毛玉、お菓子を食う
キアの家はリィンの家とはまるで違う。
まず、ある場所が違う。家のドアは道路でもなんでもない地面に向いているが、キアの家は道路に面した門があってドアの前までは少し歩く。
飛び飛びの平たい石の上を踏み外さないようリィンが跳ねる。後を追いかける毛玉は足の長さが足りずに、艶のある淡黄の砂利に足を突っ込んだ。
リィンは背伸びをして呼び鈴を押した。毛玉は初めて訪れる場所をきょろきょろ見回している。
「キアくーん、あーそぼ!」
「もっ?」
ドアも全然違う。家の真っ平らなドアは開けている時に風が吹けばバァンと閉まるか逆に反対側まで開いてしまうが、この重厚なカービングの施された幅の広いドアは、滑らかに開くのに手を離してもゆっくりと閉まる。
家のドアノブは丸い形でリィンの力でもガタついたが、このレバーは下に押すと絶妙な抵抗があって心地の良い音がするのだ。
呼び鈴を二回鳴らしたリィンは、ドアノブを引こうと手をかけたがやめる。程なく、がちゃりと音がしてドアは内側から開けられた。
出てきたのはキアの姉だ。キアと似た少しうねった焦茶の髪を、耳にかかるくらいのふわっとしたショートカットにしている。むねのおおきい、おとなのおねえさんだ。
「こんちは!」
「リィンちゃん、いらっしゃい。わっ! すっごいぬいぐるみ。じゃなくて、ゴーレムかな?」
「けだまちゃんは、ゴーレムだよ」
キアの姉がまじまじと見つめると、毛玉はリィンの後ろに張り付いて隠れようとした。
「あ……あとで触らせてくれる?」
「いいよー」
「やった。キア呼んでくるね」
「うん!」
「ももも……」
キアの姉が弟を呼びながら戻っていった。
待つのに暇はしない。自分の家のそれの三倍くらい広い玄関の内側には、ドアと同じように模様が彫られた棚のようなものがあって、その上にはキアの母が作った造花がある。花弁はとても薄く本物のように見えるが、いつ来ても同じなのでこれは作り物なのだ。
「パンで作るのよ」とキアの母は言っていたが、パンというのが食べるパンの事なのかリィンは疑問だった。近づいてじいっと見てみるが、やはりわからない。パンを捏ねると花が作れると思って、家のパンでやってみたら数日後にはカビの塊になって怒られた。なので、これは食べるパンではないのだろう。
反対側には赤い樹脂の箱が幾つも積み重なっている。この箱も変わっている。中に細かい仕切りがあって、入るのはサイズの決まった瓶だけなのだ。
その瓶が、びぃるという飲み物の入れ物なのをリィンは知っている。
以前、キアの父がリィンにびぃるを飲ませようとしたからだ。キアの母と姉が必死に止めたため、リィンはまだびぃるの味を知らない。「暑い時にはびぃるが旨いんだぞ」と言っていたので、とても暑い日なら飲めるのかもしれない。例えば今日とか。
空き瓶が何本入っているのか数えていると、横からキアの声がかかった。
「おっ! リィン、うわなんだそいつ!?」
キアの部屋の入り口は階段を登った先にある。この階段も、リィンの家にもおじいちゃんちにも無いものだ。大きなお店にも階段はあるが転がったりしては遊べない。
階段の真ん中あたりから下まで落ちた時にはすごい音がして、キアと一緒にキアの母に怒られた。危ないと言われたが、怪我はしていない。
あの後から階段のフチには滑り止めが貼られて遊びにくくなってしまった。
その階段を登り切る。のろのろと階段を登る毛玉をキアと一緒に応援していると、段々と慣れてきたのか最後はそこそこ速くなった。
そしてこのキアの部屋だ。
リィンの家には居間と寝室と台所とトイレと物置部屋しかないが、キアの家には部屋がたくさんあってかくれんぼができる。キアの部屋にはドアがあるから大人が入ってくる時にはわかる。つまり、ここでは内緒の話ができるのだ。
クッションを大きくしたような柔らかい物体が二つ、ローテーブルを囲んでいる。リィンはその一つを腕で押していい感じの形にすると、すっぽりとおしりを収めた。
キアが向かいに座ると巨大クッションは満員となり、あふれた毛玉はうろつき始め、しまいにはベッドに転がった。
「それで、おまえ何日も来なかったのか。ちょっとは心配したんだぜ?」
