第7話  お前の意味は


 ジョサイアが目覚めたのは二日の後、葬儀がすべて終わった後だった。


 生き残った団員はジョサイアと団長だけだった。団長は宿の自室にいた。残った左手で酒のグラスを手にしていた。

「奴には関わるな。無理だ」

 ジョサイアが声をかける前にそう言った。


 ジョサイアは言葉を失った。口は開いたが、何を言えばいいか分からなかった。

 団長は包帯を巻いた右手に目を落とし、首を小さく横に振った。

「無理だ」


 ジョサイアの顔が引きつる。奥歯が音を立て、爪が掌に食い込んだ。心臓が大きく脈打ち、こめかみが破れそうなほどの血が頭へ走る。行き場のない力があふれ、その力が腕に満ちる。気づけば、殴っていた。

 団長は椅子ごと転げ、それでも何も言わなかった。床に倒れたまま、ジョサイアの目を見上げていた。その視線は真っすぐだったが、目に光はなかった。芯の抜け落ちた目。ジョサイアの知る団長の目ではなかった。


 ジョサイアはきつく目をつむった。まぶたに、奥歯に、拳に言いようのない力がこもる。再び振り上げた拳を宙で止める。震えるまま壁を殴りつけた。部屋を駆け出て、叩き割るような勢いでドアを閉める。

 わずかな蓄えと荷物を持ち出し、町を走り出た。皆の墓には行かなかった。顔を上げてひたすらに走る。つぶやいた。


 鼻水ハナを拭け、前を向け。奴を許すな、ジョサイア・ロンド。お前の意味は、もうそれだけだ。

 さらに速度を上げ、息が切れるのも構わずに走った。





 五年の後であるという。ローザナン地方にジョサイア・ロンドはいた。

 いかなる修練を自らに課したのか、細身だった体は隆々たる筋肉を有していた。腕は古木の枝、腹は幹、脚は根のようであったという。輝くようだった金色の髪はくすみ、頬はこけ、目は刃物のように鋭い光を持っていた。もはや、誰も彼を燕《つばくろ》と呼びはしなかった。


 かつて手にしていた細剣はつばくろの名と共に捨てていた。今のジョサイアが武器としているのはより厚身の長剣である。直剣であり、長さはリバーロの太刀よりわずかに短い。両刃で、刀身は太刀よりも厚く頑丈である。

 彼の鍛錬の一部を目にした者によれば、ジョサイアは跳び上がりながら剣を片手で振るい、空中の蝙蝠《こうもり》を両断していたという。常人なら片手振りで小さな的へ当てるだけでも困難であろう。的が動くとなればさらに。加えて、両断するというのも並大抵のことではない。ジョサイアの剣は太刀ほどに鋭利なものではない。たとえるなら宙に舞う紙風船、これをカミソリで裂くことは容易であろう。しかし、ナタで裂くならば。それを成すには、恐るべき剣速でもって無理やりに裂く他あるまい。


 剣速、腕力、精度。ジョサイアはそれらを達人と呼ばれる域まで鍛え抜いていた。達人を斬るには達人にならねばならない、ジョサイアは口癖のようにそうつぶやいていた。

 リバーロを見つけることは未だできていなかったが、それでも出会うと確信していた。ジョサイアの噂は広まっているし、町を発つたびに次の目的地と滞在予定の期間を住民に言い残している。それを聞きつけて向こうから探しにくる。理由はないが、確信があった。


 ある町の食堂でのこと。夕食を食べ終えて水を飲んでいると、一人でテーブルについていたジョサイアの横に誰かが座った。

「やあ、奇遇だね。五年、いや六年ぶりかな」

 白髪に白ひげ、壮年の男。バーレンの一角獣の団長であった。


 ジョサイアが無言でいると、白髪の男は勝手に喋った。

「それにしても見違えた、よくぞそこまで鍛えたものだ。うちの者では四、五人がかりでもかなわんだろうね。ところで、一つ話が――」


「失せろ」

 水のコップに目を落としたままジョサイアは言った。この男の顔を見、声を聞いているだけで気分が悪くなる。取り戻せないもののことを思い出しそうになる。

 白髪の男がさらに何か言いかけたところで、ジョサイアは手に力を込める。音を立ててコップが砕け、水がテーブルにこぼれた。


 慌てて男は立ち上がる。押さえるように両手をジョサイアに向けて言った。

「分かった、すまない。だがこれだけは聞いてくれ。これも何かの縁だ、昔のよしみもある。我々の団としては君に加勢したいと考えている」

 バーレンの一角獣との間によしみというほどのものはない。リバーロには国や複数の町から賞金がかけられている、それが目的だろう。

「勘違いしてほしくないのだが。賞金目当てではない、ほんの一部もらえればいい。バーレンの一角獣は紳士なのだ、欲しいのはむしろ名声。それに義、だ」

 名声は分かる、とジョサイアは考えた。死神を討った部隊となれば破格の条件で雇われるだろう、雇った側にはそれだけの箔がつくことになる。しかし、義とは何だ。


 男はもの悲しげな顔で首を横に振る。どこか気取った仕草に見えた。

「なんと言ったか……そう、サリア。彼女のことは残念だった――」

 その名を聞いた瞬間、火花が散ったように頭の奥が、胸の中が痛んだ。


 一息にサリアのことすべてを思い出す。初めて出会ったときの、あの淀んだ目。試合に勝ち、助けたときの笑顔。村へ送るため、馬の後ろに乗せたときの暖かさ、柔らかさ。それに薄甘い、なんだか泣きそうになるほどいい匂い、懐かしい匂い。宿で共に働いたこと、仕事を熟知している彼女にまったく頭が上がらなかったこと。婚約の言葉。

 そして。斬られるサリア、その虚ろな目。刃が食い込む柔らかな肌、骨を断たれる音。生温かい、鉄臭い血。ジョサイアの鼻水を拭う指。まるでかなわなかった自分。踏みにじられた自分。

 自分の何もかもが、荷車にひかれた亀のように潰される感覚。


 目を見開く。何も言わず、立ち上がりざまに男を殴る。男は床に叩きつけられるような勢いで椅子から転げ落ちた。


 ジョサイアの肩が大きく上下する。血がこめかみを、頭の中を駆け巡るのが分かる。額に汗がにじんでいた。耳が熱かった。目が熱かった。

 床を踏みつける。その音が店の中に響いた。

「その名を……言うな」


 やがて、白髪の男は立ち上がって頭を下げた。

「すまない、軽々しく言うべきではなかったね……。だが、これだけは聞いてくれ。君の事情は知っているし、我々もかの斬聖を、死神を放っておいていいとは思わん。なるほど、君は強いだろう。だが一人で勝てるかね。協力させてくれ、君ほどの剣士が失われるのは――」


 最後まで言わせず、ジョサイアは剣を抜いた。片手で無造作に一振りし、テーブルに叩きつける。テーブルは薪が斧に割られるように乾いた音を立て、木片を散らして二つに割れた。

 後ずさろうとする男の足元に、懐から出した二本の短剣を投げる。短剣は男のつま先をわずかにそれ、床に突き立った。


 動きを止めた男はゆっくりと両手を上げ、押さえるように掌をジョサイアに向けた。

「……分かった、分かったとも、悪かった。これ以上は言うまいよ、ただその話だけ覚えていてくれ」

 そう言うと、後も見ず足早に店を出ていった。


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