第3話  メレンマーガの魔石

 黒衣の人影は、おそらく六、七人はいただろうか。

 言葉を発したのは先頭の男だけで、残りは皆、無言だ。だが、彼らから発されるなにか物騒な雰囲気は、尋常ではない。


「ここに『アルカーナ』はいるか?」


 黒衣の人影は、まったく同じ言葉を繰り返した。

 よくよく聞けば、その声にはおよそ感情らしいものが込められていない。ひどく無機質な声で、教えられた言葉を繰り返しているといった感じだ。


 店内の客たちも、男たちを遠巻きにした身じろぎもしなかった。黒衣の連中が発する空気の異様さに、たじろいでいるのだ。

 実際、奇妙な雰囲気としかいいようがなかった。さきほどまで生気と活気に溢れていたこの酒場とは対照的な、なんというか生物としての生きている気配を感じさせないような空気を黒衣の奴らは発していたのだ。まさか亡霊ということはあるまいが、どこか現実感のようなものがない。


「おい、おまえら」


 カウンターの横から、俺と同じ黒い肌をした屈強なメーベナン系の男が姿を現した。頭を綺麗に剃り上げており、手には鉄鋲を打った棍棒を手にしている。おそらく、この店で雇っている用心棒だろう。


「ここはみんなが愉しく呑む酒場だ……面倒をおこしてもらっちゃ困るぜ?」


 だが、黒衣の人物は用心棒の言葉が耳に入った様子もなく、同じ言葉を繰り返した。


「ここに『アルカーナ』はいるか?」


 まずいな、と俺は思った。

 あるいは相手は、通常の人間ではないかもしれない。そもそも、黒いローブとフードで身を隠しているあたり、いかにも怪しい。


 ひょっとすると相手は魔術師の送り込んできた、妖魔のようなこの世ならざる怪物かもしれない。ウル・ゾンキムでもっとも危険な生き物はもちろん人間だが、単純な脅威という意味では人間より恐ろしい超自然の存在も、この都ではさほど珍しいものではないのだ。


「おい、お前……いい加減にしろ!」


 無視されて侮辱されたと思ったのか、用心棒が棍棒を振り上げると、黒衣の男にむかってたたきつけようとした。

 その瞬間だった。

 男の姿が一瞬、ゆらいだように見えた。


 次の瞬間、用心棒の棍棒は黒衣の男のすぐ脇をぬけるようにして、そのまま酒や料理の並べた木製の卓に激突した。用心棒も、なにかの冗談のようにぶざまに転倒する。

 卓から落ちた酒瓶や皿の割れる音と、女どもの悲鳴が狭い店内にこだました。

 同時に、あるいは棍棒がかすめたのか、黒衣のフードがはらりと後ろにはがれ、その顔がむきだしになる。


「きゃあああああああああああああっ」


 むきだしにされた顔を見た女の悲鳴が、再びキシュススの悦楽亭にこだました。

 だが、それも無理はない。なにしろ黒衣のフードの下から現れたのは、明らかに人間とは異なる、異形としかいいようのないものだったのだから。


 一言で言えば、それは蜥蜴の顔だった。


 遙か南や北の蛮族の住む地域には、人間のような姿形をもつ蜥蜴が生きていると噂では聞いたことがある。こいつがその蜥蜴に似た種族かどうかはわからなかったが、いずれにせよ気味が悪いとしかいいようがない。


 その顔は、虹色の小さな鱗にびっしりと覆われている。前に突き出した口の部分と、ぎょろりと金色に光る二つの円盤のような目玉。そして口にずらりと並んだ、小さな象牙色をした牙。


「な……なんだ、お前……」


 用心棒も、さすがに顔色を変えていた。だがその気持ちは、俺にだってよくわかる。実際、こんな化け物とかいいようのないものを目にしてしまえば、自然と意気も萎えてくる。


「くそっ……ふざけやがって!」


 黒い肌の用心棒は立ち上がると、再び背後から蜥蜴男めがけて棍棒を振り下ろした。だが、さきほどと同じようにその一撃はなぜか命中せず、蜥蜴の男の体が一瞬、ぶれたかと思うと相手はそのまま平然としていた。


 なんなのだ、この怪物は?

 なにか攻撃があたりにくくする魔術でもかけているのだろうか? いずれにせよ、こんな種族を目にするのも初めてならば、あんな奇妙なよけ方を見るのも俺には未知の経験だった。


「ここに『アルカーナ』はいるか?」


 再び、さきほどと似たような科白が蜥蜴男の口から発された。

 それを聞いて、いままで黙って止まり木に腰掛けていたアルカーナが、やれやれといったふうに肩をすくめた。


「まったく、人がせっかく料理を心待ちにしているというときに、無粋な来訪者もいたものだ」


 アルカーナの顔には、さほど、というよりまったく奇怪な蜥蜴男を恐れている様子はなかった。むしろ、どこかうんざりしている、という感じの余裕さえ見受けられる。


「おそらくは虹蜥蜴をもとにした『幻想兵』というところか……虹蜥蜴をわざわざ、使いによこしてくるとはあの女の仕業としかおもえんな」


 虹蜥蜴というのは、あるいはあの蜥蜴人間のことだろうか。だが、幻想兵というのがなにを意味するのかわからなかった。

 それに「あの女」とはどういうことだ? あるいはアルカーナは、こんな怪物どもを送りつけてきた連中に心あたりでもあるというのだろうか?


「というわけで……そこの悪趣味な連中。私がアルカーナだ。こんな店で、いったいなんの用だというのだ?」


 その問いに、いままで同じ科白ばかり繰り返していた蜥蜴人間が反応した。


「メレンマーガの魔石を、渡せ」


 途端だった。

 アルカーナが心底、うんざりしたように言った。


「ああ、なるほど、なるほど……また、そういうことか。だが、あいにくとメレンマーガの魔石は渡せない……と言ったらどうするつもりだ?」


 メレンマーガの魔石。

 そういうことか、と俺は悟った。つまり、この連中『も』、メレンマーガの魔石が目当てでアルカーナのもとにやってきたということだろう。


「魔石……渡さない?」


 しばし、蜥蜴人間は逡巡しているようだったが、やがて低い声で言った。


「ならば……死ね!」


 その刹那、蜥蜴人間は腰に吊した巨大な曲刀を引き抜いた。


「きゃあっ!」


「ひっ」


 店のあちこちから、悲鳴らしいものが漏れる。俺も思わず舌打ちした。

 相当に重そうな分厚い刀身の曲刀を、蜥蜴人間は片手で楽々と操っている。いや、正確にいえば蜥蜴人間ども、というべきかもしれない。

 なにしろ残りの黒衣の連中もフードを後ろにおろしてその異形をあらわにすると、一斉に大きな曲刀を引き抜いたのだから。

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