「リィンげんきだよ。けだまちゃんとお役所に行ったあとはね、次の日ほけんじょ行ってまりょくそうさを教えてもらて、おとついはがっこのそうだんして、きのうはおかーさんとごろごろ寝てた」
「保健所で魔力操作習ったんなら、スケール測ったんだろ? なぁ、いくつだった?」
キアは青みを帯びたグレーの瞳を輝かせて、オレンジスカッシュとポテトチップの置かれたテーブルに腕を乗せリィンに迫った。
「えっと、じゅういち?」
「11?! すげぇ!」
「おおきくなって、まりょくそうさ慣れたら、もっと増える言ってた」
「やべーな!」
高い二階の窓からは、よーく見ると何軒か向こうにリィンの家の煙突が見える。
リィンは頭を傾げて、ここ数日で得た知識を総動員した。
「でもリィン、じゅつは使えないって。とくせーとかぞくせーとかが全然ないんだって。まどうぐは使えるけど、高いし、おとーさんが使えないしー。けだまで我慢しなさい言われた」
「もっー、ももっ!」
あまりにもリィンが淡々と返したせいか、キアの興奮は些か冷めた。
「あー、そっか。リィンのオヤジさんって先民だっけ?」
「うん。おとーさんはエイヴィだよ。リィンに全然にてない」
「高学年なったら、似てくるんじゃね?」
「ほんと?!」
嬉々として声を上げリィンは話題に食いついた。日に照らされた橙の髪がそよぐ。
キアは少し驚いて、目の前の二歳年下の幼馴染とクラスメイトの見た目を脳裏で比べてみる。
「んー、二年のヤツは耳は少し尖ってるけど、髪キラキラしてねーしな。高学年のエイヴィはキラキラしてるから見たらわかる」
「へーー!」
リィンはポテトチップを摘んだ指で耳にべたべたと触れた。自分の耳をじっくり見たことはないので良くわからなかったが、フィンおじさんが「耳はおとーさんとちょっと似てるよね」と言っていたのを思い出す。
リィンは機嫌を良くしてオレンジスカッシュのストローを吸い上げた。凄い勢いで水面が下がってゆく。
「けだまちゃんもたべるー?」
「もっ!」
呼ばれてベッドで転がるのをやめた毛玉が、二人に寄ってくる。キアが摘んだポテトチップをそろりと毛玉の口元に近づけてみると、大きく口が開いて一口で消えた。
「食ったぞ?!」
「もも……も、も」
「食べ物もあげた方がふわふわになるんだって。やさいくずとか食べてる」
「すげーな」
キアが面白がって毛玉に与えるので、リィンの食べる分が減ってゆく。リィンも対抗するようにポテトチップを摘んだ。
毛玉にストローをくわえさせたり、剣術ごっこをしたり、至って気まぐれに取り止めもなく時間が過ぎる。
窓からねぐらに帰る鳥の群れが見える頃には「帰ったぞー」と大きな声が下から響いてきた。キアの父だ。
キアの父は、ゴツくて髭が濃くて声がでかくて脚が短い。先祖のドワーフの血が出ているのだ。キアのごわごわした髪は明らかに父似だが、今のところは脚が短くなる気配はない。
キアはテーブルに肘をついて不満げに目を伏せた。
「エイヴィはシュッとしてていいよなー。走るのはぇぇし。人気ものなれるぜ?」
「あしはやいと、にんきものなれるの?」
「足早い奴、何やらせてもつえぇだろ。試合にならねぇときは、身体強化を使える人は使っていいですって先生が言うこともある」
「リィンのまりょく、しんたいきょーか使うのはすごく上手くできるって!」
リィンは今日一番の笑顔で両手を広げた。
キアも自然と笑顔になる。
キアは身体強化も使えなければ走るのもあまり速くない。今でさえ下手をすればリィンに負けかねない。クラスメイトに馬鹿にされるのはムカつくが、リィンに負けるのは悔しくても我慢はできる。
「ずりぃ。術使えなくてもクラスいちだろ。ファントムも身体強化しかできねーのに超つえぇし」
「そっかー。リィン、ゴールデンファントムになっちゃおうかなー」
「もっもー」
「なっちゃえ、なっちゃえ。それで他のやつを全部やっつければオレもスカッとするし」
リィンは巨大クッションから立ち上がり、ベッドの上にあったおもちゃの剣を手にした。
脚を開き、腰を落とし、半身に構える。
キアに向けたその姿はやけにサマになっていた。
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