第6話 斬りに参った
二人の式を再来週に控えたある日。旅人が町を訪れた。実に快活そうな男だったという。ザンバラ黒髪に不精ひげの、体格のよい男。腰には長い剣を差していたが、鞘はゆったりとした袋に包まれており、どんな剣なのかは分からなかった。それでも、ローザナン地方出身の者がいれば男が何者か察しただろう。
男はごく普通に町の入口に来た。警備の団員に片手を上げて笑いかける。
「よゥ」
三人の団員らも笑い返した。
そのとき。男の手が剣の柄にかかった。そう見えたときには、弧を描く刃が音を立てて抜き放たれていた。
団員らが槍を構えるより早く、男は太刀を振り上げて躍りかかった。一人の頭を縦に断ち、返す刀でもう一人、股から頭へ斬り上げる。二人はそれでこと切れた。吹き上がる血が地に落ちて、雨によく似た音を立てた。
喉の奥で悲鳴を上げ、残る団員は槍を捨てた。全速力で逃げ出しながら、ポケットから出した笛を鳴らす。仲間を呼ぶ、合図の呼び笛だった。
男は太刀を振るい、血を払う。血しぶきが頬にかかった。唇の端を上げて笑う。
「姓はクライン、名はリバーロ。斬りに参った」
しばらくの後、町の広場で。団長は地にひざをつき、右手を押さえてうずくまっていた。左手の下と両肩から血がしたたっている。足元には取り落とした剣と、斬り落とされた四本の指が転がっていた。
「ぐ……」
奥歯をかみ鳴らし、肩と頭を震わせながら顔を上げる。額に流れるものは脂汗とも冷や汗ともつかない。
目の前にはリバーロがいた。周りにはすでに動かなくなった団員らが転がっていた。
「てめぇ……何だ。何のつもりだ、何しにきやがった」
リバーロは穏やかな顔をしていた。頬に髪に服に腕に、返り血が散っていた。
「俺は、死だ。お前らに死が来た、そんだけだ」
太刀を振り、血を払って続ける。
「俺ァ斬るのが好きだ。そんだけだよ。手練の傭兵団がいるって聞いて、わざわざローザナンの方から来たんだが。思ったほどじゃあなかったな」
歯を見せて笑う。太刀を頭上へ振りかぶった。
「ま、楽しかったさ。じゃあな」
そこへ、背後からジョサイアが走り込む。
その日、ジョサイアは町を離れていた。荷馬車を出し、宿の食堂で出すブドウ酒を仕入れに行っていた。帰ってきたところで血の匂いに気づき、広場へ来て、いきなりこの光景に出くわしたのだった。
考えている暇はなかった。剣を抜いて走る。さらに足を速め、太刀を振り上げた男へ突きかかる。男の背後から。
男は突然振り向き、ジョサイアの方へと太刀を振るった。
ジョサイアは無理やり足を止め、のけぞるように身をかわす。太刀の切っ先が体の寸前を通り、シャツを裂いた。火のような熱さが胸の表面を走る。
すぐに跳びのき距離を取る。見れば、肌を横に走った傷からわずかに血がにじんでいた。
男は楽しげに笑う。
「斬ったと思ったがな。やるねェ」
団長が声を上げる。
「逃げろ、ジョサイア……! 町のもんと逃げろ!」
ほ、というように男が口を丸く開ける。
「なるほど、あんたがジョサイア。燕《つばくろ》ジョサイア、決闘屋。道理で――」
言う暇を与えず、ジョサイアは斬りかかっていた。息は荒く、剣を握る手には震えるほどに力がこもる。顔にまで力が入り、歪む。団長が指を落とされている、仲間が殺されている。恐れる以上に怒っていた。もはや言葉も出なかった。言葉を吐く力さえも腕に込めて斬りつける。
男は軽く太刀を振るい、ジョサイアの剣先を弾いた。
剣は横へいなされて空振った。的が外れて、勢い余ったジョサイアは頭から前のめりになる。
そこを、男の蹴りが迎え打った。丸太のような脚、鼻が潰れたかと思うような衝撃。まともに食らい、ふらついたところへ。男の刀が横薙ぎに振るわれる。
とっさの反応。自分から足を滑らせ、ジョサイアはその場に倒れ込む。男の刀は肩の肉をわずかに削ぎ飛ばしただけで空を切った。血を流しながらも地面を転がり、距離を取る。
男はあごに手を当てて、指で頬をかきながら笑う。
「やるねェ。俺はリバーロ、リバーロ・クライン。いい動きするじゃねェか、え?
