第5話 山羊の乳
アルカーナはうまそうに羊肉のガフル風煮込みを食っていた。
羊肉をさまざまな辛みのある香辛料を使ったスープで時間をかけて煮込んだ代物だ。
そんなに高価ではない、いわば庶民の味だが、手間がかかるのと味付けの加減が難しいので、うまい羊肉のガフル風煮込みが出せればその店は上質の料理を食わせると考えていい。
アルカーナがあまりにうまそうに羊肉のガフル風煮込みを食っているのを見て、俺も同じのを注文した。
ついでにさきほど、アルカーナにおごると約束した山羊の乳と、俺が飲むための麦酒も頼む。
「しかしこう、結社の盗賊というのもいろいろと大変なものらしいな」
アルカーナがぽつりとそういうのを聞いて、俺は思わず肩を震わせた。
「ウル・ジャファル。名前が本名かどうかまではしらないが、そんな稼業から足を洗ったらどうだ?」
「なに言っている」
俺は店主が差し出してきた麦酒のマグを受け取ると、狼狽を隠そうとしながら言った。
「俺はこれでも、ちゃんとした商人の店で働いているんだぞ? メーベナン人の血をひいちゃいるが、奴隷じゃなくてゾンキア帝国市民だしな。知らないか? ウル・サファー商会っていえば、ジャスロン絨毯の扱いじゃあ結構、有名で……」
「ウル・サファー商会?」
ふん、とアルカーナが苦笑した。
「もう一ついえば、裏でウル・ゾンキム五大盗賊結社の一つ、『血の炎』を後ろ盾にしているのでもウル・サファー商会は有名だぞ。ということはお前は、『血の炎』に所属する盗賊ということか」
俺は渋い顔をして、麦酒に口をつけた。
アルカーナの言っていることは、事実だったからだ。
ただのガキだと侮ると、面倒なことになるかもしれない。
見かけはともかくとして幻術師としての腕前はさきほど拝見したばかりだし、このアルカーナって奴は、盗賊結社の、つまりはウル・ゾンキムの裏社会の事情にまで詳しいときている。
「で……なにが目的で私に近づいてきた?」
アルカーナが羊肉を囓りながら尋ねてきた。
「おそらくは……『メレンマーガの魔石』がお目当て、といったところだろう。盗賊結社がほしがりそうなものといえば、それくらいのものだ」
なにか抗弁しようと思ったが、正直、ここまで率直にこちらの事情を読まれているのではよけいなことを言っても悪印象を与えるだけだろう。
俺はとりあえず、アルカーナと顔見知りになり、友好的な関係を築くように命じられているのだ。
下手な言い訳で不興を買うのは得策ではなかった。
「参ったね」
俺は肩をすくめると言った。
「『現想師アルカーナ』は、実は人の心まで読めるってのかい?」
「単純な推理と観察の賜だ」
アルカーナがスープをすすりながら答えた。
「幻術使いにとって、物事や人物を観察するのは習性みたいなものだからな。ウル・ジャファル、お前の身ごなしは一般人にしてはあまりになめらかすぎたし、虹蜥蜴の幻想兵を見て即座に短剣で対抗しようと出来るのは、それなりに結社で戦闘訓練でも積んでいる証だろう。傭兵とは筋肉のつきかたが違うし、あんなふうに曲刀を構えるのは、盗賊結社の構成員独特のものだ」
お手上げだ、と俺は思った。光の加減で灰色にも緑っぽくも見える妙な色の瞳ではあるが、見るべきところはきっちりと見ているらしい。
「じゃあ……『メレンマーガの魔石』の件については」
「あの石については、昔から面倒な噂が広がっている」
アルカーナがうんざりしたように言った。
「曰く、メレンマーガの魔石を使えば、幻術を恒久的に『現実』に出来る……つまり、その気になれば無限に宝石でも黄金でも、無から生み出すことができる、という馬鹿馬鹿しい噂話のせいで、私がどれだけ迷惑を被っていると思う?」
メレンマーガの魔石は、幻術で生み出された虚構を実体にするという。
つまり、アルカーナの言うとおり、富を求める者にとってはまさに垂涎の的というわけだ。
この世界最大の都、百万都市ウル・ゾンキムで暮らしていくために最強の武器となるのが、財力である。
金があっても、困るということはない。
もし、幻術を現実にできる……つまり『現想』の能力が実在するとすれば、誰であれまず金目の物をとりあえず生みだそうとするだろう。
そして、現想師アルカーナはメレンマーガの魔石の力をかりて、本物の『現想』を行うと言われているのだ。なにしろ彼女は、あの伝説の現想師ウル・キームの愛弟子だったのである。
ウル・キームが行方をくらましてから……彼は死んだとも、あるいは幻想の異世界に移住したとも言われているが……後をついだのがアルカーナだった。
彼女も『現想』の力を受け継いでいると、多くのウル・ゾンキムの人間は信じている。
正直にいえば、俺は半信半疑というところだったが、なにしろさきほど見せられたの幻術のすごさもある。
いまではあるいはアルカーナが『現想』という幻術の奥義を本当に会得しているかもしれない、というほうに心の天秤は傾きつつあった。
ただ、まさか噂に名高いアルカーナが、こんな小娘だとは夢にも思わなかったが。
「ふん」
アルカーナが、ふいにむっとしたように言った。
「なんだお前、またなにか失礼なことを考えているようだな」
それを聞いて、俺はぎょっとした。
まさか、アルカーナは本当に、人の心を読むすべを心得ているのではないだろうか。
十二の魔術星に属するシャラーン魔術の使い手のなかには、そうした術を使う者もいると聞いている。
「あいにくだが、私は心を読む力はない。だが、言ったはずだが? 幻術使いにとってもっとも重要なのは、『観察力』だと。お前は自分でもしらないうちに、私の体のある部位を見て、とても失礼なことにかすかなため息をついていたぞ」
それを聞いて、店主が笑った。
「確かに……ええと、ウル・ジャファルだったか。あんた、アルカーナの胸のあたりをみて、小さくため息をついていたぞ」
「ハリムド!」
途端に、アルカーナが目尻をつり上げて店主を睨みつけた。
どうやらハリムドというのは、店主の名らしい。
「お前も失敬だぞ! そんな、人のいやがるようなことを……」
「事実だからねえ」
ハリムドはやけにつるりとした顎をかいた。
はじめはただの男かと思ったが、微妙な脂肪の付き方といい、顎髭がまったくないところといい、あるいはこのハリムドというのは、かつては宦官奴隷だったのかもしれない。
「ちなみに、山羊の乳をアルカーナに奨めたのは私だよ」
ハリムドが言った。
「なんといっても、山羊の乳には特別な作用があるって昔から言うからな。山羊の乳を飲み続けると……」
「わーーーーーーーーーーーっ」
いきなり、アルカーナが大声をあげた。
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