毛玉、わくわくステーキに行く
「お久しぶりです。……タイグさん」
ベンチから立ち、頭を下げたダレンの言葉――妻の父を言い表す呼び方に、この微妙な関係が如実に現れていた。
必要最小限の挨拶を互いに交わす。
リーシャは頑なに口を開こうとしなかったが、タイグもリーシャに何も言わない。リーシャは怒りも愛想も抜け切った眼差しを何もない地面のタイルの繰り返しに向けつつ、タイグとの間に動かない空気があるかのように位置取った。
毛玉のふわふわの毛は、いつもより心持ち萎んでいた。リィンは走り寄ってきた毛玉の手を取り、ダレンとリーシャの陰からタイグを落ち着きなく覗き見た。初めて会う祖父への、警戒心と好奇心のせめぎ合いを全身で表している。
タイグはリィンと毛玉を一瞥し、その険しい目を細めた。
ここにいる、全員の表情が固い。
もしかしなくとも、自分が一番マシなのではないか。ダレンは訝しんだ。ジャスパー程でないにしろ表情は豊かな方ではないし、明るい印象でないことも自覚している。それでも、この状況であっても作り笑いくらいはできる。
いや、逆だ。
感情こそが、この場から表情を失わせている。であれば、適材適所だ。
できる限りの柔らかさで、ダレンはタイグに呼びかけた。
「では、行きましょう」
わくわくステーキ元祖一号店は独特な外観を誇っていた。現代の基準に合わせて築造された建物は廃材や植物で偽装され、中世の荒くれ者の砦を思わせる雰囲気を纏ってそびえ立つ。
熟しすぎたブラックベリーを実らせる高いアーチをくぐると、リィンの足取りは途端に軽くなった。先頭に躍り出て振り返る。
「ひみつきちだ!」
「わくわくステーキだぞ」
最後にコールタールで保護されてから相当の年月を経たかに見える木の柵が外壁を覆い、何重にも茂った蔦が這い回る。柵を構成する板材は、高さも色も著しく不揃いだ。高いものは屋根を越え、蔦はそこを伝って上の物見櫓を模した建造物にまで伸びていた。
リィンは蔦の壁のすぐ手前まで走り、残りをそろりそろりと近づいて声をあげた。
「おおー」
「もっ、もっ」
ダレンが振り返れば、タイグも足を止めて物見櫓を見上げている。
壁の周囲に植えられた木々が複雑な影を地に落としては揺れる。そのうちの一本は特に太く大きく、捻れながら駐車場の上にまで幹を伸ばしていた。建物も駐車場も、この大木が支配する空間を尊重したために、少々イレギュラーな形を取っている。なんと贅沢な土地の使い方だろうか。ダレンは知らずと口角を上げた。
「ユーの木だな」
風が吹けば梢がざわめいて、暑さに汗ばんだ身を少しだけ冷やしてくれる。
何度か近くを通って木の存在を知っていたものの、側から見る姿は迫力が違う。ユーの木は自然のまま数百年を経ると荒々しい姿を見せる。この木の樹齢は軽く千年は超えるだろうか。どのような経緯でこの街の中心部に残り続けたのか。何か物語の一つでもありそうなものだ。
リーシャが後ろで小さく呟いた。
「子供の頃、こんな木がある庭に憧れてた」
「今もじゃないか?」
「そう、そうかも」
エントランスに近づくにつれ、植栽は低いものに変わり花が入り混じる。一行は石造りの低いステップを踏んだ。リィンと毛玉を先に行かせるよう、ダレンが扉を開けると頭上で来客を知らせる仕掛けがカラカラと鳴った。
「ふあぁー」
一歩、二歩。店内に踏み入ったリィンは目を輝かせて辺りを見回した。
ここにいては次に来る客の邪魔になる――そう考えてリィンを先に進ませようとしたダレンも、思わず足を止めた。
頭上を渡る太鼓梁から鉄製の輪が吊るされ、その上に琥珀色を帯びた蜜蝋のキャンドルが並ぶ。中世風の素朴なキャンドルシャンデリアだ。よくよく見れば本物のキャンドルではなく巧妙に電球が仕込まれているのだが、色味も揺らめきも炎と遜色ない。
天井は高く、小屋組みをそのまま覗かせる。それを支える柱には武器で切り付けたかのような傷が幾つも残るが、太く荒々しい柱は傷跡など全く意に介していない。
そう、武器だ。
壁には剣や斧、それに盾。そのどれもが、小粋というよりはやはり無骨で、黒みを帯びた鉄の塊たちは鈍くキャンドルの光を反射させながら、木と石の間に息をひそめていた。
客が使うテーブルも、やけに分厚い木製のものだ。面積効率を犠牲にして、四角いテーブルと大きく丸いテーブルが入り混ざる。
流れてきた音に惹かれて視線を移せば、楽器を持ち寄った数人が円卓に集っていた。パブやなんかで自然発生する類いの、所謂セッション席だ。くたびれたスーツのヒュムの男がフィドルを構え、この街では珍しいエルフの女性がコンサーティーナを膝の上で弾ませる。
