26・山へ
翌朝、夜明け前になんとか起きた我等二人は寝たまま歩くという器用な真似をする一人を引っ張って定吉の家へ向かった。暑い夏でも一日の中で一番爽やかなこの時間帯は流石に過ごしやすく。暁光で明るく染まりだした山影の美しさを楽しみながら朝餉の支度の為の煙が上がる上之郷の集落を抜けていく。
定吉達は弓を担いで家の前に出て待っていた。武士が持つ上下非対称で長さのある和弓ではない、山中で猟師が使う事を目的とした短弓だ。
「申し訳ない、遅かっただろうか?」
「いえ、これなら十分な時間で御座いますよ。」
定吉がそう言ってくれる。
「…松吉は起きておるのですか?」
勝吉から突っ込みが入る。
「いや、ほとんど寝ておる…」
「流石若様のお供、中々器用な奴ですな。」
どう言うことだってばよ!?
「では、奥方。ご主人をお借りします。」
そう、頭を下げると。
「若様は、お怪我をなさいませんよう。」
心の底から心配そうに言われた。まぁ、俺に何かあって夫が責任を問われたらと思うと不安に思うのは良くわかる。
「まずは、どこへ向かうのだ?」
さぁ、質問攻めだ。
「まず、川に沿って西へ行きます。」
「裏山は人の手が入っているからやはり獲物が少ないか。」
「左様ですな。やはり、里に近いとどうしても獲物が少ないのもありますし。間違って柴刈の爺さんが獲れたなんてことになったら洒落になりませぬ故。」
「それは洒落ではすまんな…夜野川の方はどうだ?」
「あちらは斜面がキツいのです。登れない事はないでしょうが…」
「成程な。登るのは北の山か?」
「そうです。今日は一番手前の尾根筋まで行きます。」
「尾根はどの位の数がある?普段は何処まで行くのだ。」
「行っても二本目までです。山向の連中と鉢合わせると上手くありませんし。尾根は四つか五つで実野盆地に出るらしいです。実際には行ったことがないのでなんとも…」
山中での境界は曖昧だが、余計なトラブルは避けられるなら避けるのが生活の知恵か。
「余り遠くで獲物を獲っても運ぶのも大変だしな。」
「それは、確かに。」
勝吉が笑った。
「因みに南の山には行くのか。」
「あちらは川を渡らねばなりませんし、山も深くありませんので。」
「では、あちらでお主達の罠を踏んだり矢で射られるなんて事はないな?」
今後の為に気になったことを確認しておく。
「えぇ、それに尾根を越えると板屋領です。我等は近付きませんね。」
「一応聞くが、南側に熊や狼が出るなんて事は…」
「まぁ、無いでしょう。余程実りが悪ければわかりませんが…」
良し、探索範囲の拡大決定。
’グゥ~……’
「…若、腹が減ったんだが…」
「起きたか。ここがどこかわかるか?」
ようやく、松吉が目覚めた。
「定吉さん達と山に向かってるのはわかってる。」
「それだけ、わかってれば上等だ…ほれ、朝飯だ。俺達も腹が減った。」
腰籠から竹の葉に包まれた握り飯を取り出す。流石に食べる時間が無かろうと昨夜のうちに頼んでおいた物だ。
「やった、流石若だ。」
「言っておくが、普通こういうのはお供の仕事だからな?」
俺はこの二人を甘やかし過ぎかもしれん…
「二人の分もある。遠慮せず食ってくれ。」
二人にも勧める。
「いや、とんでもない…」
「これは、忝ない。」
定吉は遠慮し、勝吉は遠慮無く手を伸ばす。
「ほら、定吉も。」
ずいと差し出すと、
「それでは、有り難く…」
やはり遠慮がちに一つ取った。
塩の効いた雑穀米の握り飯が空きっ腹に染み渡る。
「旨い。」
「若様、今日は米でなく粟や稗の入った飯なのですな。」
不思議そうに勝吉が聞く。
「皆がどう思っているかは知らんが、城でも普段は雑穀米を食っているぞ。勿論、俺も父上もな。」
「お城の人達はいつも米が食えるのだと思っていましたよ。」
勝吉が笑ってそう言う。
「きっと、守護様や守護代様ならそうだろうさ。村の連中にも言っておいてくれよ。山之井の殿様も普段は雑穀米を食ってるってな。」
俺も笑いながらそう返した。
「しかし、若様。この間から気になっておりましたが、その腰の籠は中々具合が良さそうな物ですな。」
今度は定吉が聞いて来た。
「これか、やはりそう思うか?」
