28・狭邑郷

 狭邑の館に戻ると紅葉丸はもう大分おネムになっていた。一日中はしゃいで、馬に揺られて、初めて水に潜った。当然の事だろう。紅葉丸を寝かせた後、夕餉を頂く。当主の行賢とその妻(この人は大迫の出で、落合の御婆様と交換トレードの様な形で狭邑に嫁入りしたらしい。)に、次兄の行徳、跡継ぎの長男行昌とその妻、次男の行和が顔を揃えていた。

「滝は如何で御座いましたかな?」

「あんなに美しいとは思いませなんだ。清涼で神々しささえ感じる場所でした。若鷹丸が秋の紅葉の時期はより一層美しいだろうと言いますので、是非秋の滝も見たいものです。」

行賢の問いに母が答える。

「ハハハ、若様は流石にお目が高いですな。狭邑の者は秋になると皆、滝に紅葉狩に参るのです。是非皆様でまたいらっしゃって下され。」

和やかに宴は進む。


「落合の御婆様と行連に聞いてわかったのだが、二人は俺にとって大叔父なのだろう?」

少し、話題を変える。

「ふむ、まぁ、関係としてはその通りですな。それが如何されました?」

行賢が話の意図を掴みかねると言った様子だ。

「いや何、上之郷の大叔父は大叔父と呼ぶし、落合の祖父は爺だ。狭邑の三人だけ呼び捨てというのはどうもな…出来れば狭邑の皆も大叔父、叔父と呼びたいと思ったのだ。」

「成程…まぁ、嬉しくないと言ったら嘘になりますが、随分唐突ですな。」

「何、山之井は狭い。親族の結束が強まることは大切ではないかと前々から思っておったのだが。狭邑の者達は正月くらいしか会わぬ故、この機会にと思ったのよ。」

狭邑の面々は程度の差こそあれ満更でもない表情だ。

「では、有り難くそう呼んで頂きましょうかな。」

行賢が笑顔でそう言う。他の皆も頷くが、

「某は今までのままでお願い致しますぞ。」

行連が裏表の無い笑顔でそう言う。

「む、それは城詰め故か?」

確かに行連は城の守兵としての立場がある。

「それも、ありますな。守兵の中で某だけが大叔父等と呼ばれては他の者もやり辛いでしょう。ですが、某は若様が櫓に来た時に居る、見張りの行連である事が好きなのですよ。」

そう少し自慢気に言った。

「確かに源爺と行連は、城の中では一番俺に近しい者だな。」

「左様左様、これは兄上達には無い某だけの特権ですからな。」

そう言って屈託無く笑った。

「わかったわかった。行連は行連、そのままだ。」

俺も皆も笑った。


「話が逸れてしまった。皆は南の尾根から海を見た事はあるのか?」

「狭邑の子供は皆あるのではないですかな。」

行和叔父が当然の様に言った。それ程狭邑郷では当たり前の事なのか。

「叔父上、夏場も見られるか?」

「まぁ、見えるでしょうが夏場は虫が酷いですぞ?」

渋い顔でそう言った。

「やはり、そうか…」

「若鷹丸殿、秋に又滝を見に来たら登れば良いではありませんか。」

母がそう窘める。

「それは、そうなのですが…紅葉丸にも見せてやりたいのです。出来れば母上にも。なので先に様子を見てどの程度の山なのか見ておきたかったのです…」

「まぁ…」

母は目を丸くしている。

「何、秋になったら下見に来れば良いではありませぬか。若様ならいつ来てくれても皆歓迎しますぞ。」

行賢が優しげな表情でそう言ってくれた。

「では、そうするか。では明日はもう一度滝を見て帰りますか母上。」

気分を切り替えて母にそう提案する。

「そうですね、紅葉丸が明日も行くと息巻いていましたからね。」

微苦笑を浮かべ母が言う。

「そうだ、行賢の大叔父。明日は釣竿を持って行きたい。借りられるか?」

「む、釣りをなさるので?」

「知らぬのか?あそこの滝壺は大物がわんさとおるぞ。」

「なんと、それは知りませなんだ。」

「某も初めて知りましたな。」

行賢の大叔父がそう答えると、他の面々も口々にそう答える。

「ふむ、では明日は皆で釣りに参りましょうか。」

行徳の大叔父の一言で明日の予定が決まり、お開きとなった。だが、まだ終わりではない。


「叔父上、この子が蔵丸ですか。」

目の前で赤子が寝かされている。

「左様、正月から暫くして産まれましてな。」

行昌叔父がデレデレしながらそう答える。

「なんて愛らしい事。」

母もニコニコしながらその子の寝顔を眺めている。

「俺と紅葉丸の下はまだこの子一人しか居らんからな。大事にせねばならん。しかし、可愛いな。」

ほっぺたをプニプニつつきながら言う。

「ハハハ、有り難いお言葉ですな。」

叔父夫婦が嬉しそうにする。

「若鷹丸殿、余り触っては起きてしまいますよ。」

母に叱られた。

「左様ですな。明日の朝また紅葉丸と会いに来ます。」

こうしてこの日は眠りに就いた。


 翌朝、紅葉丸と二人で蔵丸を可愛がり倒した後、皆で竿を担いで滝に向かった。皆は膝まで水に入り、滝壺に糸を垂らしている。俺は滝壺脇の大岩の上で竿を握った紅葉丸を抱えて座る。

