第二章
第15話 宝石小路
キラル・カラル通りこと宝石小路は、インザナの丘にほど近いところにある。
インザナの丘といえば、貴族たちの邸宅があつまっていることで有名だ。そして宝石を買うのはたいていは貴族連中や豪商たち……より正確にいえばその夫人や妾連中なのだから、実に合理的といえば合理的な場所にあることになる。
なにしろウル・ゾンキムの宝石商の多くがあつまっている通りなのだ。その警備は、厳重といってよかった。
まず下手な格好をして通りにうっかり足を踏み入れたりすれば、それだけで宝石商たちの雇っている警備兵につまみだされる。
だが、実をいえばそうした警備は、ある意味では不必要な代物といえた。キラル・カラル通りで「仕事」をしようとする盗賊など、まず存在しないからだ。
宝石商たちはそれぞれ五大盗賊結社のどこかに、高い上納金を払っている。もしそうした宝石商の店から宝石を盗んだりすれば、たちまち結社に追いかけられ、消されてしまうというわけだ。
というわけで、正直にいって、俺はキラル・カラル通りに入るまで、かなり緊張していた。一応、アルカーナの幻術で顔の形は変えているとはいえ、もしそれを見破られたら、と考えるだけでぞっとする。
さっきも言ったような理由で、キラル・カラル通りは結社に属しているまっとうな盗賊にとっては、鬼門といっていい。いくらきらきら光る宝石があったとしても、決して盗むことはできないのだから。逆にいえば、盗賊がこの通りに入っただけで、面倒なことになるといえる。
もっとも、アルカーナはまったくそんなことを気にした様子もなかったが。
「しっかし、実際……我ながらさすがに大した幻術っていうか……ははは」
アルカーナが笑いながら言った。
「見ろ。こういう格好もなかなかに似合うだろう?」
「格好ていうか……お前、それ、中身までぜんぜん別人にしているじゃねえか」
実際、アルカーナはまるで「別人」に化けていた。
純血のゾンキア人に特徴的な濃い褐色の肌に艶やかな黒髪、そして黒い瞳というものである。見るからに妖艶で肉感的な、ゾンキア美女に化けていた。年の頃は、二十代のはじめというあたりか。
胸や尻も豊かなあたり、アルカーナのひそかな願望が入っているような気がしてならないが、よけいなことを言うとまたなにを言われるかわからないので黙っておいた。
だが、この小娘は姿を変えても相変わらず勘が鋭い。
「なんだ……べ、別にこの姿は、私のその、身体的な望みをかなえているとかそういうわけじゃないんだぞっ」
というか、それって自分から白状しているようなものじゃないか、という言葉を俺は苦笑しながら飲み込んだ。
ちなみにいまの時刻は午後の七刻(午後二時)すぎといったところだ。
天には黄金の塊となった太陽が輝いていた。黒い敷石の敷き詰められた路地からは陽炎が立ちのぼっている。
ウル・ゾンキムの都で特徴的な、円蓋屋根の建物があたり一面に並んでいた。この炎暑にも負けずに、通りには人々がごったがえしている。
もちろん一番多いのは褐色の肌のゾンキア人だが、俺のような黒い肌をしたメーベナン系の住民もときおりいた。
ごくごくまれに、アルカーナみたいなセルナーダの蛮人の血が混じっているらしい連中もいる。なにしろここはゾンキア帝国の帝都ウル・ゾンキムなのだ。肌の色の違いくらいで驚いてはいられない。
街をゆくもののほとんどは、黒い衣服をまとっていた。何代か前の皇帝が出した布令で、「彩色権」と呼ばれる権利を買ったものしか黒以外の色つきの衣服をまとってはいけないことになったのだ。これは当時の皇帝がカラサー……つまりは狂気を司る女神に憑かれていたからとも、あるいは狂気のふりをしてちゃっかり税収を増やしたともいわれているが、本当のところは定かではない。
そうした黒衣の人々のなかにあって、アルカーナの赤い薄紗姿はかなり目立っていた。より正確にいえば、アルカーナが幻術で生み出した姿、というべきかもしれないが。
赤い薄紗に反対色の鮮やかな緑玉や緑柱石をちりばめ、さらに銀に青玉や翡翠、土耳古石といったものを身につけたアルカーナの姿は、典型的なゾンキア帝国の富裕層の夫人の姿に見えた。まあ本人がそれをねらった幻術であるのだから当然といえば当然なのではあるが。
「どうだ、なかなか見違えたろう」
とアルカーナは言っていたが、実際、あのなまっちろいクソガキ姿を知っている俺にしてみれば、それはまあ、ある意味で衝撃的な姿ではあった。
通りを行きすぎる壺をつるした水売りや、道ばたでイマムの実を売っている露天商といった連中が、アルカーナの姿を見て驚いたように振り返っている。正直、こんなに目立つ美人姿に化けないほうが目立たなくて助かるのだが、そこらへんはやはりガキとはいえ女心、という奴なのだろうか。
「ふふふ、快い視線を感じるな……」
ただ、そうしたアルカーナの気分はいくぶんわからないでもなかった。
ゾンキア帝国では、否、シャラーン文明圏では、褐色の肌に黒髪、黒い瞳を持つものしかまともな人間として相手にされないのだ。黒い肌や白い肌は、あくまで「蛮人」と見なされる。
ふだんからアルカーナはそうした人々の蔑視に慣れているのだろう。だからこそ、いまのように男の目をひきつけているのが、いっそう快感に感じられるに違いない。
だったら普段から幻術で肌の色くらい変えてもよさそうなものだが、そのあたりもなかなか、複雑なものがあるのだろう。たとえば、俺は自分の黒い肌が嫌いじゃない。それをゾンキア人のような色に、たとえ幻術でも変えたいとは思わない。
おそらく、アルカーナも似たようなことを考えているのだろう。
俺たちは、人々でごったがえす東市場通りから、インザナの丘へと向かう坂道を登っていった。おそらくなにも知らないものが俺たちの姿を見たら、どこかの豪商の妾かなにかがメーベナン人の護衛兼下男をつれて歩いているように見えるだろう。
黒い敷石の敷かれた路地の上に陽炎が立ちのぼっている。その先に、目指すキラル・カラル通りこと、宝石小路はあった。
俺は緊張に心臓の鼓動が高鳴るのを感じていた。
一般的な店、特に繁華街の店などでは「勇敢なる乞食通り」のように幻術を広告などに用いているところが多い。
だが、宝石小路は話が別だ。
むしろ、幻術の類を排除する強力な結界が敷かれている場合のほうが多い。
理由は単純で、宝石の実物を売り買いする店で幻術が使えたら、客はただの石ころを宝石と思って買わされる、といったことも極論すればありうるからだ。そのため宝石小路では、幻術は法度となっている。
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