第5話  燕(つばくろ)の決闘


 すぐに決闘場が作られた。といっても、ジョサイアと相手を敵味方で遠巻きに囲んでいるだけだ。逃げ場のない人垣の中が決闘場だった。双方から野太い響きの声援と罵声が上がる中、ジョサイアは相手と向き合った。


 相手はジョサイアより二、三歳上の男。背も頭半分は高い。体には鎖で編まれた鎧に板金の胸当てを着けていた。武器は両刃の直剣。刀身は男の腕と同じぐらいの長さ、そう長いものではない。だがナタのように分厚く、兜の上からでも頭を叩き割れそうな代物であった。無論、重量はあるはずだが、この男の太い腕ならば存分に振るえると思われた。


 対して、ジョサイアは鎧を着けなかった。旅をしてきた格好のまま、右手に細身の剣を握っただけ。短剣は腰の鞘に納めている。肩幅も胸の厚みも腕の太さも、男に比べれば一回り小さい。

 馬車の中の娘に目をやる。娘はじっとジョサイアを見ていた。再び縛られた手で荷台の縁を握りしめて。もう口は開けていなかった。


 相手の男がジョサイアをにらむ。

「恨むなよ。殺す気で行くぜ」

 ジョサイアは微笑んだ。

「どうぞ? 俺はそんな気ないんでね」

 相手の顔が引きつった。

「ンだと? 死ぬかてめぇッ!」

 言うなり大きく振りかぶり、真っ向から剣を振り下ろしてくる。


 ジョサイアは軽く横へ跳ねた。今まで自分がいた場所を、男の剣が通り過ぎる。それと同時。ジョサイアは足を踏み込み、腕を前へ伸ばしていた。突くように。

 男の剣は勢い余り、草を散らしながら地面へ食い込む。その時すでに、ジョサイアの剣は男の体へ突き立っていた。板金の胸当てをよけて、鎖鎧の上からわきへ。ジョサイアの細い剣は、容易に鎖の隙間をすりぬけていた。


 剣を抜き、男を見すえたまま数歩下がる。

「勝負あった。……ように思うんだけどな」


 ジョサイアの剣には、ほんの先にしか血がついていなかった。それ以上貫こうとしなかったからだ。わきが急所の一つであることを、ジョサイアは経験上知っていた。

「やかましいぜ……調子ン乗ってんじゃねぇッ!」

 男は、地面に下ろした剣を振り上げようとする。


 その刃が上がるよりも早く、ジョサイアは剣を踏みつけた。

 男の剣はナタのようにぶ厚い。切れ味ではなく重量で叩き斬る種類の武器だった。ゆえに、靴で刃を踏みつけても怪我はない。動き出す前ならば。

 そして、男の喉元に剣を突きつけた。

「勝負あった。だろう?」


 男は呆然と、目の前の剣を見つめていた。やがて息をつき、自分の剣を捨てる。うなだれたまま身を起こした。

「ああ、アンタの勝ち――」

 ジョサイアはうなずき、剣を納めた。

 男はゆっくりと顔を上げる。その顔が突如、怒りの形に歪む。

「――じゃねぇッ!」

 蹴り。頭部を狙った上段の蹴りであった。


 しかし、ジョサイアは男の動きから目を離していなかった。身をかがめて上段蹴りをかわしつつ、男が上げた蹴り脚の下から蹴り上げる。狙いは一つ。がら空きとなった最大の急所、股間、である。柔らかくわずかに弾力のある感触、それが蛙のようにひしゃげる。靴の上からでは感じるはずもないのに、なぜか妙に生温かい。


 ほとんど白目をむいて崩れ落ちる男の背に、再び抜いた剣を突きつける。

「俺の勝ちだ。三度目のね」


 細剣を使ったこの剣技は、幼い頃から武術を学んだジョサイアが工夫したものであった。幼く力がないため、重い剣は扱えない。重い剣なら鎧の上から叩きのめすことができるが、軽い剣でそれはできない。ゆえに、ひたすら技術を磨いた。細い剣で鎧の隙間を貫けるように。後は戦場での経験と、手練の団員らからの指導があった。

 そうして、一対一に限れば団でも上位の実力を持つに至った。団以外の相手となら、向こうが独特の剣技に慣れていないため勝率はさらに跳ね上がる。結果、他の団ともめて決闘になれば、ほとんどジョサイアが呼ばれるのだった。バーレンの一角獣とはつきあいもなかったので、相手は知らなかったのだろう。つばくろジョサイアのもう一つの異名、決闘屋を。


 決闘屋は相手から離れた。空気を切る音を立てて剣を振るい、その後ゆっくりと鞘に納める。右手を胸に当て、左足を引く。深々と礼。いつものように、仲間の喝采。


 顔を上げると、馬車の中の娘が目に入った。

 娘は立ち上がり、縛られた手で強く拍手をしていた。口は開いていたが、前のような放心の形ではない。笑顔の形だ。

 ジョサイアは、笑っていた。





 娘は縄を解かれ、ジョサイアの馬の後ろに乗っていた。団長いわく、自分で助けたものは自分で連れていけ、ということだった。


 娘は何も喋らず、黙ってジョサイアの腰に手を回していた。かつてジョサイアが団長の後ろでそうしたように。

 ジョサイアも、前を向いたまま何も言えずにいた。話しかけようとは思う。思うのだが、何を言ったものか一切分からない。母と祖母を除けば女性とこの距離で接したことなどない。周りで聞き耳を立てているであろう団員の存在感も、焦りに拍車をかけていた。風向きによって不意に香る、懐かしいような甘い匂いも。


