第4話  ウル・ジャファル

 異様な雰囲気に、店内は静まりかえっていた。蜥蜴人間たちはアルカーナを包囲するようにして彼女のもとに近づいていく。

 このままではまずい。

 もしここでアルカーナがこの化け物に殺されるようなことになれば、結社の連中は俺にも責任ありと判断するだろう。

 

 俺は懐から、小振りな短剣を引き抜いた。

 このシャラーンの地で使われるほとんどの刀剣がそうであるように、刀身に反りが入ったものである。なりこそ小さいが、その切れ味はかなりのものだった。

 おそらく、あの忌々しい蜥蜴人間の鱗も、綺麗さっぱり切り裂いてくれるはずだ。


「おい……蜥蜴の化け物! 後ろががらあきだぜ!」


 そう叫ぶと、俺は一体の黒衣をまとった蜥蜴人間にむかって短剣で斬りつけた。

 俺の短剣は完全に敵の首筋のあたりをすっぱりと薙ぎ払った……はずだった。

 にもかかわらず、眼前で立ちつくしている蜥蜴人間の姿には、なんの変化もなかった。また、手応えらしいものもなかった。

 まるで空を斬りつけたようにしか思えない。


 さきほどの用心棒と同様、俺も体の平衡を崩してあやうく倒れそうになった。本来、あるべきものがないところに武器をふるうと、こういうことになる。


「なにをやってる……そこの小僧!」


 アルカーナの、あきれたような声が聞こえてきてた。


「まったく貴様らの目は節穴か? おそらくはこの世のすべてが……『目に映る通りのもの』と信じているのだろう?」


 そう言って腕組みをするアルカーナのもとに、四人もの蜥蜴人間が曲刀を振り下ろしたのはそのときだった。


 まずい。あんな呑気に止まり木に腰掛けているようでは、とてもではないがよける暇などない!

 惨劇を予想したのか、女たちの悲鳴が店内にこだました。


 だが……アルカーナは、何事もなかったかのように、平然と止まり木に腰掛けていたままだった。


「まったく……なにをみんなで騒いでいる」


 アルカーナは肩をすくめた。


「ただまあ、この蜥蜴連中は私を狙ってきたらしい。まあ、『あの女』らしい陰湿ないやがらせではあるが……」


 あの女。それが誰のことか、見当もつかない。


「他の客に迷惑をかけてしまったのも事実のようだ。せっかくだし、ここで余興を一つ、お見せしよう」


 そう言うと、アルカーナは蜥蜴人間たちに取り囲まれているというのにまるで臆した様子もなく、ほとんど悠然とすらいえる態度で止まり木から降りた。

 その指がなにかの印を描いたかと思うと、短い音節がいくつか小さな唇から発される。

 なにか魔術を使おうとしているのだ、そう思った刹那だった。


 アルカーナのいた場所の下から、凄まじい火柱が噴き上がった。


 紅蓮の炎が、天井にまで届く火となって恐ろしい勢いで噴出している。あっという叫び声をあげる間もなく、次の瞬間にはもう、この火柱は別のものに姿を変えていた。

 全長十イフトル(約三メートル)はあろうかという、真紅の大蛇である。

 目は炎のような赤い輝きを帯びており、太い蛇の胴体の側面には、無数の黄金色をした火炎のような模様が鱗に刻まれていた。

 蛇がしゃあっという威嚇音をあげて、舌を思い切り突き出して震わせてくる。

 その音を聞いた刹那、黒衣の男たちに異変が起きた。


 ぶるぶると全身を震わせたかと思うと、突然、黒衣が床に落ちたのだ。

 いや、よくみればもう黒衣すらも床からは消え失せている。そのかわりに、床を這いずっているのは……長さ半イフトル(約十五センチ)にも見たぬ、可愛らしいとすらいえる虹色をした蜥蜴たちだった。

 蜥蜴たちは、ちょこまかとあわてた様子で卓の下をくぐり、人の足の狭間をぬって店外へとむかっていった。そのさまは、どこか滑稽とすらいえる。


 振り返ると、いつのまにかあの赤い大蛇がいたはずの場所に、アルカーナが何事もなかったようにたっていた。


「なにを馬鹿みたいに口をあけてる」


 アルカーナが呆れたように言った。


「私が何者か、知らぬわけでもないのだろう? だとすれば、私がなにをしたかわかるはずだ」


 アルカーナは、幻術師だったはずだ。ということは、いままでのはすべて……。


「これが……幻術……」


 だが、いまのは幻としてはあまりにも迫真に迫りすぎていた。なにもかもが現実的で、とてもただの幻想とは思えない。


「相手は虹蜥蜴に術をかけて、幻想兵を送り込んできた。だから、虹蜥蜴の苦手な、炎熱砂漠に住むという火炎蛇に姿を変えて見せたまでだ」


 しばしの沈黙の後、店中からアルカーナに対する拍手がわき起こった。

 正直、まだ呆然としていた。

 俺もこのウル・ゾンキムに住む人間だ。いままで見せ物でいろんな幻術師の幻術を見てきた。だが、あれほど真にせまった幻術を見るのは、初めてだ。


 いや、あれはそもそも幻術なのか?

 もしあの幻想兵とかいう蜥蜴人間たちの持っていた曲刀に切られたら……俺は、それを幻影だと看破できただろうか?


 真に優れた幻術となると、「現実」とあまり変わらなくなるという。幻術のはずの炎に焼かれたものが本当に火傷をおって思いこんで死んだ、という話を聞いたこともある。

 アルカーナの幻術は、あきらかにそうした域に達している。


「おお……やっとできたか。待ちわびたぞ」


 そう言って、店主がカウンターに置いた深皿にもられた羊肉のガフル風煮込みをさじですくうアルカーナの姿は、どう見てもまだ子供にしか見えなかった。

 いや、そもそもあの姿さえ、彼女の本当の姿とは限らない。

 現想師アルカーナの正体とは、一体、何者なのだろうか?

そんなことを考えている俺にむかってアルカーナが言った。


「ところで、お前……幻術も看破できぬとは愚かとしかいいようがないが、幻想兵に短剣で立ち向かおうとした度胸だけは認めてやろう。名は、なんという?」


「ウル・ジャファルだ」


 俺は言った。


「俺の名はウル・ジャファル。よろしくな」


 それが俺とアルカーナとの出会いだった。

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