第4話  燕(つばくろ)、その日


 その日は突然に来た。十八の頃だ。

 ジョサイアの団は戦場にいなかった。彼らが加わっていた、ハンザ地方での戦は半月前に終わったところだ。それまでの報酬を受け取り、しばし体を休めた後移動することとなった。といって仕事の当てはない。幸い、しばらくは食うに困らない蓄えがある。とりあえず団長の故郷、バルドーで骨を休めながら考えよう、となった。その途中のことである。


 ごく短い草の生えた平原の道で、団はゆっくりと馬を歩ませていた。街道からは外れた道である。田舎のくせに美味い飯を出すとかで、団長がひいきにしている宿がこの先の町にある。えんどう豆と鳩のシチューが団長の好物であった。回り道になるが、急ぐ旅ではない。休日の小旅行といった趣だ。団員の武具も、腰に帯びた剣以外は荷馬車に積み込まれている。


 町まであと半日かという頃。行く手の森から馬に乗った者らが駆け出てきた。数は三十騎あまり、いずれも鎧に身を固めている。遅れて、馬車が二台森から出てくる。荷馬車に幌をかけただけのような粗末な馬車だ。それらの御者も鎖鎧を身につけていた。


 騎馬と馬車の一団は道から草原へと外れ、ジョサイアたちの横を通り過ぎようとする。

 そこへバルボア団長が声をかけた。

「バーレンの一角獣。どこ行こうってんだ、そっちに仕事はねぇぜ」


 言われてジョサイアも気がついた。バーレンの一角獣。バルドーの荒鷲とほぼ同規模の傭兵団。団同士のつきあいは特にないが、同じ側で戦ったことが何度かある。見知った顔もいくつかあった。


 一団は速度を緩め、ジョサイアたちの横を過ぎた辺りで止まった。団長であろう、白髪、白ひげの男がこちらを向く。傭兵らしからぬ穏やかな風貌をした壮年の男だった。ここの団長は貴族の出だという噂をジョサイアは聞いたことがある。五男か六男か、相続権もないような末弟だったので、かつて家を出たのだと。


 白髪の男は穏やかに笑う。

「やあ、荒鷲の。何、仕事ならもう終わった。その先の町で少々物乞いをね」


 襲撃と略奪。それをしたということだ。珍しいことではない。仕事を失った傭兵、すなわち平時の傭兵はしばしば野盗、山賊となる。戦乱のときよりも平時の方が物騒だというのは、よく言われる皮肉だった。


 白髪の男は顔のしわを増やして笑った。

「思ったよりはお恵みがあってね、善男善女の多い町だ。神よ、かの地にお恵みを、とね」


 ジョサイアは何も言わずうつむいていた。ジョサイアとて傭兵だ、盗賊仕事の方も、両手の指の数では足りないほどやった。そのたびに吐き気がした。予想以上の追手がかかり、敵の気をそらすため自ら村に火を放ったことも一度だけある。野営地に戻るや、馬に乗ったまま吐いた。


 左手で握りしめた剣が、鞘の中で音を立てた。故郷の村、焼け跡となった村の光景が頭をよぎる。まるで外から眺めるように、そこに座り込んだままの幼い自分が見えた。


 仲間の一人が冗談めかした声を上げた。

「一角獣の旦那、まさか鳩肉とえんどう豆はぶんどってねえでしょうね? 返してやって下さいよ、団長の機嫌が悪くなるんで」


 白髪の男は鼻で息をつき、ひげをなでながら笑った。

「心配は無用だ。なんなら荷を確かめるかね? ああ、そうだ――」

 ひげをなでる手を止め、歯を見せて笑った。

「――鳩なら、一羽白いのがいたな」


 白髪の男が馬車に向かってあごをしゃくる。馬車の近くにいた男が、荷台の入口にかかっていた布をまくり上げる。

 中には酒樽、木箱、大きな布袋が乱雑に積み込まれていたが。その間に、娘がいた。


 年はジョサイアと同じ、あるいは下か。二つに分けてくくった柔らかそうな栗色の髪に、白い肌をした娘だった。その細い手にはきつく縄がかけられていた。馬車の入口が開いたにも関わらず、娘の目は外を見ていなかった。心をどこかに置き忘れたように、口を開けたまま宙を見ていた。


