一章・出会い(少年編壱)

一章其の壱 六歳、春

1・山之井庄の春(※)

 櫓から見える山之井庄は田植え真盛りである。種籾を撒く者達の田植え歌がここまで聞こえてくる。城の者も多くは実家の手伝いや城周りの田植えに出掛けている。それ故、現在山之井城は絶望的なまでの人手不足である。

 どれ位人手不足かと言うと大手門脇の見張り櫓に見張りに立っているのが俺だということで察して貰えるだろう。

 散々入り浸った結果、去年から行連達見張りの連中は見張りを俺に放り投げて田植えと稲刈りに行くことになった。父も流石に門番は残したが田植えの手が増えることは生産力に直結するので割りとアッサリと認めた。この時代、相当な緊張状態でなければ田植えや稲刈りの時期に攻めてくる馬鹿はいないという考えなのだろう。まぁ、事実そうだからいいんだけど。

 そもそも、庄の中央部にある城から見える範囲の見張りに正直余り意味はない。城から敵が見えた時点で大分手遅れなのだから…


 俺は六歳になった。最近は一人で城から出ることも多くなり(もちろん、父の許可が出たからだ。)、行連に質問しまくった事と併せて領地のことにも多少詳しくなってきた。

 南北に長い山之井庄には北西から山之井川が流れ込み、庄に入ったところで南に向きを変える。

この辺りが上之郷で200石程の石高がある。治めているのは山之井の分家で、現在の当主は亡き祖父の弟、頼泰である。光はこの家の更に分家の出だそうだ。

 山之井川は北の前実野まえみのの山々の南面を水源としており、その向こうは実野みの盆地という大きな盆地があるそうだ。そちらを水源とする川が流れる領地では盆地に住む人間との水争いも珍しくないそうである。

 上之郷から少し下ると中之郷があり、城もここにある。また、領内唯一の寺である常聖寺じょうしょうじもあり、寺は庄と同程度の歴史を持つ禅宗の寺で、庄の人間の身分に問わず信仰を集めている。

石高は200石余りで、父が直接治める。

 更に下流で川が南西に向きを変え、狭邑川が合流する辺りまでが下之郷。300石程度でここも父が治めている。領内で唯一の神社があるらしい。


 これら三ヵ郷を併せて山之井庄と呼ぶが、現在の父の勢力は狭邑川の上流に東西に広がる谷間に位置する狭邑郷と、狭邑川合流点より下流に位置する落合郷も勢力圏となっている。狭邑郷は言うまでもなく行連の実家で、当主は長兄の行賢。ここも200石程の石高がある。

 落合郷は400石程で大迫氏が治めている。大迫氏は近年配下に付いた家だが、規模的にも働き的に見ても重臣と言っていい。因みに俺の亡くなった母は大迫氏の娘だそうだ。

 以上、合計1300石程が我らの領地であるが、山之井川は落合郷の先で一つ国人領主を挟んで実野川に合流する。実野川はこの辺りでは最も大きな河川で実野盆地の更に北の奥実野の山々から流れ出し、周辺を潤している。三田寺の御爺はこの辺りに領地を構えており、石高は3000〜4000石程度らしい。


 それから、俺を取り巻く環境も色々と変わった。まず傅役が付いた。前述の落合郷の領主、大迫永治である。俺がこの世界にやって来た時に父と共にいた壮年の男性で、亡くなった母の父、つまり俺の祖父でもある。ただ、本人は家臣としての立場を示すように一貫して自分を下に置いているし、自分を御爺とは呼ばせない。仕方ないので爺と呼んでいる。"おじじ"と"じい"の一体何が違うのかと俺は思うが、本人が良ければ良いのだろう。そして、こちらも前述の常聖寺の和尚である法蓮から手習いや学問を習っている。


 この二人から教わった内容から、此処はよしの国、中でも芳中ほうちゅう国と呼ばれる国で日ノ本の西寄りに位置し、守護は飛田とびた様と言うらしい。俺は歴史に詳しかった訳ではないが流石に旧国名くらいは聞けば分かる。芳の国なんて聞いたことがない…日ノ本と言う名は同じらしいが、つまりここは俺が産まれた世界とは違う世界なのかもしれない。

注:近況ノート:山之井庄周辺図 壱 に山之井庄の地図を掲載しております。ご興味があれば御覧下さい。今後タイトルに(※)が付く回では近況ノートに地図や図が掲載されます。また、近況ノートは予約投稿が出来ない関係から投稿時間に差が出るかもしれません。その場合は暫くお待ち下さい。


 む、誰か梯子を登って来るな。

「あにうえ〜」

やって来たのは紅葉丸だった。背中から踏み台を降ろして俺の隣に並ぶ。長らく俺の背中にあって、ある時は台所で女中が隠していた栗を見つけ出し、ある時は納戸の宝探しに活躍した踏み台だったが、腰の木刀と共に紅葉丸が引き継いだ。

 散々可愛がった甲斐あってか紅葉丸は俺の後をちょこちょこと着いてくるようになった。可愛いことこの上ない。

「紅葉丸、昼寝はもういいのか?」

「へーき、あにうえははうえのおはなとりにいこう♪」

そう言えば、この間二人で摘んできた菜の花は大分萎れて来ていた。

「今日は田植えで皆がおらんから、田植えに出た連中が帰って来てからだな。」

「いつかえってくる?」

「もう、一刻もすれば帰って来るだろう。母上の所で待っているか?」

「あにうえといっしょにいる〜」

くそぅ、うちの弟はどうしてこんなに可愛いのか。


 暫くの後、泥まみれの連中が三々五々戻ってきた。狭邑郷や落合郷に帰った連中は田植え期間は帰ってこない。毎日往復するには距離が多少遠いのだ。

 泥を落とした城の若い衆が交代にやって来た。

「若様、代わりましょう。お待たせしましたな。」

「お主、そんな格好で見張りに立つのか!?行連が知ったらお説教モノだぞ?」

諸肌脱ぎで泥を落としたまま上がって来たようだ。

「ハハハ、今日は戻ってきませんよ。それに紅葉丸様がお待ちかねなのでしょう?」

「まぁ…そうなんだが。有り難く代わって貰うか。」

「どうぞどうぞ、行ってらっしゃい。」

折角の好意だ、有難く頂こう。当初は俺を避けていた若い守兵の連中とも最近では打ち解けて来たと思う。


 二人で櫓から降りると門番から小刀を借りる。流石にまだ普段は刃物を持たせては貰えないのだ。

「さて、もう日も傾いて来たから近くで探そう。河原か手前の田んぼだな。なにかいい物があるといいな。」

「うん♪」

紅葉丸の手を引きながらそんな話をする。桜は散ってしまったし手が届かないことが多い。ツツジはまだ少し早い。城の周りだと前回と同じ菜の花か。


 お、川向うの土手に生えているあやめがそろそろ花が開きそうだ。

「これはどうだ?」

「あにうえ、まだおはなさいてないよ?」

「もうすぐ紫の美しい花が咲くぞ。母上のお部屋で咲くのはどうだ?」

「…そうする♪」

「よし、では、これにしよう。」

根本から切って紅葉丸に渡す。


「こんどはははうえもいっしょにくる」

城への坂を登りながらそんなことを言う。

「それはいい考えだな。あやめや菖蒲が沢山咲いたら母上もお誘いしよう。」

「うん、そうする♪」

弟の手を引きノンビリと家路に着く。

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