第14話 キラル・カラル
「そうだ。たとえば……お前はいま、なにか呑みたいものはあるか?」
突然の問いに、俺はしばし沈黙した。
「そうだな……ちょっと葡萄酒でも飲んで、頭を休めたい気分だ」
実際、アルカーナとこんなややこしい問答をしているとひどく脳味噌が疲れてくる。
「葡萄酒か」
アルカーナが笑った。
「さて……ここでまた『可能性の雲』が出てくるわけだが、この部屋に、葡萄酒があると思うか?」
「俺が知るわけないだろう?」
俺は肩をすくめた。アルカーナがまたにっと笑った。
「実をいえば、私もよくわからない。私は酒を嗜まないが、この塔は師匠から受け継いだので、あるいは師匠の残したものがあるかもしれない。さて……では、たまたま『お前の後ろに葡萄酒の入った壺が置かれている』という可能性はあると思うか?」
「そりゃ……いくらなんでも」
俺は言った。
「『たまたま』俺の呑みたいと思っていた葡萄酒の壺が、俺の後ろにある可能性なんて……」
そこで俺は、はっとなった。
「なるほど……アルカーナ。お前の言いたいことが少しわかってきた。つまり……『ごくわずかではあるが葡萄酒の壺がある可能性は存在する』わけで……幻術師は、その可能性の雲のなかから、『葡萄酒が実在する現実』を取り出す……っていうか、選び出す、そういうわけか?」
アルカーナが驚いたように目を見張った。
「驚いたな、ウル・ジャファル! お前には幻術師の才能があるぞ! まさにそういうことだ! たいていは、その可能性を完全に確定させることはできない。だから、その姿だけとか、音だけとか、そうした可能性の一部だけが幻という姿で現れるわけだが……」
つまりこういうことだ。
アルカーナの理屈だと、幻術師はある物体なり状態が『実在する可能性』を高めるということだろう。
そして優れた幻術師ほど、その可能性は現実に近づき、それが実在する現実なのか、そうでないのか認識する人間に区別しにくくする。
妙ちくんりんといえば奇妙きわまりない理屈だ。ある意味では、詭弁とすらいっていいかもしれない。だが、アルカーナの語る幻術師の世界観というものは、ひどく魅力的に思えた。
「これが、幻術だ……ウル・ジャファル。そしてお前は、天性の素質というべきか、幻術の本質を直感的に理解したらしい」
アルカーナが言った。
「ある意味では、この世界そのものが幻だ。現実も幻術も、究極的にはなにも変わりがない。あるのはすべての可能性にすぎず……私たちが現実だと信じ込んでいるこの世界も、ただ一つの可能性にすぎない。それを理解しないと……『幻想宮』に入ることなど危険すぎてとてもできない」
「それはわかったが」
俺は言った。
「その幻想宮とやらはどこにあるんだ?」
途端にアルカーナが顔をしかめた。
「それがわかれば、苦労しない。このウル・ゾンキムのどこかにあるのは確実なんだが……」
「ウル・ゾンキムのどこか、ね!」
俺は思わず笑った。
「ウル・ゾンキムがどれだけ広いか、お前だって知っているだろう? なにしろこの街にゃ百万人も人間が住んでいるんだぜ?」
「それくらい、私だって理解してる。ただ……幻想宮の在処は一種の謎かけのようなものでな」
謎かけ。なるほど、面白そうなことになってきた。
「いいじゃないか。お宝の隠された迷宮の入り口が謎かけになっているなんて……なんだかおとぎ話みたいだ」
「あいにくとこれは『現実』だ」
さきほどまで現実と幻想の区別なんてない、とか言っていたくせにアルカーナは現実というところを強調した。
「『キラル・カラルの黄金の髑髏が赤き月の光で満つるとき、幻想宮への扉は開かれん』……これが、その謎かけなんだが」
アルカーナが言った。
「なんのことか、わかるか?」
それを聞いて俺は苦笑した。
「なんのことかって……少なくとも場所はわかってるじゃないか。キラル・カラルっていえば、あの宝石商の店が並んでいる通りだろう?」
「宝石小路のことか?」
アルカーナが不思議そうに言った。
「なんでそれがキラル・カラルだと……」
ようやく俺は、アルカーナの言いたいことを理解した。
「そうか……あんたは幻術師でも、盗賊結社の一員ってわけじゃないもんな」
俺は言った。
「キラル・カラルってのはあんたも知ってのとおり、上位ゾンキア語で『ぴかぴか光っている』とかそういう意味だ。キラル・カラル通りってのは、盗賊たちの間の隠語なんだよ。つまり、ぴかぴか光る宝石が売られてる宝石小路こそが、その謎かけに出てくるキラル・カラルと考えて、まず間違いない。どうやら俺たちは、お宝に辿り着くための最初の鍵を手にしたみたいだぞ?」
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