 ジョサイアは一瞬、息をするのを忘れた。

美しい、と思ったのではない。俺だ、と思った。俺がいる、と。


 無論、ジョサイアと娘の顔はかけらも似ていない。同じなのは格好ではない。その目であり口であり、座り込んだその姿だった。

 あのときの俺はああだった。あんな風に目を見開き、口を半ばまで開けて、座り込んでいた。目には何も映らなかったし口を閉じる力もなかった。まして立ち上がることなど考えもつかない。あれ以上馬車に揺られたら、きっとそれだけで壊れてしまう。俺だ。あの娘は、俺だ。


 気づけば、両脚が馬の腹を叩いていた。合図を受けて馬は歩き出す。さらに両脚が馬を叩く。馬は馬車へ向けて駆け出していた。

 手綱を引いて馬を止め、荷台に手をかけて中をのぞく。娘はジョサイアの方を向いたが、何も見てはいないように感じた。荷台のほこりっぽい空気の中に、甘い匂いをかいだ気がした。


「ほう……こいつは大した鳩ですね、一角獣の旦那」

 口が勝手に喋っていた。何を言うか考えるより速く、口は続けて言った。

「鳩は返していただきたいと、仲間が頼んだはずですが? これは村に返させていただく」

 仲間からどよめきが上がるのも構わず、左手が娘の腕をつかむ。冷たく、今まで触れた何より柔らかく滑らかだった。右手は腰から短剣を抜き、娘の縄を切っていた。娘の肌には赤く縄目がついていた。


 娘が初めて顔を動かした。その目がジョサイアの目を見る。

 娘の目が澄んだ青色をしていることに、初めて気づいた。ジョサイアはすぐに目をそらす。鼓動がどうしようもなく速まっていた。


 と、そのとき。バルボア団長の拳がジョサイアの頬を打ち抜いた。

硬い衝撃に、声を上げる間もなく馬から崩れ落ちる。地面から見上げる、団長の表情は固かった。


「おめぇが……我侭わがままぬかしたのはこれで三度だ。一度は九つんとき、スープに入ってたヒヨコ豆が嫌いだとほざいた。二度は十二んとき、新しいズボンをねだった。つぎを当てたやつがあったのに、だ」


 ジョサイアはゆっくりと立ち上がる。視線を地面の上にさまよわせ、それから顔を上げた。何も言わず団長の目を見る。


 団長は顔をしかめて顔をそむける。今度は笑うように短く鼻息をついた。

「三度目ぐれぇは聞いてやらんでもねぇ。一角獣の旦那よ、その鳩買った。いくらだ」


 白髪の男は何か考えるように黙った。あごひげをしごきながら言う。

「君とはさしたるよしみもないが……売ってもいい。あれは元々どこかに売り払うつもりでね、折り紙つきの新品さ。とはいえ、素直に金で渡すのも気分が悪い。我々は商人ではない、我々は――」

 抜けたひげを息で飛ばし、続ける。

「――紳士だ。紳士らしく決闘で決めようじゃないか。一対一、そこの彼とうちの若いの。そちらが勝てば娘と金十枚進呈しよう。こちらが勝てば金十枚と……そう、彼の両手をいただこうか」


 白髪の男はジョサイアに微笑む。

「なに、斬りはせんさ。だが、商品に触れないよう折らせていただこう。ああ、もちろん生きていたらで結構」


 ジョサイアは笑い返した。服の土を払いながら言う。

「なるほど? それでお願いしましょう、旦那。相手は誰です」


 バルボア団長が言う。

「やるか決めんのはおめぇじゃねぇ」

 鼻毛を抜き、指で弾いてから続けた。

「なるほど、おれたちゃ紳士だ。お願いしよう、旦那」


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