では山は遠くに眺める物かもしれませぬな。」

義典殿もそう言う。谷間から完全に平野に出る。ふと、通り過ぎた斜面に違和感を感じる。

「木が少ないし細いな。」

左手の斜面は山ノ井の南の尾根の南側斜面だが我が領である北側斜面に比べると木の密度も太さも大分違う。

「若様、良くお気付きですな。四方を山に囲まれた山ノ井とは違い三田寺では薪も炭も材木もこの斜面に頼っておるのです。どうしても木は、特に太い木は減ってしまうのです。」

義典殿がそう説明してくれる。

「では、守護代様の御領地等は更に大変なのではないか?」

「そうでしょうな。それ故宇津殿等の領地から川で丸太が運ばれて来るのです。」

「では、領民は薪炭を手に入れるのも大変なのではないか?」

「そうですな、冬に買う炭は民にはかなりの負担になっているでしょう。」

「その分、米が多く採れるということか。炭も宇津の方から運ばれるのか?」

「どうでしょうか、平野はその分、人も多いですからな。家毎の量で見ればそう大差はないかもしれませぬな。炭も宇津や石野辺りから運ばれますな。」

平野の農家だから一概に谷町より豊かとは言えないわけか。炭は、山地の売り物としては基本だな。どうして山之井では余り盛んでないんだ?

「叔父上、山之井では炭は余り作っていないがなぜだろう。」

「ふむ、確かにそうですな。木は山程あるのになぜですかな。」

叔父も不思議そうにしている。

「それは恐らく、山之井川が田代や三田寺の城より下流で実野川に合流するからではありませんかな。」

今度も義典殿が答えてくれる。

あぁ、成程。荷物を積んで川を遡るのが手間なのか。宇津や石野は実野川が前実野の山から平野に流れ出す辺りに位置している。

では、下流を目指して奥津の湊ならどうだろう。今度与平に相談してみよう。


 遥か南にそびえ立つ入道雲を眺めつつ山之井川に沿って南に進む。きっとあの入道雲の下が海なのだろう。実野川の手前で左へ曲がる。多くの小川が道を横切って行く。

「義典殿、三田寺の領地は随分川が多いな。」

「そうですな、これが三田寺の特徴でしょう。一つ一つは小さいですが北の斜面より数多くの川が流れ出ます。それ故守護代様の御領地等に比べても田に出来る土地の割合がかなり高くなっておるのです。」

「成程、山之井側もそうだといいのだがな…」

なぜだ?北の斜面の裾野はハケ地ということだろう。つまり不透水層が顔を出しているか地下浅い所に存在するはずだ。山之井側との差は標高か?井戸を掘って水脈まで通じれば水圧で自噴しないだろうか…そうすれば山際まで田に出来る。将来試してみたい所だ。覚えておこう。そのまま東へ進み三田寺城へ向かう。


※本話に併せて近況ノートに”前実野山系周辺図 壱”を投稿しております。そちらも併せてお楽しみ頂ければと思います。

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