第3話 鼻水(ハナ)を拭け
ジョサイア・ロンドは孤児であった。戦災孤児である。珍しくはない。彼の村は国境近くにあり、小競り合いがあった。それだけである。ただ、激しく抵抗したため敵も強く打って出た。襲撃、略奪に加え、焼き討ちである。
ジョサイアは九つであった。焼け跡と化した村で座り込んでいた。目を見開き、口を開けたままそうしていた。頬も、鮮やかだと母親がほめていた金色の髪も煤だらけになっていた。母と祖父母は炭のようになって固まっていた。父は元々いない。
涙は出なかった。何がなんだか分からなかった、自分が見ている光景が何なのか分からなかった。真っ黒に汚れた手が煤臭かった。彼を知る者は今や皆、死ぬか落ち延びるか、囚われるかしていた。空は青く晴れていた。
彼に手を差し伸べたのは、村を通りがかった傭兵団であった。バルドーの荒鷲、と自称する一団であり、団長は名をジルド・バルボアという。団名のごとく、鷲のくちばしのように高い鼻をした男だった。
馬上から差し出された手を、ジョサイアは何なのか理解することができなかった。目には映っていても、自分に差し伸べられたものだと分からなかった。
その手がさらに伸び、ジョサイアのえり首をつかむ。男の手は太く、毛むくじゃらで、温かかった。その手に力は入っていたが、柔らかく注意深い力だった。村を襲った者らが武器を振るうような、硬い力ではなかった。
ジョサイアは立ち上がる。ずっと座り込んだままだったせいかふらついた。それを男の手が支える。背伸びをし、男の方へ手を伸ばした。男の力強い手がその体を引き上げ、馬の尻に乗せた。
その男――団長から聞いた最初の言葉は「
ジョサイアは雑用係として団についた。十歳を過ぎてからは団員の暇潰しを兼ねて武術の指導を受けた。仕事も武術も、物覚えはかなり良かった。十五で戦場の端に加わり、十七の頃には
武術を習ったのは、団の一員として覚えるべきだと思ったのが半分。家族の仇を討ちたいと思ったのが半分だった。だが、戦場に出るようになった頃には、その思いも薄れていた。直接の敵方だった国境の町は、すでにそこの領主ともども戦で滅んでいた。村を襲った部隊も共に壊滅したと聞いた。
団長はジョサイアの初陣前、団を抜けてもいい、と言った。が、ジョサイアはそうしなかった。その頃にはもうジョサイアは傭兵団の男であり、団はジョサイアの家族だった。
それからジョサイアは傭兵として戦い続けた。だが、時には嫌気が差すこともあった。自分は仕事として戦い、敵を殺している。それは食い扶持と引き換えに、自分と同じ不幸な目に遭う者を作っているのではないか。そんな自分に、幸福になることは許されていないのではないかと。
そうした思いに駆られるときには、決まってバルボア団長の言葉を思い出した。なぜ自分を拾ったのか、そう聞いた十六の時のことだ。
「手が勝手に動きやがった」
そう団長は言った。
「その後で思い出したんだ、おれにゃあ弟がいた。二つ下でよ、おれが十二のときに戦で死んだ。おめぇはそいつに、ちっと似てた。ちっとだけな」
言って、団長はジョサイアをなでた。あの時と同じ、毛深く力強い手だった。
それからジョサイアは時々思う。俺の手もいつか、団長のようなことをしたがるのだろうかと。勝手に動いて誰かを救うのだろうかと。そのときには、何かが変わるのかもしれないと。
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