毛玉、役所に行く
樹脂で作られた流線形の座面が並んでいる。エルゴノミクスを意識したそれは、硬質に見えて座り心地は悪くない。役所に有名デザイナーの本物を買う予算があるとは、ダレンには思えなかった。椅子としての機能を果たして、リィンと毛玉が大人しくしていてくれるのなら十分である。
リィンはフィンレイからもらった人工魂魄の核を手の中で転がしていた。箱に最後まで残っていた一つ。ルチルのようなインクルージョンが入ったそれを、角度を変えたり光に透かしたり、何度も繰り返している。
『お呼び出しいたします。38番、38番の番号札でお待ちのお客様。5番窓口までお越しください』
口の中で番号を繰り返しながら、リィンは毛玉の隣に座るダレンの手元を確かめた。ダレンは脚を組んで腕をつき、大きな背を丸くして動かない。リィンが呼びかけると、イヤーカフのはめられた少し尖った耳だけが、名を呼ばれた猫のようにぴくりとした。
リィンは人工魂魄の核をポケットにしまい、勢いつけて椅子から着地する。きょろきょろする毛玉の前まで行き、ダレンの肩に手をついて力任せに揺らした。
「おとーさん、おとーさん」
「……ん、何だ」
「さんじゅうはちばん!」
「ももっ?」
ダレンは番号札を見て、あっと声を上げると慌てて立ち上がった。
「すまん、めちゃくちゃ考え事してた……」
「もーー。5番窓口だって」
「お、おう。行くか」
手渡された冊子には、ゴーレム使役の手引きとある。ダレンは指で弾いて軽くぱらぱらと冊子をめくった。
「十二歳未満のお子様がゴーレムのオーナーとなる場合、いくつか特例がございますので、案内を必ずご確認くださいますようお願いいたします」
ゴーレムの認定は特定動物をペットにする時の手続きに似ている。動物に予防接種があるように、ゴーレムには人工魂魄ウイルスの検査がある。もっとも、動物とは安全性が段違いなのでオーナーの年齢制限は緩い。認定済みのゴーレムであれば、こうした公共の場に連れ込むことも受容されている。
反面、認定を得るには定格消費魔力を満たさなければならない。不安定な魔力での使役は、セキュリティホールの原因となりえるからだ。魔石のみで使役することも可能ではあるが相当に金がかかる。その場合、おそらく収入面の審査があるのだろう。
追加の説明を型通りに終えると、窓口の係員は声を柔らかくした。
「認定タグはいくつかのタイプをご用意してますけど、如何しましょう? 首にかけるタイプ、足輪、耳標もありますね」
「もっ?」
「毛玉に首らしい首は無いし耳もなぁ……」
「どーぶつえんのペンギンさんが手に付けてるやつ?」
「あー、アレか。すみません、そういうのあります?」
係員が後ろの棚から腕時計のベルトのようなものをいくつか選んで並べた。
「これでしたら調節も効きますので」
「リィン、この、水色のがいい!」
「リィンがするわけじゃねぇだろ……」
ダレンは苦笑しながら、カウンターに置かれた水色のバンドを手に取り、毛玉のヒレの付け根に回してみた。長さも幅も丁度良い。
「じゃ、これでお願いします」
「刻印しますので、少々お待ちください」
5番窓口は一階ロビーの端にあり、大型のゴーレムを扱うために外のガレージと接続している。その奥から作業服の女性が小走りにやってきた。一目でエイヴィだとわかる、途中で色を変えるコーラルピンクの髪が鮮やかだ。
作業服の職員は昔の活版の印刷機を小型にしたような機械に活字をセットし、印字面にベルトを挟んで両手をレバーにかけると「ふん!」と掛け声をあげて押し下げた。
「これ、結構力がいるんですよね……」
出来上がったタグをカウンターに届けに来た彼女は少しばかりはにかんだ。
ダレンはタグを手に取って確かめた。圧力のかけられた部分が白く盛り上がり、樹脂に文字が刻まれている。登録番号と、けだまちゃんという文字。けだまちゃん、までが正式名称らしい。
「リィンがつけるっ」
「お、やってみ?」
早速といった体で、リィンが毛玉のヒレにタグのベルトを回した。ダレンはかがみ込んで一人と一匹を見守った。毛玉が予測せず動くために若干苦闘していたが、うまくできたようだ。
上から職員が小さく笑う声が聞こえ、ダレンは立ち上がって礼を述べる。
「けだまちゃん!」
「もっ! もっ!」
水色のタグをつけた毛玉の手を引いて、リィンは誇らしげに窓口を後にした。
「かわいい女の子だったー」
リィンの言葉の意味が分からず、しかもその言い方がやけに大人びていて、ダレンはあたりを見回した。それらしい女の子はいない。
