毛玉、庭で遊ぶ
扉をノックすると、軽く短い返事。ノブを回せば、扉は見た目の重さとは裏腹に小気味良い音を立てて開いた。フィンレイが手をつけている書類から目を離さずに言った。
「リィンちゃんは?」
「10ベル棒食いながら庭で遊んでる。あと、あの茶は新しいのを買った方がいいぞ。どうだ?」
フィンレイは机の上から書類を一枚取ってダレンに差し出した。水色の独特の地紋が刻まれた良質紙だ。右下に書き込まれたサインが目立つ。
「ゴーレム検査証。住所は合ってる?」
「ああ。ありがてぇ。そっちは?」
「リィンちゃんの診断書。毛玉ちゃんの定格消費魔力は標準魔力スケールで7。言いたいことはわかるよね?」
「7?! 使えるガキがどんだけいるんだ……」
扉の向こうをフィンレイが指差した。
「あそこにいるわけだけど。まぁ、定格なんで実際そんなに食わないし、金持ち向けのモデルだから普通は世話係あたりがオーナーになるんじゃないのかな」
「なるほど……」
「魔力スケールはリィンちゃんが魔力操作に慣れてから計測だね。けど、毛玉ちゃんのスペックと泳動式の感触からすると現時点でも10は軽い!」
毛玉の定格消費魔力を聞いた時とは逆に、ダレンはさほど驚きもせず淡々と頷いた。
二人の間に微妙な空気が流れる。フィンレイのテンションは急激に萎み、勢いつけて胸の前に握っていた拳を下ろした。
「反応が淡白すぎる……」
「まぁ、俺なりに調べて覚悟はしていたし。それの結果は?」
ダレンが指差した先。泳動式で使ったゼリーのようなものは、染色液で染められて青い帯状の模様を見せていた。
「かなりピュアな魔力だ。未分化とも言うかな。先民との間に生まれる子の特徴がとてもよく出てる」
「……そうか。それは結構嬉しいかもしれねぇな」
「そういうもん? はっきりした属性を欲しがる親の方が多いけど」
いつもそうするように、ダレンはぎこちなく笑った。青い縞模様を見つめつつ、小さく溢す。
「形は違うが、俺に似てるってことだろ?」
「……ああ、そうだね」
満足げなダレンを見て、フィンレイも口元を綻ばせる。椅子に座り直し机の上に視線を戻したフィンレイのペンがさらさらと動いた。
「リィンちゃんに何か習わせたりはする? 術を使うのには向いてないけど、身体強化や魔道具は効率よく使えるよ」
「当面はねぇかな。身体強化は悪くはないが……当面は毛玉で十分だ。むしろ毛玉が例外なんだ。大抵のことは電気安定だろ。量産できて誰でも使えて誰が使っても同じ。いい時代だ。電池にされるやつの身にもなってみろ。オール魔化住宅? エルフは森にお帰り下さい」
「いかにも先民らしい考え方だよね。リィンちゃんは勿論、リーシャさんともちゃんと相談しろよ? うっし、こんなもんかな」
フィンレイは書き上げた書類とメモをまとめてクリアファイルに挟むと、ダレンに手渡した。
「リーシャさんは魔力2あるかないかだったと思うし、ダレンは先民だし。世帯にゴーレムを使役できる魔力持ちがいることを証明しないと役所で突っ込まれる。うまい具合にリィンちゃんの診断書も作った」
「うまい具合……」
クリアファイルの中の診断書をちらりと覗き込んで見たものの、ダレンにはわからない専門用語も多い。一方、メモの方はダレンとリーシャが読むことを前提としているようだ。
「嘘は書いてない。エイヴィは先民の例に漏れず子に巫力が出なかった時は魔力が高くなる傾向があるから、そこまで深掘りはされないはず。それに――」
フィンレイは席から立って、古びた本棚から分厚いハードカバーを一冊取り出した。
――生物系統学 第五巻 脊椎動物。本自体は新しい。終盤のページを開いてダレンに開いて見せる。
「日常生活で人類っていう時は普通、ここから右側だ。で……」
フィンレイはさらにページをめくって別の図を指差した。よく見る系統樹とは違い、一本の幹から何本も枝が伸びる櫛のような形をしている。櫛の根元から近い枝の一本が指でなぞられた。
「初めの人類は魔力ではなく巫力に近いものを持ってたのが最近わかってきてる。ここから魔力を得たヤツが現れた。俗にいう真民、アルヴス。エルフやドワーフ、そしてヒュムを含む枝だ」
ダレンが頷くと、指は一旦枝分かれの根元に戻る。とんとんと叩いて示してから、幹を先へとなぞった。
「アルヴスに別れなかった方、この分岐から先全部が先民……ナティヴスだ。ナティヴスの中の枝の一つが――」
さらに右側にある分岐の根元で、フィンレイの指が止まった。
「エイヴィだ。エイヴィってのはここの分岐から先全部をいうんだ」
「ゲシュは……。そうか」
「うん。ゲシュはエイヴィの中の枝だから、系統学的にはダレンは紛うことなきエイヴィなんだよ」
ダレンは背を丸めて食いつくように図を見た。フィンレイがどこか誇らしげに言う。
「おじさんがダレンの戸籍を作った頃は分子系統学も系統地理学も殆ど知られていなかっただろうし、嘘から出た真ってやつかな」
フィンレイのそれよりも少し骨張った指が、枝の先で丸をぐるぐると描いた。
「普通は……」
「うん」
「普通は、エイヴィといえばゲシュは当然含まない。何か屁理屈で誤魔化された気もするが、このやり方の方がスマートなのは俺にもわかる」
「その、含まない分け方を側系統群っていって最近は認めない分野が増えてる。ま、こういう小ネタを知っておくと堂々と嘘をついていない気分にはなれるよね」
ダレンは背伸びをして、窓際へと背を預けた。真夏の生ぬるい空気が入ってくる。角の向こうから聞こえる、リィンと毛玉がじゃれあう声がそこに混ざった。
「系統学か。亜人とか人間みてぇな分け方がバカバカしくなるな……」
窓から手を伸ばせば、やけに背の高くなったルピナスに届く。手入れしているというよりは放置で増えた様相だ。まだ蕾のあるあたりをもいで手に取る。
「だが、納得はいく。意識のある生物に影響しやすいのが呪力で、意識のない生物に影響しやすいのが巫力だ。エイヴィが歌で人も鼓舞するように、俺も力任せにやれば巫術の真似事はできなくもない」
いくぞ、と言ってルピナスを摘んだ手を前に差し出し、フィンレイの注意を引いた。しばしの沈黙。何も起こらない。フィンレイが首を傾げる。
「すまん、外さないと流石に無理だ。繋がる感触が全くねぇ」
言ってダレンはイヤーカフから外し始めた。イヤーカフだけで三つ、リング、バングル――
「いくつつけてんの?」
「っと、六つか。正直、足りてない。呪力用のはこのイヤーカフだけで、他は巫力用のやつだからイマイチ……」
「呪力用の強力なリミッターは民生じゃまず手に入らないからなぁ」
「お陰で、会社じゃ俺は歌で女を酷い目に遭わせたエイヴィだと思われてる。本人の知らない間に勝手にカバーストーリーが」
笑いを堪えるフィンレイに、ダレンはもう一度ルピナスの花穂を向けた。
「いくぞ?」
「どうぞ」
「生き急げ、命短し、花は、いま咲く」
最後の句が終わると、ルピナスの蕾はゆっくりと解けてゆく。ドヤ顔のダレンを前に、フィンレイは堪えきれずに言った。
「本当に、酷い歌だ」
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