「えぇ、見ての通り狩りは意外と細かな物を持って行きますから。それがあれば一纏めに出来て良さそうです。」
そう、縄や小刀を始め、狩りには意外と多くの道具を持って行くのだ。
「俺は腰籠と呼んでいる。松吉の母御に作って貰ったのだ。昨日今日の礼に二人の分も頼んでおく。松吉、母御にお前達の分も含めて四つ頼んでくれるか。」
ここ二月程使ってみた結果、懸念された蓋の付け根の強度も問題なさそうである。
「わかった。でも四つだとちょっと時間かかるぜ?」
「勿論だ、むしろこの間みたいな大急ぎで作ってくれるなと伝えてくれ。」
「わかった、ちゃんと伝える。」
「…宜しいのですか?」
定吉がまたも遠慮気味に聞く。
「二日も仕事の邪魔をした上に狩りの技まで見せて貰うのだ。礼としてはこれでも足りぬのではないかと思うのだが…」
申し訳ない気持ちで伝える。
「とんでもない、若様が家に来てくれたってんで近所でも評判なんでさぁ。もうそれだけで十分だってのに。」
「鳥の骨の使い道も教えて頂きましたしな。」
慌てて言う定吉に冗談めかして勝吉が続ける。
「じゃあ、礼は腰籠ということで。」
俺がそう纏めた。
「ここいらから、山へ入ります。ここから先はお静かに願います。」
三人で頷く。
斜面に斜めに獣道が走っている。そこをゆっくりと上がって行く。先頭に勝吉、殿に定吉と弓を背中から降ろし手に持った二人が我等を守るように進む。獣道は踏み固められており。下草を切り裂くように伸びている為、割合歩き易い。
「ここは踏まないで。」
罠があると思しき場所を避ける定吉。後ろもそれに倣い道をずらす。途中何箇所か同様の事があり、
「ここからは、尾根に沿って獲物を探します。」
尾根に沿って歩く。周囲を見回しながら進む為に速度はゆっくりだ。
「勝吉さん、あそこ。」
唐突に小声で松吉が言う。
振り返ると右の斜面を指差している。
「何か動いたぞ。」
続けてそう言った。
「どこだ?」
勝吉が聞く。
「根本から二又になってる木のちょっと手前の藪んところ。」
「成程、良く見つけたな。大したものだ。兄者、兎だ。どうする?」
勝吉が定吉に聞く。
「ちと、遠いな。まぁ折角だ、勝吉行ってくれるか?」
「あいよ。」
話が纒まると、勝吉はそっと斜面を下りだした。
「霧丸、見えるか?」
そっと霧丸に聞くと、
「いえ、俺には…」
そう言って首を振る。
「俺にもサッパリわからん。」
そうこうしている内に、ソロリソロリと進んだ勝吉が片膝を付き姿勢を安定させると、矢筒から矢を一本引き出して番える。引き絞った弓から放たれた矢は木々の間を切り裂き獲物に突き刺さる。ここで漸く獲物がどこに居たのか俺にも分かった。獲物を拾って勝吉が戻って来る。茶色い兎だ。
「見事な腕前だな。」
そう褒めると霧丸もブンブンと首を縦に振る。霧丸の家は弓を扱う。感じる物があるのかもしれない。
「いやいや、なんのこれしき。松吉が良く見つけてくれました。」
「うん、我等もあの距離ではまず見つけられぬ。松吉の目は天性の物であろうな。」
勝吉と定吉が松吉をべた褒めする。
松吉は照れくさそうにしている。しかし、目が良いのは間違いなく武器になる。今後、重要な局面で大きな役割を果たすこともあるかもしれない。
そのまま暫く進み、半刻程で引き返す。帰り道は各所に仕掛けた罠に獲物が掛かっていないか確認しながら戻る。残念ながら今日は空振りであった。聞けば獲物がない日はそう珍しい事ではないらしい。
「今日は松吉のお陰で獲物に有りつけたな。」
定吉はそんな事を言っていた。
川まで戻ってくる。
「普段と変わらぬ速さで進みましたが、良く付いて参られましたな。」
「我等も若様くらいの年頃に親父に連れられて初めて山に入りましたが、最初は苦労しましたぞ。」
そう褒めてくれた後、二人は兎の血抜きをした。その後上之郷まで戻って解散となった。
「昨日今日と世話になった。稲刈り前の山狩りも参加するつもりだからまた頼む。」
そう礼を言い、大叔父の館で荷物を受け取ると中之郷への道を戻った。
「若、俺定吉さんに猟を教えて貰いたい。」
「俺も弓を…」
二人にも有意義な二日間になったかもしれない。
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