「女の子? 誰が?」
「けだまちゃんのこれ、作ってくれた人」
「あー、はい。フィンはおじさん呼ばわりなのに……」
「フィンおじさんは、おじさんだよ」
「フィンかわいそ」
ダレンの目の前で、手を繋いで歩くリィンと毛玉の背中が揺れている。
「あの職員か。エイヴィが公務員やってるのは珍しいと思ったが……」
呟くダレンにリィンが両手を広げて振り返る。ワンピースがはらんだ風に膨らみ、手を繋がれたまま振り回された毛玉は不恰好なダンスをするように回った。
向かい合って止まったリィンの、ノースリーブから覗く幼い肩を真夏の太陽が白く照らして、ダレンを見上げる笑顔をいっそう鮮やかにした。
「あのね。エイヴィの女の子は、いいにおいがするんだよ」
「は?」
「もっ? もっ?」
「おとーさんは、しないの?」
「そりゃ、するといえば、する……」
ダレンは片手で顔を覆って空を仰いだ。
「それはあまり、かーさんに言わねぇ方がいいかもな」
「なんで?」
「なんでって、そりゃ……」
♦︎
約束通りにダレンは早起きして部屋の掃除をしたらしい。リーシャは窓の桟を指で拭って目を凝らした。あの毛玉の毛も、目立った埃もない。
ダレンとリィンは朝から出ている。今日の掃除はしなくて良さそうだ。リーシャはソファーに身を投げ出した。ラジオのスイッチを入れてみるものの、何を聞いても雑多として落ち着けず、すぐに消す。
数分、目を開けたままソファーに寝転がっていたリーシャはふらりと起き上がって寝室へと向かった。
窓を全て開け、クローゼットを開け放ち風通しを良くする。日頃からの湿気対策が功を奏して、滅多に着ることのない服や古い雑貨にもカビや虫はない。
セミの声が風に乗って遠くから響く。いつにも増して天気は良い。
リーシャは踏み台を持ってくると足を乗せ、クローゼットの最上段にある箱を下ろそうと両手を上に掲げた。箱を掴んだ瞬間バランスを崩しかけ、音を立てて踏み台から片足を下ろす。勢いのまま、数歩下がってぽすんとベッドの上に座った。
箱の蓋を開ける。中には写真店で現像してもらうとついてくるミニアルバムとネガが入った袋が無造作に重なっていた。
袋を裏返すと七年前の日付が書き入れてある。
手を止めて、ぼうっと日付を眺める。何分そうしていただろう。リーシャは漸く身体の動かし方を思い出したかのようにミニアルバムを手に取った。
所詮、おまけでもらえる安っぽい作りだ。長らく開けられることのなかったアルバムの、透明な袋部分は少々張り付いてパリパリと音を立てた。台紙には中性紙が使われているため、写真自体は無事だ。
「……服がダッサ」
七年前の自分は眩しく、ダレンはぎこちなく。こちらに笑顔を向けている。リーシャの指は止まることなくアルバムをめくった。途中、一枚が目に止まる。少し風変わりなギターを持った自分が写っていた。
リーシャはベットから立ち上がり、今度は注意深く踏み台に上がった。ふらつかないよう爪先立ちしながら、滅多に覗くことのないクローゼットの最上段の更に奥に手を伸ばした。黒い合成繊維のケースを引っ張り出し慎重に下ろす。
ベッドの上でジッパーを開けると、写真の中にあった楽器が現れた。ネックは普通のギターでボディがコンパクトな、所謂トラベルギターと呼ばれるものだ。
手に取ってみる。保存状態は悪くない。旅ギターに求められる軽量化ゆえに一体の単板で作られたネックにはロッドも通っていないが、見たところ反りも出ていない。
弦は気持ち緩められていて、かなり黒ずんでいた。僅かに錆も見える。
リーシャはケースの外ポケットを開けた。説明書、教本、カポ、ピックの入った小さな缶とピッチパイプ、それに未開封の弦。密閉された樹脂の袋を割いてみれば、中には真新しい金属の輝きがあった。
古い弦を取り外そうとペグを回すが感触が渋い。
「アレ? どっちだっけ……」
弦をつまびいてみる。当然、音が鳴る。思いの外響いた音に、リーシャは反射的に部屋を見回した。まだ、昼前だ。まだ、誰もいない。
リーシャは一式を抱えて居間に戻った。開け放たれた南向きの掃き出し窓と外を区切るものは、生温い風に波打つ薄いレースのカーテンだけだ。
もう一度鳴らす。余韻の中、音が低くなる方にペグを回す。緩んだ弦を慎重に、けれど迷いなくペンチで断ち切る。
古く錆び付いた弦は、いとも簡単に解けていった。
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