第11話  幻術談義

 アルカーナの塔は、魔術師大路のなかほどに位置していた。


 魔術師大路は、その名がしめす通り、多くの魔術師たちが住まいを構える場所である。とはいえ、ただの簡単な呪文を使える程度の術者では、この通りに塔を建てることはできない。


 魔術師のなかでも、特に大魔術師などと呼ばれるようなほとんど人間離れした連中がこの界隈には多く住まっているのだ。


 そのなかには実に四百歳の齢を数えるという伝説の魔術師、ウコゴ・ムゲシュや「真の闇の」ガグモールといったいわやる「ウル・ゾンキムの六賢者」も含まれる。


 アルカーナもさすがにウル・ゾンキムの六賢者には遠くおよばないとはいえ、この通りに塔を持っていることはやはり相当の術者ということだろう。


 一見すると、小生意気なチビガキにしか見えないが。


 さまざまな意匠を凝らした塔のなかでも、アルカーナの塔は目立っていた。さすがに幻術師の住む塔ということか、塔の周囲をさまざまな色合いの球体が周回しているように見えるのである。


 そうした球は、シャラーン魔術の魔力の源である十二の魔術星を象徴しているという話だった。そのためか、特に赤い月メレンマーシャーを表す赤い球が、ひときわ大きく輝いている。


「しかしなんだかこう、悪趣味な塔だな」


 ぐるぐると幾つもの球体が回っているずんぐりとした塔を見ながら俺は言った。


「悪趣味で悪かったな」


 アルカーナが舌打ちした。


「ただ、これは私が師匠から受け継いだものだからな……」


 アルカーナの師匠、ということは伝説のあの『現想師』ウル・キームがこの塔を建てたということだろうか。


「とにかく、こちらにこい」


 そういうと、アルカーナは俺の手を掴んで引き寄せた。思わぬほどひんやりとした感触に、一瞬、体がびくっと震える。


 アルカーナは、塔の石造りの壁に、そのまま頭をつっこんだ。


「!」


 なにが起きているか理解する間もなく、俺も塔の奥へと引っ張り込まれていた。


 石に頭がぶつかる、と思った瞬間には、あたりは闇に包まれていた。完全な闇。俺も盗賊稼業で闇には慣れているつもりだが、この闇は俺が知っているものとはなにかが異質なものだった。


 まるでこの世ではない世界に誘い込まれるような……一種、形容しがたい感覚である。


 俺は必死になって、アルカーナの手に掴まった。正直に言おう。俺は恐怖を感じていたのだ。


 どれほどの時間が流れたかわからない。


 気がつくと、俺はちょっとした広間のような場所に立ちつくしていた。


「…………」


 思わず、あたりを見渡す。


 室内は淡い魔術照明らしきもので照らされており、薄暮の頃合いのような柔らかな光に満たされていた。あたり一面に、さまざまな書物や紙片、あるいは石板といったものが散乱している。


 下に敷いてあるのはかなり高級な真紅のまジャスロン絨毯のようだが、その上に立っているとなんだかなかば宙に浮いているかのようだ。


 異国的な、俺の先祖の故郷、メーベナン風の仮面の類が壁際にはずらりと飾られている。青銅製の怪物像が、あちこちに置かれていた。


 一番大きな像は、高さが十イフトル(約三メートル)ほどもある砂竜の姿をしたものだ。


 なにしろ魔術師の塔にある像の類は、たいていはいざとなれば動き出す護衛用のものと相場が決まっているので俺はなんとなく落ち着かない気分になった。


「どうした? 別段、そんな緊張する必要はないぞ」


 そう言うと、アルカーナは床に敷かれていた紫の絹に金糸を刺繍されたクッションに腰を下ろした。


「ほら、ウル・ジャファル、お前も座れ」


「あ、ああ」


 なんとなく落ち着かないまま、俺もクッションに腰掛けた。


「喉が渇いたな……ジョナ茶でも飲むか?」


 そう言ってアルカーナが指をぱちりと鳴らすと、その手にいきなり北方大陸産らしい、高価な陶器の碗が現れた。なかには真紅の液体……おそらくはジョナ茶……がなみなみと注がれている。


 アルカーナがうまそうにジョナ茶をすすった。


「おいおい……それも幻術で生み出した偽物とかじゃないだろうな」


「さて、な」


 小娘がにやっと笑った。


「そんなことより、お前ももう少しくつろげばどうだ? なんだか、緊張しているようだが」


「そりゃ緊張もするさ」


 俺は正直に言った。


「なにしろ『現想師アルカーナ』の塔に、こうして客として呼ばれたんだ。一体俺が見ているこれは……そもそも現実なのか? 実は俺はまだ幻術でも見せられているんじゃないか? そんな気分にもなってくる」


「なるほど」


 アルカーナがうなずいた。


「お前はただの盗賊……というわけでもなさそうだな。即物的に、目に見えたものがすべてそのまま現実、と信じる手合いとは違うというわけか」


「まあな」


 俺は言った。


「自慢にもならないが、これでも俺は疑り深いんでね。さっきからあんたの幻術を目にして、なにが本物でなにが幻術なんだか、感覚が麻痺しちまった」


「あるいは」


 アルカーナがジョナ茶の碗を手にしたまま言った。


「実のところ……両者に、差などないとしたらどうする?」


「どういうことだ?」


 俺の問いにアルカーナが答えた。


「言葉通りさ。現実も幻影も、等価だとしたら?」


「馬鹿馬鹿しい」


 俺はかぶりを振った。


「現実は現実。幻は幻だ。たしかにあんたの幻術には俺もずいぶんとびっくりしたし、現実そっくりの幻影が実在するっていうのも理解している。でも……」


「なんだ、思ったより頭が固いんだな」


 俺は舌打ちした。


「というよりは懐疑主義者とでも言ってほしいね。いくらあんたが大幻術師とはいえ、現実と幻がおんなじなんて話はとうてい、受け入れられない」


「ほう」


 アルカーナが薄く笑った。


「じゃあ……こういう想像をしてみるのはどうだ? ここは実は……『キシュススの悦楽亭』のなかだ。そこでウル・ジャフル……お前は私にかけられた幻術を、そのまま現実だと勘違いしている」

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