第6話  アルカーナの欲するもの

「言うな! この馬鹿者! しれもの! 愚か者! よけいなことを言うんじゃない」


 山羊の乳の効能について、そういえば聞いたことがあった。


「ああ……確か、女の胸がでかくなるとかいう話が……」


 そこで俺は赤い薄紗でぐるぐる巻きにされた、アルカーナの平坦な胸のあたりについ目をやってしまった。


「どこを見ている!」


 アルカーナの顔が、真っ赤になった。羞恥なのか怒りなのかはしらないが、セルナーダの蛮族の血をひいているらしい彼女の肌は一般のウル・ゾンキムの住人に比べてかなり色素が薄いので、顔の赤みが特に強調されているように見える。


「まったく……あんまり失敬なことばかり続くようだと、『血の炎』との契約の話はなかったことにしてもらうぞ」


 それを聞いて、俺は自分の耳を疑った。


 言うまでもなく『血の炎』は、俺が属している盗賊結社だ。だが、血の炎との『契約』とはいったいなんの話なのだ?


「ちょっと待ってくれ」


 俺はあわてて言った。


「そんな話は聞いてない。結社との契約だなんて……」


「それは、お前の上司はなにも言わなかったろうからな」


 アルカーナが山羊の乳の杯に口をつけた。


「私は、血の炎の……まあ、お前なんぞが想像もつかんような上役に話をつけたのだ。一人、私の仕事の助手を務めるような奴をよこしてくれって」


 俺がアルカーナの仕事の助手だと? ますます、なんというか話が見えなくなってきた。


「なにしろ私も、専門は幻術だ……蛇の道は蛇、というからな。盗賊としての技能を持つ助手が、今度の仕事には必要だったというわけだ」


 それが俺ということらしいが……ということは、なんかのことはない、アルカーナは最初から俺が血の炎の盗賊だということを知っていたということではないか!


「おい、なんだそりゃ」


 俺はさすがにかっとなって言った。


「観察力だとかなんだとかえらそうなことを言っていたわりには……あれは、みんなはったりだったわけか」


「幻術師たるもの、言葉で相手に幻を見せるのは基本だ」


 悪びれた様子もなく平然とした口ぶりでアルカーナは言った。


「まあ……ウル・ジャファル。お前は盗賊としての胆力は、さきほどの幻想兵に立ち向かおうとした点からしても、合格だな」


「ちょっと待て」


 俺はあやうく怒声をあげそうになった。


「まさか、あれも全部、仕込みがあったとかそういうわけじゃあないだろうな」


「いや」


 アルカーナがかぶりを振った。


「あれは……本物の幻影……というのも妙な話だが、私が術でどうこうした、というわけではない」


 では少なくとも、あの幻想兵とかいう連中の襲撃は本物だったというわけか。


「だがあの襲撃のおかげで、ウル・ジャファル、お前が使える盗賊かどうか、試験をする手間が一つ減って助かったぞ」


「くそっ」


 俺は舌打ちすると、麦酒を一気にあおった。


 正直にいって、愉快な気分ではなかった。ということは、俺にアルカーナに接近しろと命じた上司も、最初からすべて「出来上がっている」ことを知っていたのだろう。


「まあ、そうむくれるな」


 アルカーナが言った。


「むくれるとせっかくの色男が台無しだぞ、ウル・ジャファル」


「けっ」


 俺は盛大に再び舌打ちした。


「なんだかひどく緊張してたのが馬鹿みたいだ。最初から、あんたはすべてこっちのことを知っていたんだからな」


「でも、とてもそうは見えなかったろう?」


 アルカーナが小さな桃色の唇の両端をつり上げるようにして、笑った。


「まやかしを使うものは、自らをも騙す必要がある。幻術の基本だ」


 なにが幻術の基本だ、と叫びたい気分を俺はこらえた。


「でも……解せねえな。アルカーナ、なんで幻術師のあんたに、盗賊の助手が必要だっていうんだ?」


「馬鹿かお前は」


 つんととりすました顔でアルカーナは言った。なんだかこう、口のあたりを両方にむにっと引っ張ってやりたくなるほどすました面だ。


「盗賊の仕事といえばただ一つ……盗みに決まっているだろう? そのためには、盗みの専門家がいる。簡単な理屈だ」


「なるほど」


 俺は吐息をついた。


「つまり……アルカーナ、あんたはどこかに盗みに入ろうってわけか」


「まあ、そういうことになるな」


 アルカーナがうなずいた。


「でもまたなんで幻術の専門家がそんなことを? こういっちゃなんだが、あんたはあれだけの幻術が生み出させるんだ、金には苦労しないだろうに」


 幻術にはさまざまな用途がある。たとえばこの店のある繁華街「勇敢なる乞食通り」界隈は、どの店も幻術を使った原色の広告で飾られている。他にも見せ物にしたり、あるいは一種の化粧や変装のためになど、幻術にはさまざまな使い道があった。実をいえば、結社の盗賊なども仕事をするとき見張りに見つかりにくくするため、専門の幻術師に幻術をかけてもらうことがあるほどだ。


「金は問題ではない……ただ、私にはどうしても欲しい……いや、『必ず手にいれなけれはならないもの』があるのだ」


 アルカーナが真顔になった。


「私はどうしても、『メレンマーガの魔石』を手にいれる必要がある」

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