27・衣の滝

 上之郷から戻って暫くの後、今度は狭邑郷へ行く事になった。今回は母と紅葉丸も滝を見に遊山に行くという事でキチンとした供廻りが付いた。

 馬に跨がった母の前に紅葉丸が乗る。その轡を館野義典が取り、俺達三人と母の侍女は徒士でそれに続く。更に狭邑への案内として行連が先頭を歩く。

「母上、遠出は随分お久しぶりなのでは御座いませんか?」

馬上の母に問い掛ける。

「お久しぶりどころか、山之井に来てから城の周りから離れるのは初めての事です。誘ってくれた事を感謝しますよ。義典も最後に良い思い出になるでしょう。」

母が楽しげにそう言う。

 この館野義典という人物は母が三田寺から嫁入りした際にお付きとして付いて来た人物で、既に五十歳を越えたこの時代では完全に老齢と言って差し支えない年齢の武士だ。武家の娘は嫁入りの時には実家から侍女を連れて来ることが一般的だが、実家が武士のお供を付けて寄越す事も珍しく無かった。この場合、一応は父の配下に入ることになり、実家とのやり取りや嫁入りした娘の御用を熟したりするのが主な役目である。彼は普段から山之井城に詰めているのだが、非常に控え目に過ごしており。館内で見かけることも滅多に無い穏やかで寡黙な人物である。


「義典殿、三田寺へお戻りになられると聞きましたが。」

俺が訊ねる。身分的には父の家来なので、俺の立場から言えばもっと上からの言葉遣いで良いのだが。俺はこの寡黙な老人を気に入っているし、年長者への尊敬も含めてなるべく丁寧な対応を心掛けていた。では、爺や大叔父はとなるのだが、そちらは家族、親族ということでむしろなるべく砕けた話し方にしている。

「はっ、既に山之井の殿からも三田寺の殿からも許しは得ております故、盆から八朔の頃には隠居し三田寺に帰ろうかと思っておりまする。」

落ち着いた口調でそう話す。

「左様か、義典殿の様な落ち着いた思慮深い御仁が当家に居てくれれば心強いのだがな。」

「過分な評価は忝ないですが、何分この歳ですからな。孫の面倒でも見ながらゆっくりさせて頂きたく。」

「孫の事を出されると俺も強くは引き留められぬな。俺も沢山の御爺達に支えられ可愛がられておるからな。」

「ハハハ、左様ですな。若様は爺に限らずあちこちで人を巻き込んで何やらやっていると評判ですからな。」

と、笑われてしまった。


 下之郷に入った所で俺は母に、

「母上、宜しければお稲荷さんに参詣等されては如何でしょう。通り道にありますが。」

「ははうえ、いきましょう!!」

終始ご機嫌の紅葉丸にそう言われて断れる者はこの場には誰もいなかった。

「そうですね、紅葉丸。お詣りに参りましょうか。」

先触れ無しにやって来た領主の妻と息子二人に宮司は慌てて転がり出てきて境内の案内をしてくれた。悪い事をしたかもしれん。


 稲荷社でしばし休憩の後、狭邑郷に向かい再び出発した。左右の峰は徐々に狭まり、左手(北)から谷筋が一本合流する。それを越えるといよいよ狭邑郷だ。

「行連、滝へはどの位歩くのだ?」

「まぁ、館からですと四半刻も歩けば着きまする。ちと道が悪いですが馬も近くまでは寄れますので奥方様に御苦労をお掛けすることも少ないかと。」

「そうか、では着いたら挨拶をしてそのまま見に行くか。」

「そんなに急がないでも良いのではありませぬか?」

母がそう言うが、

「いえ、紅葉丸が気に入って、もう一度行く等と言い出すと厄介です。」

「そんなことを言って、あなたも早く行きたいのでしょう?」

バレバレである。

「勿論ですとも!!紅葉丸も早く滝を見たいだろう?」

「みたい!!」

そう二人でハッキリ言い返すと、母はコロコロと笑った。


「皆様方、遠路御苦労様で御座いましたな。」

そう言って狭邑の当主行賢が迎えてくれる。狭邑の館は集落のど真ん中に建っている。上之郷では柵があったが、それすら無い簡単な塀だけだ。我が領内の防衛は一体どうなっている???