「つれるかな〜?」

「釣れると良いなぁ。」

そんな事を言っていると早速義典殿が釣り上げている。その後、半刻程で次々と釣果が上がるが、我等の竿には掠りもしない。

「ゔぅ…」

恨めしそうな顔で水面を睨む紅葉丸を後ろから支えながら竿を倒して針の深さを調節する。暫くすると、コツコツと竿に小さな当たりが出始める。

「あにうえ、なんかうごいてる!?」

「まだだ、焦ってはいかん。ここで焦ると魚が逃げてしまうぞ。じっと待つのだ。」

「…うん。」

素直に大人しくする紅葉丸に運が向いたのか、次の瞬間ガツンという衝撃が竿に走る。

「わぁ!!」

危なかった、想像以上の強い引きだ。紅葉丸だけに竿を握らせていたら多分竿ごと持って行かれたな。

「そら、掛かったぞ!竿を引け!!」

「うん!!ぅぎぎぎ…重い〜…」

折角初めての釣果だ。なるべく竿の手応えを感じられるように俺からは最低限だけ力を添える。程なく魚が水面から顔を出し、こちらへ寄ってくる。空中で糸を掴んで一丁上がりだ。

「やったぁ〜!!」

「よぅし、良く上げられたな。凄いぞ。」

大喜びで釣り上げた岩魚を握りしめる紅葉丸。

「今、針を外してやるから一度手を離すのだ。」

針を外した魚を魚籠に入れ、紅葉丸に渡してやる。

「さぁ、母上に紅葉丸が釣った魚を見せておいで。」

「は〜い♪」

岩から下ろしてやった紅葉丸が嬉しそうに走って行く。

「ははうえ〜、つれた〜♪」

「まぁ、良かったですね。」

楽しそうな二人を横目に俺も糸を垂らす。あ、もう釣れた…ここめっちゃ釣れるんじゃね??


 その時点で既に人数分を超える魚が釣れていた。

「折角なので魚を焼きますか?」

俺がそう、提案する。

「誰か火を起こせるか?」

行賢の大叔父が聞く。

「某が燧石を持っております。」

行連がそう答えた。良し、魚が食えるぞ。

「いや、しかし父上。塩がありませぬぞ。」

行昌叔父が言う。

「え?」

腰籠から塩を入れた容器を取り出していた俺は思わず声を出す。

「…若様、なぜ塩を持ち歩いているので?」

呆れた様な声で聞かれたので、

「いや、こんな事もあろうかと…」

と返してみた。

「ワハハハハ、若様、見事な先読みですな。これは皆で薪を集めなければなりませぬな。」

義典殿が笑いながらそう言ってくれた。

「ワハハ、然り然り。皆でささっと済ませよう。」

行徳の大叔父もそう笑いながら同意し、皆三々五々用意に取り掛かった。


「それでは、皆様お世話になり申した。」

母がそう挨拶する。

「またいつでもお越し下され。」

狭邑の者達が口々に返す。

「紅葉丸様もまた蔵丸と遊んでやって下さいませ。」

「うん♪」

蔵丸をつつきながら紅葉丸もにこやかに答える。こうして昼過ぎには帰路に就く事になった。


 狭邑郷を出ると義典殿が、

「若様、此度は素晴らしき思い出となりました。改めて感謝致しますぞ。」

「そう言って頂けたら文句ありませんな。秋の紅葉が共に見に行けぬのが残念でなりませんが。夏の間に三田寺の祖父の所にも行くつもりです。もし、予定が合えば三田寺にお帰りの際には俺も同道させて頂くやもしれません。」

「そうですか、ご一緒出来ればよう御座いますな。」

穏やかにそう言ってくれた。


 下之郷に入ると俺は母に、

「母上、俺はちと松吉の母御に頼みがあります故、先にお帰り下さい。夕刻までには戻ります。」

そう伝えた。

「余り無理を言ってはいけませんよ?」

「わかっております。では、お気を付けて。」

最後に軽く窘められてしまった。俺はそんなに無茶ばかり言っているだろうか?因みに紅葉丸は既に夢の国である。

「なぁ、俺はそんなに無茶ばかり言っているか?」

ちょっと心配になって二人に聞いてみる。二人共何も言ってはくれなかった…


「母ちゃん、若が来たぜ。」

「お邪魔する。」

大分お馴染みになって来た松吉の家にお邪魔する。

「あぁ、若様。取り敢えず二つ出来ておりますよ。」

「無理はして居られぬか?」

「大丈夫ですよ。夏は日が長いですから手仕事も捗りますのでね。」

「それならば良いのだが。ところで母御、仮にこの腰籠を与平に売るとすれば幾ら位で売れれば良いと思う?」

唐突にそんな事を聞いてみた。

「そうですねぇ…普通の葛籠が二百文で売れますから…手間を考えると百文ですかねぇ。」

百文か、それならなんとか…

「母御は普通の葛籠を作らぬと与平が困ろう。知り合いで母御の物には及ばずとも売り物になりそうな腰籠を作れそうな者はおるか?下之郷の者に限らずとも良い。」

「そりゃあ、居ります。霧丸の母なんかも割と上手ですよ。」

「全部で二十までなら俺が百文で買い取る故、与平が来るまでに作らせてみてくれんか。」

そう頼んでみる。

「わかりました。上手な者に頼んでみましょう。」

「お願いする。取り敢えず、その二つは見本にして貰って、用が済んだら二人に渡してくれ。」

そう頼むと霧丸と二人、今度こそ本当に帰路に就いた。

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