第9話  幻術戦闘

 とりあえず俺は、敵の数を正確に把握することにした。

 

 後ろからは、三人。それと前方の右手から、一人。

 

 とはいえ、他にも暗殺者が隠れていないとは限らない。たとえば幻術のなかには、自らの身を見えにくくしたり、ほとんど透明にしたりするようなものもあるのだ。そうした奇襲にも注意しなければならない。


 アルカーナが、なにか呪文を唱え始めたのはそのときだった。


 まるで幾つもの音節を詰め込んだような、とても人間の口から発されたとは思えないような異音があたりに鳴り響く。それが、圧縮詠唱と呼ばれる特殊な技術であることは、魔術に関しては無知な俺でも知っていた。


 こうした戦闘の際、魔術師は無防備な時間が出来る。呪文の詠唱で精神を集中する際、外からの攻撃に対しては無力になるのだ。そうした欠点を解消するために、高位の戦闘慣れした術者になると圧縮詠唱とよばれる詠唱技法を使うのである。


 同時に虚空に恐ろしいほどの速度で、アルカーナが複雑な印を描いていく。


 次の瞬間、異変が起きた。


 何人もの赤い衣服をまとった男たちが、路地の影からわらわらと現れたのだ。


 一瞬、俺は息を呑んだ。この赤服どもが何者なのか、見当がつかなかったのだ。


 まるで気配も感じなかったというのに、赤い衣服をまとった連中は突然、出現した。まるで幻かなにかのように。


 そこまで考え、俺は笑った。

 なるほど、これはアルカーナの生み出した幻影に違いない。


 それにしてもとても幻影とは思えないほど、赤い人影は生々しく見えた。外套のひだの細部のゆれるさままでが、まるで現実と変わりない。


 いや、よくよくみればどこか違和感らしきものが残るのだが、それも俺がこれはアルカーナの生み出した幻術だと知っているためかもしれない。


 黒衣の暗殺者たちの間に動揺が走るのがわかった。


 おそらく、連中も即座にこの赤い人影が幻影だということくらいは看破しただろう。だがそれでも、なまじ暗殺者として優れているだけに……奴らは幻影を無視することができない。


 もしこれが戦い慣れしていないような奴らなら、正体が幻影だとしれれば自棄になって幻影を無視し、俺にむかって突っかかってくることもできたはずだ。


 だが、黒衣の男たちは相当の実戦訓練を積んでいるらしい。そのため、理屈ではただの幻影にすぎないとわかっていても、自分の周囲にいる赤い人影に、体が勝手に反応してしまうのだ。


 ましてや相手が、赤い月の光を照り返して血に濡れたように輝く曲刀を手にしているとあれば。


「赤いのは幻術だ!」


 奴らの一人が、仲間にむかってそう叫んだが、赤い人影が放った斬撃を男は本能的によけていた。実際は幻なのだから、まったく無駄な動作しかいいようがない。


 その隙をついて、俺は腰の鞘から曲刀を抜きはなった。刀身の長さが二イフトル(約六十センチ)ほどの、盗賊が愛好する小振りなものだが、その刃の切れ味はかなりのものだ。


 赤い外套の連中はみな、黒衣の男たちを敵にまわして戦っている。暗殺者たちからすれば、悪夢のような光景に思えただろう。


 俺は赤い人影の後ろから、さきほど声を発した黒衣の男にむかって近づいていった。


 赤衣の幻影が放った一撃をよけようと、黒衣の男が体の体勢を崩す。そこを狙って、下から切っ先を跳ね上げるようにして相手の首筋をねらった。


「!」


 俺の曲刀は、我ながら見事に黒衣の男の首筋を切り裂いていた。首の太い血管から、大量の血液が噴き出してくる。


 まるで深い霧のように血を噴出させながら、黒衣の人影が前のめりに倒れた。


 そのときだった。


 倒れた男の背後から、突然、新たな黒い外套をまとった敵が現れたのは。


 それこそ幻で生み出されたかのようだった。あるいは、奴は前の味方が倒されることをあらかじめ想定して、後ろで待ち受けていたのかもしれない。そうした恐ろしい暗殺術があることは、知識としては知っていた。


「このっ!」


 あわてて曲刀を構え、刀身で相手の刀身をうけとめる。金属同士が激突する耳障りな音が鳴った。同時に紫色の火花が散る。


 そのとき、黒衣の人影が左手を懐に差し込むと、小さな短剣を取り出した。


 まずい。


 奴が曲刀を使ったのは、あくまでこちらの意識をそちらにむけさせるため、だったのだろう。本命は、この短剣だったのだ。こちらはすでに曲刀による攻撃を受け止めるのが精一杯で、とても短剣に対応できない。


 短剣が、ぐんぐん俺の心臓めがけて迫ってくる。薄刃の短剣は、刃が横向きにねかされていた。これは肋骨と肋骨の隙間をねらって確実に心臓を突き刺すための、まさに必殺の短剣だ。


 もし、そのまま事態が推移していたら俺は間違いなく、心臓に刃をうけて死んでいただろう。


 だが、そのとき暗殺者の背後から、赤い人影が曲刀を振り下ろしてきた。


 凡人であれば、そのままこちらへの攻撃に気をとられ、あるいは攻撃されたことにすら気づかなかったかもしれない。が、実に皮肉なことに、よく訓練されている暗殺者だからこそ、俺の心臓をねらった暗殺者は背後からの幻の攻撃に気づいてしまった。


 暗殺者が、体を反射的に横に飛ばす。そのため、奴が突き出してきた短剣の刃は俺の脇腹のあたりをかすめた。


 次の刹那、背後から赤い幻影によって生み出された男の長剣が暗殺者を両断したが、刀身は暗殺者の男を透過しただけでなにもおきなかった。やはり幻術なのだ。


 とはいえ、暗殺者の体はその幻影に反応してしまっている。俺は左手で男の短剣を脇に挟むようにすると、そのまま返す刀で曲刀を素早く持ち替え、下にむかってふるった。

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