第8話  暗殺者たち

「素晴らしい」


 ふいにこちらをむくと、アルカーナがにやっと笑った。


「ところで……もう、気づいているな?」


 相手がなにを言いたいのか、もちろん俺にもわかっていた。


「ああ……また、お客さんらしいな。今晩、二度目、俺たちに後ろから急速に近づいてくるところだっ」


 そう、ついさきほどから周囲の人影が不自然なほどに減っていたのだ。まだ勇敢なる乞食通りの客がひける頃合いには早いというのに。


 おまけに、黒いフードとハルザードと呼ばれる羊毛の外套に身を包んだ人影が、何人も俺たちに後ろから急速に近づいてくるところだった。


 いや、右の路地と左の路地からも、それぞれ一人ずつ、黒衣の人影が姿を現す。


「よう……あんたら、なんだい? もしかしてまたさっきの蜥蜴かあ?」


 そのときだった。


 左から現れた人影が、黒いフードをするりと後ろにおろしたのは。


 その下からあらわれた顔を見て、俺は思わず声をあげそうになった。


 絶世の美女、といってもいいだろう。


 純血のゾンキア人らしい綺麗な、磨かれた銅みたいな褐色の肌に、黒いつり目がちの大きな双眸。鼻筋はよく通っており、いささか集めの唇が肉感的だ。


 だがなんといっても印象的なのは、彼女が後ろに長く伸ばした髪だった。


 本来であれば、ゾンキア人の髪の色といえば黒一色に決まっている。だが、女の髪はまるで虹の如く、赤や紫、青や緑、さらには金属的な銀や黄金といった多彩な色合いに光り輝いていたのだ。


「こんばんは、坊や」


 女は俺のほうを見て、艶麗な笑みを浮かべて言った。


「私の名はヴィーヒーナ……将来『現想師』となる者よ」


「ちょっと待て」


 俺は、ヴィーヒーナと名乗った女にむかって言った。


「現想師になるのは、アルカーナじゃないのかい?」


「はん」


 ヴィーヒーナが鼻を鳴らした。


「そこの蛮人の血が混じったチビガキが現想師に? それはどんな冗談かしら」


「だれがチビガキだっ」


 アルカーナが怒鳴り声をあげた。だが、そのさまは正直、チビガキという言葉がまさにぴったりに思えたが。


「まったく、さきほど虹蜥蜴の幻想兵を送りつけてきたのも貴様だろう! ヴィーヒーナ……この大年増め!」


 途端だった。


 ヴィーヒーナの目尻がものすごい角度につりあがった。きさほどからは信じられないほどの、もの凄い豹変ぶりだ。


「だあれが大年増ですって!」


「ふふふふ。私はあくまで真実を告げたまでだ!」


「うるさい、チビガキ!」


「やかましい、発情雌猫!」


「お黙り、貧乳!」


「うるさいぞ、しわくちゃばあさん!」


 それは幻術師同士の戦いというよりは、よくある女の口喧嘩にした思えなかった。たしかアルカーナは、言葉で幻を生み出すのも優れた幻術師だとか偉そうなことを言っていたような気もするのだが、こうしているとただ感情にまかせて言葉をたたきつけあっているようにしか思えない。


 ふいにヴィーヒーナがこちらを見ると、しなをつくってみせた。

 なにしろもとはとてつもない美女なので、俺もついひきこまれそうになる。


「ねえ……そこの坊や。この話からは手をひきなさい。こんなアルカーナなんて奴と組んだってろくなことにならないし……だいいち、命が危ないわよ?」


 背後から、そして右手から近づいてくる人影から、俺は強烈な殺気を感じていた。


 さきほどのような、幻想兵とアルカーナが呼んでいたあの蜥蜴人間たちともまた雰囲気が違う。彼らは俺にはなじみの、独特の空気を放っていた。


 いずれかの盗賊結社に属する、盗賊連中とみてまず間違いない。それも、それなりに戦闘訓練をうけた連中だ。


 ふつふつと、体の奥から血がたぎっていくのがわかる。


 相手が幻でなく血と肉をもった人間であれば、俺だってちゃんと戦えるはずだ。


「一応、忠告はしておくけど」


 ヴィーヒーナが言った。


「多勢に無勢って言葉くらい、知っているわよね? それに『彼ら』は、坊や、あなたなんかがとてもおよびがつかない盗賊……いえ、暗殺訓練を徹底的にうけた連中よ」


 それを聞いて、俺は緊張に唾を飲み込んだ。


 五大盗賊結社ではたいてい、集団による暗殺専門の部隊を所有している。どうやら俺の周囲を取り巻きつつあるのは、そうした戦闘の専門家らしい。


 もちろん、まともにやりあえば勝ち目はないだろう。


 だが、こちらにはアルカーナがいる。


 正直、アルカーナがどれほどこうした、言うなれば戦闘の場数を踏んでいるかはわからない。いくら優れた幻術師とはいえ、戦いという行為そのものに慣れていなければ、ただの足手まといにしかならない可能性もある。


 が、ああ見えてアルカーナは、それなりの修羅場をくぐっていると俺の直観は告げていた。そもそも、幻想兵に襲われたときも、アルカーナはまったく臆した様子もみせずに冷静に対処したのだ。


 しかし、いささか不安が残らないことはない。


 アルカーナはおそらくあの幻想兵を幻だと一瞬にして見破ったのだろうが、現実の、生身をもった敵を相手にしても同じように戦えるのだろうか?


 そのとき、天上から差し込んできた赤の月、幻術を司るとされるメレンマーシャーの赤みがかった月影を反射して、アルカーナの薄い色の瞳がぎらりと真紅に輝いたように見えた。

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