10・展望

 母は椿の花をとても喜んでくれた。と、同時に父が花の根元から毟り取ろうとしたことを聞いて呆れていた。隣で小さくなる父を横目に夫婦の力関係を推し量る三歳児であった。そして、もう一本の椿は光にあげた。母に百合の花を贈った話を聞いて嬉しそうな、それでいて寂しそうな顔をしていたのが気に掛かり、次は光にもと思っていたのだ。

 こちらの喜びようは尋常ではなかった。思わず引く程の号泣であった。しかし、よくよく聞くと現在侍女として俺の世話をしてくれているが元は俺の乳母であったらしい。実の母が産後すぐに亡くなったことを考えれば俺を育てた乳はほぼ全て光から与えられたものであろう。にも関わらず癇癪を爆発させ家中から白い目で見られていた俺を見捨てずに育ててくれた彼女に対して新しい母ばかりに懐くとはなんと不誠実なことであったことであろうと反省するばかりなのである。いや、原因を作ったのはさっさと満足して逝ってしまったアイツなのだが今は俺なのだ…まぁ、仕方ないのである。


 数日後、行連が掛布団用蓑を完成させてくれた。しかも、普通の蓑のオマケ付きだ。これは櫓に来るときに使えと言うことかな?きっとそうだこれからもちょくちょく来て良いってことだよね。うん、そう理解した。早速、試してみる。光が寝る前に出してくれたニ枚の着物の間に蓑を挟んで着物を被る。光はそれを見て微妙な顔をしていたが何も言わなかった。

 うん、大分いいな。有ると無いとでは段違いではある。只、やはり床が如何とも寒い…今度は蓑を下に引いてみる。正直寝心地はイマイチだ…そしてこれではあっという間に蓑はぺしゃんこに潰れて保温性を失ってしまうだろう。やはり、毛皮が欲しいなぁ…出来れば熊とか鹿の大きな毛皮が。しかしこの時代、皮は鎧の材料として需要が高い。つまり重要軍需物資であり、高級交易品なのだ。それを子供が寒いからなんて理由では出してくれまい…微妙に寒い寝床の中で生活環境の改善を思案しながら意識は落ちていく。


 暫くの後、本格的な冬の訪れの直前に初めての戦が起こった。戦と言っても手伝い働きであって場所は御爺の寄子の国衆の一人の領地であり、どうやら境界争いのようであった。父は配下の者と領民20人ばかりを連れて戦場へ向かった。櫓の上から見送った俺は遠ざかって行く父たちの様子からは戦場へ向かう高揚感のようなものは感じず、その規模に我が領地の規模が思ったより小さそうである事などをボンヤリと感じていた。

 戦自体はほとんど睨み合いに終止し父達は損害もなく年末には帰ってきた。そして、正月を越えると母の懐妊が明らかになった。秋頃には子が産まれるだろうとのこと。これには正月に来たばかりの御爺も飛んできて大騒ぎとなった。前の嫁ぎ先では子に恵まれなかった母も一つ肩の荷が下り、一つ肩の荷が載った、そんな感じであった。そして、俺はそんな母にせっせと花を届けるのである。 


 秋になった、目の前で差し出した俺の人差し指をギュっと小さな手で握ったまま寝ているのは産まれたばかりの弟、紅葉丸である。床の間の瓶に活けてある鮮やかな紅葉(勿論俺が取ってきた)から御爺が命名した。真ん丸なほっぺたも紅葉の様に紅い。

 紅葉丸が産まれてから一週間程、俺はほぼ母の部屋に入り浸りである。もう、可愛くて仕方が無いのだ。そんなこんなで紅葉丸を愛でていたのだが、廊下からドスドスとこちらに向かう足音が、

「涼、入るぞ。」

「お入りなさいませ。」

障子を開けて父が入って来る。

「若鷹丸、またおるのか。」

父が此方を見て不満そうに言う。

「ちちうえこそ、おしごとはどうされたのです?」

そう、我ら二人は此処に至って完全に敵対しているのだ。

「終わらせて来た。お前こそ行連と源三郎が最近顔を見せんと言っていたぞ。」

ぐぬぬ…確かに最近朝の鍛錬以外はほぼ此処にいた。


 しかし、なぜ四歳児がオッサン共のご機嫌を伺わなければならぬのだとも思う。思うのだが…世話になっている二人だ、顔を見せに行くか…

「若鷹丸殿。此処は御父上に譲って差し上げなさい。」

母の援護が入って父は得意気だ。

「わかりました…いってまいります」

「城の外に勝手に出るでないぞ。」

クソ…先を越された…今年に入り度々門を強行突破したり交代の隙を突いたりして外に出るようになっているのだが先回りして注意されてしまった。

 源爺の工房に顔を出し、いつも通りの仏頂面を拝んだ後、見張り櫓に登った。

「若様、暫くぶりですな。」

行連がにこやかに迎えてくれる。

いつものように壁際に踏み台を置き外を眺める。最初は鼻までしか上に出なかった体も今では顔全体が壁の上に出る程度に大きくなった。


 刈入れの終わった田んぼを眺めながら、

「ちちうえにもみじまるをとられたのだ」

憮然として答えると、

「それはそれは、家族が仲良きことは誠に結構なことですな。」

笑いながらそう返された。

「おれがあにだからな、まもってやらねばならん」

「左様ですな。御立派な御心掛けですぞ。」

 いずれ、この領地も民も母も弟も、俺が守らねばならない時が来るのだろう。だが、今は体を大きくし健康に育つことが第一だ。この時代、それすら叶わず死んでいく者も数多いるのだから。

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