更に向こう側には樽が並び、窓からはまだ沈み切っていない陽が差し込んでいる。古風な波打つガラスは外の街並みをはっきりとは映さない。ユーの木が作る傘を透かしてここに届く陽射しが、この砦が森の中にあるのだと
この空間を満たすのは、肉を焼く香り、歓談する人々の声、即興で紡がれる古く軽快な旋律――
景気の良い店員の声がかかり、ダレンの意識は戻された。
予約していた旨を伝え、ついでに丸いテーブルの方を希望してみる。毛玉の同行については、前もって確認済みだ。
「こちらでーす」
奥で別の店員が声を上げた。振り上げた指の先から、蜂蜜色に揺れる輝きが打ち上がって青く弾ける。それは賑わいの中にあっても一際目立ってダレン達の目を引いた。
「わあぁ、きれー!」
「もも? もっ?」
リィンはすっかりいつもの調子を取り戻して、真っ先に丸く大きなテーブルへと向かった。ダレンは振り返って、リーシャとタイグの様子を窺う。
リーシャの目には微かに驚きが浮かんで見えた。
案内の店員が使ったのは何らかの術だ。
物語とは異なり、呪文を唱えれば結果が出る、定型化された魔術は現実には存在しない。
種族毎に異なる力を持つ先民とは対照的に、真民はどの種族でも等しく魔力を持つ。だが、魔力の個性は術の結果にも及ぶ。術というのは、マニュアル通りの業務には向かない。それなら電化製品や魔道具を使う方が手っ取り早い。
作られたものとはいえ自由な空気に、ダレンの足取りも軽くなる。
間合いを読み合いながら、四人と一匹は席に着いた。ダレンを始点とすると、リーシャ、リィン、毛玉、タイグの順だ。毛玉は文字通り緩衝材となった。
次に真っ先に動いたのはタイグだった。案内をした店員にその場で生を頼む。ダレンの視線が思わず向いて、タイグと目が合った。
「無理に合わせんでいい。先民は酒を飲まんのだろう?」
「飲めない訳ではないのですが……正直、助かります」
よほど顔に出ていたのだろうか。以前の態度を思えば嫌味とも取れなくはないが、ダレンにはどうでも良かった。酒を飲まないで済むことの方がはるかに重要だ。
勘違いされがちだが、先民は酒精を分解できないわけではない。酔いが力の制御を乱すのを嫌うために、酒を飲む習慣がないだけだ。その点、真民は酒で乱れるとかえって術が発動しにくくなる。
メニューをテーブルに広げる。基本的にステーキとハンバーグの店なので、品書きはファミレス程多くはない。おかわりし放題のパンとライス、ドリンクバーにスープバー、サラダバーもある。
緩衝材、もとい毛玉を見れば、子供用の高い椅子の上で音楽に合わせてヒレを上下させながら左右に揺れている。
リィンはリィンで大きな地図を模したメニューを前に真剣な眼差しを向けていた。指でなぞりながら辿々しく読み上げる。
「おろ、おろしはんばぐ? これ!」
「もっ、もっ!」
「イェン風おろしハンバーグな。お子様メニューもあるみたいだぞ?」
ダレンが指し示すと、リィンはちょこんと口を尖らせて首を振った。
「にくがいいの。リィンおろし大好き」
「渋い。リィンは離乳食のときから大根おろし食いまくってたからなぁ……」
大根をおろして食べるのはイェンの文化だ。温めて辛味を飛ばせば離乳食に良いと聞いてリーシャが一時期凝っていた。リィンのハンバーグは毛玉と分ければ丁度いい。
大人組も注文を決め終わり、ベルを鳴らして店員を呼ぶ。一通りの注文が終われば、サラダバーやドリンクバー巡りだ。
リーシャが耳元で囁く。
「毛玉を見てるから、適当に取ってきて。リィンは行きたそうだし」
「……いいのか?」
訝しげに問えば、リーシャは黙って頷いた。すぐにメニューに視線を落としたリーシャの横顔に、少し暗い橙の髪が落ちる。
円形の卓を囲んで、リーシャとタイグはちょうど向かい合わせに近い角度にある。リィンを呼べば、二人の間にあるのは空の椅子と毛玉だけとなった。
リィンを連れて席を立つ。
サラダバーは大人でも目移りする広さがあった。一面に敷かれた氷の上に、サイコロ切りされた野菜で満たされた器が並んでいる。白、黄緑、黒、緑、オレンジ、紫、黄色にピンク。
自分でやりたがるリィンに皿を一枚渡せば、見よう見まねで自分の皿を色とりどりに盛り付け始めた。トングの使い方は一丁前だが、あっちを見て一歩、こっちを見て一歩と忙しない。
「これはぁ?」
「紫キャベツだな」
リィンと野菜の答え合わせ問答をしつつ、ダレンはリーシャが残ったテーブルに目をやった。柱や他の席に遮られ、顔は見えない。毛玉は完全に死角だ。リーシャの手が激しく上下に動き、テーブルに打ち付けられる。タイグの背中は静かに佇んでいる。ビールの減りは早い。
「……めちゃくちゃ話す気あるじゃねぇか」
「これなに?」
「それは、コンニャクの何か?」