ジョサイアは歯を食いしばり、顔を歪める。斬聖の名に聞き覚えはあったが、そんなことはどうでもよかった。
「……うるせぇ。うるせぇッ!」
地を蹴り、飛び込みながらの突き。
軽々とかわされるが、そこから素早く腕を引き、なおも突きを繰り出す。
それもかわされたが、さらに繰り出す。胸、腹、肩、顔、腕に脚。あらゆる箇所へ突きを放つ。すべてがかわされ、あるいは高い金属音を立てて太刀に防がれる。
息が切れかけ、弾かれ続けた衝撃に腕がしびれ、それでもなおも力を込める。
「クソがぁっ!」
剣を両手で握る。全身のバネを利かせて体ごと飛び込み、全体重を乗せて突き出す。
それすらもがかわされた。ジョサイアが腕を引くより早く、リバーロは太刀を振り下ろした。高く硬い音を立てて、ジョサイアの剣が中ほどから折られた。
ジョサイアの中の何かが、同時に折れていた。
「な……あ……」
感情は言葉にならなかった。体が突然重くなり、手足からは力が抜ける。支えきれずにひざをついた。
目の前の相手は達人も達人だった。団長を含め、手練の仲間たちが手もなくやられた。今になって気づいたが、その上相手は傷一つ受けていない。
かなうはずがない。今はただ、肩が、腕が、頭が重かった。
「気にすんなよ、死は誰にでも来る。変わったことじゃない、お前らはちぃと早かっただけさ。生きれば、死ぬ。……楽しかったぜ」
穏やかに言い、リバーロは刀を構える。
ジョサイアの体は動かなかった。かわすだけの力はなかった。ただ、顔をうつむけた。
ここまでだな、そう思った。サリアは逃げてくれただろうか。ここに来るまで町の中に人は見当たらなかった、団員が逃がしたのだろう。団員以外の死体も見当たらなかった。サリアは逃げてくれただろう。なら、いい。それでいい。
ゆっくりと目をつむる。
そのときサリアの声が聞こえた。普段聞くことのない叫ぶような声だった。
気のせいだと思いながら顔を上げた。
サリアはいた。この一年共にいて、見たことのない表情を浮かべていた。にらみ殺すような、貫くような目。堅く歪めた頬、歯をむいた口。戦場ではよく似た表情を何度も見たことがある。死兵の顔。言葉のとおり、死ぬつもりで斬りかかってくる者の表情だった。
サリアは叫んでいた。死んだ団員のものか、剣を握りしめてリバーロへ突きかかっていた。剣は届かなかった。その前に、リバーロが振り向きながら太刀を振るっていた。
ジョサイアの目にはゆっくりと見えた、太刀がサリアの首元へ斜めに当たり、白い肌が刃に押されて柔らかくへこむ。やがてぷつりと裂け、赤い肉が見える。太刀はそのまま胸へと斜めに斬り込む、服が滑らかに裂け、咬み折るような音を立てて骨が断たれる。間を置いて、蜂蜜が流れるようにゆっくりと、鮮やかな血が吹き上げる。サリアの顔に散り、リバーロの体に散り、宙に舞った。
緩やかに動く世界の中、ジョサイアは目を瞬かせていた。何が起こったのか分からなかった。目は開いていたが、自分が何を見ているか分からなかった。吹き上げられた血しぶきを追って顔を上げた。雪のようにゆっくりと降るそれが、頬についた。温かく、生臭い。鉄のような匂い。かぎ慣れた匂い。
それからようやく、ジョサイアは何か起こったか理解した。声は出なかった。世界は元の速さに戻っていた。
サリアは崩れ落ちながら、震える片腕でリバーロの腕をつかんだ。もう片方、斬り込まれた肩の方の腕はだらりと垂れていた。その腕の先、指だけが、何かを握り潰そうとするように震えていた。顔を歪ませてつぶやいていた。地にひざをつき、リバーロの腕をつかみ、瞳孔の開いた、焦点の合わない目で見上げていた。
「させ、るか、させるか、あたしの……」
爪はリバーロの腕に食い込み、血をにじませた。やがてその手から、顔から力が抜ける。それでも爪は食い込んだままだった。
リバーロは表情を変えることなく、サリアの体を払いのけた。人形のように力なく、サリアは自らの血だまりに倒れた。腕から抜ける爪が肌をかき、リバーロに新たな傷を残していた。
声にならない叫びを上げ、ジョサイアはサリアにすがりつく。ズボンが血に濡れるのも構わなかった。
見開かれたサリアの目は、ジョサイアを見上げてはいたが。瞳孔が開き、どこを見ているか分からなかった。その唇が何か言いたげに震えた。
ジョサイアの顔が歪む。額に脂汗がにじんだ。口が震えて歯が鳴った。涙と鼻水が一緒に込み上げた。
サリアの瞳が焦点を取り戻す。震える手がジョサイアの顔に伸ばされる。その手が目元と鼻の下とを拭い、柔らかく鼻をつまんだ。
「
サリアの手が力を失い、崩れ落ちる。目を閉じた顔は、ほんのわずか微笑んでいた。
ジョサイアは胸の奥から、腹の底から叫び声を上げた。サリアを離して立ち上がり、リバーロへ殴りかかる。拳は空を切った。正面から殴り返される。金槌で打たれたような衝撃、鼻がひしゃげる感触。地面に倒れる。
「女は斬る気なかったンだがな……」
起き上がろうとするジョサイアの頭に、大きな足が踏み落とされる。そのまま地面に打ちつけられた。頭の両側から丸太で殴られたような硬さと重さ。
「しゃーねェ……代わりだ」
生きてろ。遠のく意識の中、そう聞いた気がした。
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