23・上之郷

 夏の計画は次々に承認された。三田寺へ行く件については領外の事につき先方に伺いを立てているが、上之郷と狭邑郷については特に問題無く許可が下りた。


 今日は上之郷に向かっている。中之郷の曲がり角で霧丸、松吉と合流して上之郷へ向かう。いつもと違うのは今日は光が一緒ということだ。聞けば俺が産まれてから一度も実家に戻っていないらしい。余りに申し訳無かったので、今回は遠慮する光を殆ど無理矢理引っ張って来た。

 目の前一杯には前実野の山々が広がり、それが段々と近付いてくる。城からはその奥に奥実野の山が重なって見えるのだが上之郷に近付くにつれて手前の山陰に隠れて行く。

山之井の東西に伸びる尾根は我等の脚でも四半刻もあれば登りきれる高さだが、前実野の山々は流石に大きい。入るならそれなりの覚悟と準備が必要だろう。

 四半刻程で小さな川を越える。北東から南西に流れる夜野川と呼ばれる川で山之井川の支流だ。上之郷の田はこの夜野川と山之井川に沿って広がっており。集落は川に挟まれた場所の山裾に広がっている。


 大叔父の館は集落の後方。やや斜面に入った辺りに位置しているが簡単な柵と物見櫓があるだけの館だった。

「若鷹丸、よう来たな。」

門で大叔父の頼泰が迎えてくれた。亡き祖父の一番下の弟で落合の爺より少し若いらしい。

「大叔父上、此度はお世話になります。」

そう言って三人で頭を下げる。

「ハハハ、いつでも来ると良い。これからは先触れもいらぬ。自分の城と同じ様に出入りせよ。光もよう帰ってきた。両親が楽しみにしておる。早く顔を見せてやれ。」

そう言ってくれた。光は恐縮しながら集落にある実家に向かって行った。


 大叔母にも挨拶をする。

「大叔母上、若鷹丸にございます。これからは度々お邪魔するやもしれませぬ。宜しくお願い致します。」

「ホホホ、そう改まらなくとも宜しいのですよ。そなたは亡き義兄上の孫。私達にとっても孫の様なものなのですから。」

「これ、土産です。我等の食い扶持にでも使って下さい。」

そう言って担いで来た米を渡す。前にも言ったが夏はどの家も米が心許ない。ただ遊びに行ってご馳走になるわけにはいかないのだ。

「あらあら、気を遣わせて。では、有り難く頂戴しますね。」

半分申し訳なさそうに、もう半分は嬉しそうに米を受け取る大叔母の横で渋い顔をした大叔父が、

「若鷹丸、その米は…」

「父上にはちゃんと言ってありまする。今年の夏は戦の気配も無さそうだからと兵糧米を少し出してくれました。」

機先を制してそう言った。

「そ、そうか…それなら、良いのだ。有り難く頂戴しよう。息子達は畑に出ているが夕餉には戻る。お前達も外に出るなら暗くなる前に戻れよ。」

そう言って表情を緩めた。


 荷物を降ろした我等は直ぐ様、館を出た。行先は勿論、定吉兄弟の家だ。予め今日訪ねると伝えてあるので待っていてくれるはずだ。大叔父からは二人の家は集落の一番奥にあり、行けばわかると言われた。集落の様子は基本的に中之郷と大きく変わりない。集落から川に向う勾配が少しキツい位だ。


 成程、行けばわかるとは良く言ったもので、

「あぁ、これは見ればわかりますね。というか見なくてもわかりますね…」

霧丸が言う。家の横には鞣している途中なのだろう、革が吊られている。何より周辺が獣臭い。

「御免、定吉殿はいらっしゃるか。」

玄関前で声を掛ける。

「はいはい、お待ちを。」

開けっ放しの玄関から定吉が顔を出す。

「若様、お待ちしておりました。ご覧の通りの場所ですがまずはお上がり下さい。」

後ろには勝吉と女性が二人控えている。女性の内、若い方は顔面蒼白だ。

「あ、お前さん…ほ、本当に若様なのかい?」

「だから、そう言ったじゃねぇか。山之井の若様だよ。」

「奥方には突然の事で申し訳ない。若鷹丸と申す。今日はご主人に教えを請いに伺ったのだ。宜しくお願い致す。」

「そんな、本当に若様がこんな汚い所に!!」

奥方は更にアワアワし始めた。

「あんた、ちょっと落ち着きなさい。」

そう言ったのは年嵩の女性。兄弟の母親だった。

「慌て者で申し訳ありません。さぁ、どうぞ。」

苦笑いの定吉が中に通してくれる。

「というかお主、嫁がおったのだな。知らなかったぞ。」

からかう様に言うと、

「えぇ、まぁ。」

と、照れた。

「勝吉も世話になる。」

「いえいえ、滅多に無い事ですから兄もあっしも楽しみにしておりましたよ。」

そう言って笑ってくれた。土間にも居間にも色々な道具が置いてある。そして、居間には赤子が一人寝かされていた。

「おぉ、定吉の子か?」

「へぇ、春前に産まれまして。」

照れくさそうに、そして嬉しそうに定吉が答える。

「名はなんと付けたのだ?」

「朝と。」

「朝か、それは周りを明るくしてくれそうな良い名だ。」

「抱いても良いか?」

「えぇ、勿論です。お手伝いしますか?」

「大丈夫だ、慣れておる。」

紅葉丸を溺愛した俺だ。赤子の抱き方等慣れたものよ。

「すまん、子が産まれたなどとは全く知らなかったもので祝の品も何も用意していないのだ。」

そう詫びると。

「とんでもない、城から若様が訪ねて来るなんてのは一生に一度でしょうから。それで十分でございますよ。」

そんな事を言うので、

「何を言っている。これからはちょくちょく寄せて貰うぞ?」

と言ってやった。

「ひっ…!!」

あれ、後ろで奥方がひっくり返りそうになっているんだが?良く分からんが、赤子の頬をつつくと口がムニュムニュ動く。うん、可愛い。暫く、眺めていたら朝がむずかり出した。

「む、朝よどうした?お乳か?おしめか?」

取り敢えずおしめを触ってみる。

「うん、おしめか。今換えてやるぞ。奥方、換えのおしめを下され。」

いそいそとおしめを換える俺。朝は山之井の若様におしめを換えさせたと評判になるのは後の話である。

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