 馬の足音だけが頭の中を響く。そのとき、不意に声が聞こえた。

「……あの」

「はいッ!?」

 反射的に背筋が伸びる。女の声だった。団に女はいない。だから、後ろの娘の声だろう。そう思考を整理して、ようやく振り向く決意ができた。


 おそるおそる娘の方を見る。未知の武器を手にした敵と対峙するかのように怖れざるをえなかった。


「ありが、と。ありがとう、ございます」

「い、いやいやなんのとんでもない!」

 震えるように、小刻みに首を振ってしまう。


 喉の奥で小さく笑い、娘は続けた。

「あたし、サリア、サリア・ソラリスっていいます。あなたは」

 ぎこちなく笑って答える。

「俺? 俺はジョサイア、ジョサイア・ロンド。つばくろジョサイアなんて呼ばれてるね、変な名前だよねこれ」


 そしてまた沈黙。


何を言うべきか悩み始めたとき、サリアがつぶやいた。

「ありがとう。本当に。あたし、昨日、っていうか今朝かな、寝てたらなんかすごい音して、目が覚めて。部屋に知らない男が入ってきて。なんか分かんないうちに捕まえられて。で、あの馬車ん中」

 息をこぼして笑うと、続けた。

「何がどうなってんのか分かんなかったけど。もしあのまんまだったら、すっごいことになってたんだろうね……本当、一生泣くようなことに」

 そこでまた黙った。


 やがて、泣く声が聞こえた。鼻をすする音。腰に回された手が、きつく握られているのが分かった。

 どうすればいい。どうすればいいんだろう。ジョサイアは考えていた。生まれてから一番本気で考えていた。そして、言わなければならないことがあるのに気づいた。これだけは言わなくてはならないこと。


 ポケットからしわくちゃのハンカチを取り出す。振り返り、差し出した。

鼻水ハナ、拭きなよ」


 サリアは目を見開いて、鼻を押さえながらジョサイアを見た。うつむく。柔らかい拳がジョサイアの背中をぶった。

ハンカチを受け取ると目を拭い、盛大な音を立てて鼻をかむ。泣いて赤くなったままの顔で恥ずかしげに笑った。

「……ありがと」

 ジョサイアは微笑んでいた。





 ジョサイアたちはサリアを町へ送り届けた。本来ならばサリアとはそこで別れるはずだったが、ジョサイアは団長と町の長に申し出た。団としては仕事がありません、町としてはこのようなことがあって不安でしょう。団を町の警護として雇うというのはいかがでしょう、と。


 あまりに魂胆の見えすいた提案に団長は苦笑したが、他の仕事もないと言って承諾した。

 町の長にも異存はなく、すぐにこれを承知した。団長が請求した賃金はそれほどに低く抑えられていた。

 それから半ば定住するように、団員たちは町に居ついた。ほぼ一年である。団員たちの中には手に職を持つ者もいる。料理、裁縫を得意とする者もいたし、元鍛冶屋もいた。会計の担当者などは元々商家の出である。そうした者らは町の中で職にありつくことを真剣に考えていた。旅暮らしの傭兵には無縁の、自分の町、自分の家庭。そうしたものの価値を思い出したのだ。


 当然ジョサイアもそうだった。職にできるというほどの特技はなかったが、サリアのいる宿屋を熱心に手伝っていた。サリアは町の宿屋の養女だった。元は別の町にいたが両親を亡くし、親類であるこの町の宿に引き取られたということだ。客商売を経験したことのないジョサイアは、常にサリアの指導を受けていた。一切頭が上がらなかったという。



 そうして、やがてサリアと婚約を果たした。

「俺に、さ。君を守らせてくれないか。一生。そう、一生一緒にいて、さ」

ジョサイアがそう言うと、サリアは目を見開いた。笑って、首を横に振る。

「ううん。あなた、もう守ってくれたでしょ? だから、もういいの」

言葉を失うジョサイアの、鼻をサリアの指がつまむ。


 いたずらっぽく笑うと、ジョサイアの耳元でささやいた。

「今度はあたしが守ってあげるよ。ずーっと」

その言葉が、吐息が甘く暖かく、ジョサイアの耳をくすぐった。ジョサイアは長く息をついた。全身から、とろけるように力が抜けていた。微笑んでいた。

「ずーっと、か。いいな。ずーっと、って」

 サリアの手を握る。柔らかく、温かい。サリアの方へ身を寄せ、体重を預けた。

 サリアもまた、ジョサイアの肩にもたれる。片手で握り返し、もう片方の手でジョサイアの頭をなでた。目をつむり、言う。

「うん、ずーっと。ずっと」

 そうして、口づけ。



 そのように婚約を果たした、ということである。

 ジョサイアは幸福であった。しかし無論、死が幸福を避けて通るわけではない。


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