第7話  幻想宮 

 勇敢なる乞食通りの薄汚れた路地がだらだらと続いていた。

 

 道の両脇には、幻術広告で飾られた酒場やあいまい宿が、さまざまな夜のお楽しみを誘っている。


 蠱惑的な裸に限りなく近い肉体に蛇をからみつけたメーベナン人の美女に、黒い髪と赤銅色の肌を持つシャラーン人美女。なかには少年好きの手合いのために、美しい男の子たちが色目を使っている幻術まであった。


 他にも旨そうな料理や、麦酒が注がれるマグ、あるいは赤葡萄酒の壺といった幻術が、あちこちの店の上で瞬いている。


 ウル・ゾンキム特有の黒い石造りの建物の上で、そうした華やかな幻術はひどく映えて見えた。赤や青、紫、緑、黄金色、銀色、まばゆい白……ありとあらゆる色彩の洪水が、路地には溢れている。


「で……さっきの話、続きをそろそろ教えてくれ」


 俺はアルカーナにむかって言った。


「確かあんたは『現想師』の名をついで、大幻術師ウル・キームからメレンマーガの魔石をも受け継いだ……そういう話じゃなかったのか?」


「世間では」


 アルカーナは路地を歩きながら答えた。


「勝手にそう思いこんでいるようだな」


 しばしの間、あたりに沈黙が落ちた。


 どこかの店から、馬鹿騒ぎをしているらしい客たちの喧噪が聞こえてくる。さらに遠くからは、誰かの悲鳴らしいものまで聞こえてきた。この「勇敢なる乞食通り」界隈の治安は、恐ろしく悪い。一日に何人もの辻強盗の犠牲者が出ることも珍しくはなかった。


「だが……メレンマーガの魔石というものは、お前たちが考えているような代物とは違うものなのだ」


 アルカーナが真面目な顔をして言った。


 その、ほとんど白といって良いごく淡い褐色の肌に、あちこちの幻術広告の光が照り映えている。


「説明しようにも……これは、一種の、秘事だからな。そう簡単に、正体を明かすわけにはいかん」


「ふん」


 なんだか気に入らない、と俺は正直に言って思った。


「つまり、その得体の知れないメレンマーガの魔石を盗み出すのに、盗賊としての助手が一人、必要だってのはわかった。それがこの俺、ということもな。でも……一体、どこからその魔石とやらを盗み出すつもりなんだ」


 俺の問いにアルカーナが言った。


「ウル・キームの幻影宮」


 ウル・キーム。


 それは、アルカーナの幻術の師匠だった男の名のはずだ。


「皆は勝手に、私のことを『現想師アルカーナ』と呼ぶが……実のところ、私は正式に現想師の名を継いだというわけではない。現想師は、『幻想宮』を突破し、『メレンマーガの魔石』を得たもののみが得られる名なのだから」


 幻想宮。


 そんな話は、初耳だった。


「なんだそりゃ……幻想宮なんて、聞いたことない」


「だろうな」


 アルカーナは言った。


「幻想宮は、ウル・ゾンキムの幻術師の間でもただの伝説だと思われている」


「で……それは、どこにあるんだ?」


 一瞬、沈黙が落ちた。


「それが……よくわからんのだ」


 どこかで酔漢がなにやらがなりたてていた。あんなに酔っていたら辻強盗のいい餌食だ、とぼんやりと考える。


「よくわからんって……そりゃ、どういうことだ?」


「だから、わからんものはわからんと言っているだろう!」


 苛立ったようにアルカーナが叫んだ。


「ただ、このウル・ゾンキムの都のどこかにあることは間違いない。幻想宮は一種の迷宮になっていて、守護者に守られているなどという話もある。他に、各種の罠が設置されているとも……」


 なるほど、と俺は思った。


 ウル・ゾンキムの金持ちどもの宝物庫には、魔術的なものも含め、罠が設置されていることが多い。そのため、たいていの盗賊は罠を解除する技能を有している。


 おそらくアルカーナは、そうしたこともあって「血の炎」に渡りをつけ、結社はそうしたことにうってつけの盗賊……つまりは俺をよこすことにした、ということだろう。


「私はまだ完璧な『現想』の奥義を身につけたわけではないのだ」


 路地を歩きながらアルカーナが言った。


「幻想宮を突破し『メレンマーガの魔石』を得て、初めて私は真の『現想師』を名乗ることが出来る……」


 現想師。


 それは、幻影を、幻を現実のものにするという恐ろしい力だ。ある意味では、現想師は他の魔術師たちより、さらに神々に近い立場にあるといってもいいかもしれない。


 目の前を歩いている蛮人の血の混じったガキが、そんな大した立場になれるとは、正直、信じがたいものがある。とはいえ、アルカーナの幻術がそれなりのものであることも確かだ。


「一応言っておくが……幻想宮には、むろんそれなりの危険があると思う。さらにいえば、『メレンマーガの魔石』を狙っているの幻術師は、私の他にもいるのだ」


「厄介だな」


 俺は正直に言った。


「これが結社から頼まれた仕事でなければ、とてもじゃないけど受けられない。幻想宮の場所もわからないうえに、メレンマーガの魔石がどんなものかも教えられない、おまけに幻想宮は危険だらけで他の連中も狙っているっていうんだからな」


「そうだな」


 アルカーナがうなずいた。


「だから……この仕事をうけるかどうかは、ウル・ジャファル……お前にまかせる。もしいやならば、断ってもいい。そのときは、また『血の炎』に頼んで、別の盗賊を派遣してもらうまでだ……」


「けっ」


 俺は思わず笑った。


「なんだか急にしおらしくなりやがって」


 興奮をおさえきれずに俺は言った。


「こんなでかい仕事……他の連中にまわせるわけがないだろう? いいか、アルカーナ。結社の上層部は……『血の炎』の上の連中は、この俺を……ウル・ジャフル様を、今度の仕事に適任って選んだわけだ」


 なんとか俺は笑いをこらえながら言った。


「っていうことは……俺は、それだけ買われていたってことだ! まだ十六、しかも世間じゃ俺みたいなメーベナン人の血が入った奴はまともな人間にすら見られないっていうのに、結社の上層部はこの俺の腕を買ってくれた! これがいったい、どれだけすごいことかわかるか?」


「では」


 アルカーナが言った。


「私に協力してくれるというのだな」


「ああ」


 俺はうなずいた。


「正直、いろいろとこっちを試すみたいなことをされたのか愉快じゃなかったが……それと、これとは話が別だ。これであんたが幻想宮とやらで『メレンマーガの魔石』とやらを手にいれれば、俺の盗賊しての名もあがるってもんだ」


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