コンニャクも最近入ってきた食材だ。植物で出来ていてグルテンフリー。女性に人気らしい。段々とダレンの答えられないものが増える。コンニャクやゼリーの何かぽいものだけで四角いのと丸いのと何種類かあるのだ。
再びテーブルの方を見ると、店員が瓶ビールを持ってくる所だった。どちらが頼んだのかは知る由もない。分かるのは、真民は酒を飲むということだけだ。
ダレンは既にいっぱいな盆の上にヤケクソ気味に皿を追加して、酒のツマミになりそうなチキンとチーズときゅうりのピクルスとアンチョビの入ったドレッシングも確保した。限界だ。
「一旦置いてくるか」
「まってぇ。これー」
「はいはい」
両手に盆を乗せてダレンが戻ると、リーシャとタイグは申し合わせたように動きを止めた。冷戦態勢の間に挟まった毛玉は変わらないもふもふさを発揮している。何か言いたい所だが選択が難しい。ため息を飲み込み、平静を装って取ってきた皿を並べる。
まだ、時間が必要そうだ。
「リィン、スープと飲み物取ってくるぞ」
「行くっ」
再び戻ってきた時には、二人の表情にはあまり変化はないものの、サラダとつまみは順調に減っていた。ようやく腰を落ち着けて、ここの雰囲気に身を任せる。
例のセッション席にエイビィの女性が加わり、伸びやかな歌声が曲を彩った。丸いコンニャクを、毛玉の口に運んでいたリィンが目敏く気づく。
「あっ。げんきの出るおまじないだ」
「ん、そうだな」
「もっ?」
歌に乗せられた巫力は穏やかな漣となって、この身を巡る感覚に響いてゆく。
子供は正直だ。リィンがそう言うのなら、自分の巫術の真似事はそれなりに様になっているのかもしれない。エイビィのフリをしてお
巫術は広く薄くが本領なのに対して、呪術は一対一が基本だ。
「よくやるのか?」
タイグの声にサラダから顔を上げれば、険しい視線がこちらを射抜いていた。
「おまじないとやらだ」
「トマトがおいしくなるおまじないとか、あとねー」
返答に窮する自分を差し置いて、リィンが答えた。リィンが盛ったボウルの中には鮮やかなトマトも混ざる。スプーンでざっくりとすくい口に入れると一瞬すっぱそうな顔をしたものの、よく噛んで飲み込んだ。
隣のリーシャは鉄のようなマイペースさできゅうりとビールを交互にやっている。
曲はまだ続いている。
歌は酒精の代わりに幾らか、口を滑らかにした。
「ただの言葉と何も変わりません。巫術――そのものは、肉体に恒久的な変化を残さない。ほんのきっかけと選択肢を与えるだけで、変わるのは本人なので」
リィンを見て問いかける。
「リィンはトマト好きか?」
「ちょっとすき」
微妙な答えを返すリィンに、頷いてみせる。タイグの口元が解けて、そうかと一言。リィンを見る目は、心なしか緩んでいた。
一曲が終わる。少しの間を置いて次の旋律が始まった時、いよいよ肉が運ばれてきた。
木台の上に置かれた、丸みを帯びた四角く浅いスキレット――というより鉄板と言った方が早いだろうか。分厚さを感じる真っ黒な鋳物の上で肉は音を立てる。
やれ焼き加減だなんだと、ステーキは温めた皿で供されるものだと食通は言うのだろうが、わくわくステーキはアトラクションなのだからこの方向性は正しい。
それがワゴンの上に人数分並んでいる。壮観だ。店員がその場で肉の上にソースを回しかけてゆく。
鉄板の表面に設けられた緩やかな傾斜によって、玉ねぎのソースは肉を囲むように広がった。灼熱の鉄板に触れたソースは、瞬時に激しく煮えたち白いあぶくをあげる。強烈に嗅覚を刺激する湯気が立ち昇り、辺りが霞む。
誰も何も言わない。
隣でリーシャが唾を飲む音がした。
ハンギングテンダーは、付け合わせを押し出して鉄板からはみ出しかねない大きさだ。リィンのハンバーグも横から見た分厚さが半端ない。タイグの頼んだサーロインは脂で艶かしく輝いて、リーシャの鉄板には三種の肉が所狭しと寄り添っている。
「これを食べるのに、言葉は要らんな」
「そうね……」
タイグの重厚な声が、止まりかけていた時を再び動かし、リーシャが応えた。
毛玉はヒレをわたわたとさせて、リィンは待ちきれないと飛び付かんばかりだ。
全員を見回し、グラスを手に宣言する。
「改めて。乾杯の祝詞は俺が。俺らの古いやり方になりますが」
目を合わせれば、タイグは静かに頷いた。
耳に指をかけ、イヤーカフに触れる。
目を閉じて
縁はリーシャを辿って僅かに強く。
――行ける。
これなら、繋げられる。
家族でも親子でもない。仲間を表す古い言葉だ。
「かたへよ、とこしえに、すくよかなれ」
高く掲げたグラスが、次々と澄んだ音を鳴らした。
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