「行賢殿、此度はお世話になり申す。」

母が代表して挨拶を返す。

「まずは、ゆるりとなさいますかな?」

「いえいえ、若鷹丸が早く滝が見たいと申しますので、この脚で行って参ろうかと思っております。」

「若様…奥方様もお疲れでしょうし。」

「行賢、母上はまだとてもお若い。問題無いはずだ。」

良し、これで誰も反論出来まい…実際母はなんとまだギリギリ十代である。

「そう言われては私も否とは言えませぬ…」

少し呆れた様子で母が言う。

「では、煙を焚きますか。衣の滝は良いところですが、道中虫が多いですからな。」

「あ、待ってくれ。燻される前に土産の米を。煙の味のする飯は食いたくない。」

そう言って上之郷同様、米を渡した後、虫除けの為に乾燥させたよもぎやどくだみの葉を燃やして煙を浴びる。正直、前世からどくだみの臭いが大の苦手な俺にはかなりの苦行であるが、やらずに飛び出して酷い目に遭ったのでそれ以来我慢している。


 集落を抜け大して行かずに左から小川が流れてくる。その手前を左に折れる。獣道より多少マシと言った雰囲気の道が川に沿って林、そして山に向かっている。

「藪こぎがいるやもしれんな。」

「そうかもしれませぬ。若様手伝って頂けますかな?」

「わかった。」

そう言うと俺は行連と並び先頭へ出る。

「若様、俺達が…」

お、霧丸が気を使ったのか珍しい事を言う。二人も少しずつ成長しているのだろう。

「いや、母上に格好良い所をお見せしたいから今日は良い。そう言ってくれるだけで有り難いぞ。」

そう言うと、霧丸は少し嬉しそうに頷いた。最近松吉が活躍することが多かったからな。思うところがあるのかもしれない。

 木々の間を進んで行くと、藪こぎまでは行かないが蔓や枝が邪魔をする場所が目に付く。それ等を行連と二人で鉈で払いながら進むと、ザーっと轟く音が聞こえる。

「なんのおと!?」

紅葉丸は怖がって母の胸にしがみついている。霧丸と松吉も少し不安そうだ。

「紅葉丸様、あれが滝の音で御座いますよ。」

行連がそう言う。

「もう、大分近いのではないか?」

「左様ですな、間もなく見えてくるのではないかと。」

 それから大して進まぬうちに木々の間から水が白く糸を引くように滔々と流れ落ちているのが見えて来た。梢に隠れて上の方はまだ見えないが中々の物だ。

「「すごい!!」」

紅葉丸と霧丸と松吉の声が揃う。二人は我慢出来ずに駆け出した。

「あ、ずるい!!あにうえ、おろして!!」

馬上から紅葉丸が非難の声を上げる。うんうん、自分も走って行きたいのだ。

「ほら、おいで。」

抱き抱えて馬から降ろすと途端に二人の後を追って駆け出した。

「転ぶなよ。」

降りる前と大差ない速度で紅葉丸がちょこちょこ走っていく。でも、残された五人はメロメロだからきっとこれでいいのだろう。


 滝壺から舞い上がる水煙で辺りに爽やかな空気が漂っている。

「これは、なんとも美しい。それに暑さを忘れる様ですね。」

「これは見事な物ですな。若様、最後に良いものを見せて頂きましたぞ。」

大人達も満足気だ。

「母上、あちこちに紅葉の木が見えまする。秋も紅葉で美しいやもしれませんな。また皆で参りましょう。」

「そうですね、それはとても美しいでしょうね。」

等と言っていたら子供三人の方は大変な事になっている。早くも二人は着物を脱いで滝壺に突入した。真似をして紅葉丸も水に足を入れた。

「こら、紅葉丸待て!!」

大慌てで駆け寄る。

「もみじまるも…」

半べそで言われるともう強く出られない悲しい性…

「わかったわかった。しかし、一人で入ってはいかん。滝壺はとても深いのだ。良いか?」

「…はい。」

「良し、良い子だ。でも、最初に筌を仕掛けないか?」

頭を撫でてやりながらそう提案する。

「する!!」

途端に顔が明るく輝く。

「よしよし、では、どこが良いか見て回ろう。おい、二人共!!魚がいないか水の中を見てくれ。」

二人にもそう伝える。

「若、うじゃうじゃいるぞ!?」

明日は竿を持って来よう。そう決めた。この日、紅葉丸は水に顔を浸けて目を開けることが出来るようになり、水の中の魚を楽しげにずっと眺めていた。

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