毛玉、調べられる
裏路地から更に奥へ入ったこの辺りには街中の喧騒は無い。それでもまだ敷地いっぱいに建てられた事務所や商店が多く並ぶ中、生垣とささやかな庭に囲まれたここは清涼な空気を纏ってひときわ鮮やかに見えた。
木造の白い壁に赤い三角屋根、洒落た格子の出窓。半世紀は昔を感じさせる様式だ。開拓時代にはここは牧場か何かで、建物だけが生き残ったのだろう。
生垣に混ざるフサスグリの、たわわと実った赤い実にリィンが惹かれて駆け寄った。毛玉が遅れて追いかける。
「これ、たべれる?」
「食えるぞ。でもそれ――」
言うや否や、リィンはダレンが止める間もなく実を口に入れた。
「むきゃ!」
「もっ?!」
フサスグリの赤い実は、絞ったタオルのような顔になったリィンの口から勢いよく吐き出されて飛んでいった。
「おいおいおい」
「すっぱいよう」
「これは、食えるが、めちゃくちゃ酸っぱい。普通はジャムとかにすんだ。ほら、中に入るぞ」
ダレンがドアをあけると、目的の人物はエントランスの向こうにすぐに見つかった。亜麻色の髪の中性的な容姿から発せられた声は男性のものだ。
「ダレン! それに、リィンちゃん?」
「久しぶりだな、フィン」
「リィンちゃん、めちゃくちゃデカくなったなー!」
笑顔で近づいてくる白衣の男に、リィンは一歩後ずさった。
「だれ? このおじさん」
古民家に手を入れて使い続けている工房の内部には、重厚な古さと澄んだ新しさが混ざり合う落ち着いた空間が広がっていた。
庭を通して斜めに降り注ぐ日差しの向こう、木の肌が見える梁が目を引く。二階は無く、その分天井は吹き抜けて高い。一部を渡るロフトの上には所狭しと書物が積み重ねられて、その混沌さとは対照的に一階の工房は整理整頓が行き届いて洒落た喫茶店のようでもあった。もっとも、壁に並ぶのは食器や調味料ではなく、色とりどりな瓶や用途のわからない器具だ。
「リィンちゃんは、きれいな石がすきなのかい?」
「うん! 集めてる」
「じゃあ、石じゃないけど、これなんてどうかな。好きなのを一つあげるよ」
フィンレイが置いた箱の中には、うずらの卵くらいの大きさのガラス玉のようなものが幾つも入っていた。青い渦のもの、黄金の粒が漂うもの、角度を変えると虹色に見えるもの――そのどれもが一つとして同じではない。
「ふぁぁーー」
「ももっ」
夢中になって箱を覗き込む一人と一匹に、フィンレイは目を細めた。
「おじさんはね、リィンちゃんのお父さんの友達なんだ。お父さんとお話してくるから、少し待っててね」
「……うん!」
ダレンはサイダーの王冠に硬貨を差し込んで開けた。一口あおり、部屋の端の椅子に勝手に座る。リィンは箱の中身に夢中らしい。
「フィン、あれは何だ?」
「人工魂魄の核だね。廃棄ゴーレムのやつ」
「おい?」
「記録は完全に抜けてる。ただの綺麗なガラス玉だよ。そんなことより……」
ダレンに一歩寄り机に腰掛け、フィンレイはその柔和な笑みを消してから続けた。
「君の方からわざわざ来たんだ。何かまた入り用なんだろ?」
「あの毛玉の認定が欲しい。毛玉はリィンの魔力で動いてる。正規のパスだ」
「つまり、リィンちゃんの検査もしたいと。質も見たいから魔力泳動式でいいかな。ゴーレムの分、若干ズレて出るだろうけど諸元が分かれば補正はできる」
「話が早くて助かる」
フィンレイは早速準備を始めた。その向こうではリィンと毛玉が声を上げている。ダレンは席を立ち、通り過ぎざまに付け加えた。
「無いとはわかってるが、呪力も頼む」
「了解。どうせ君が来ないと、そっちの試剤は減りもしないし」
大きな作業台の上にはリィンが並べた核の玉。毛玉がヒレの先で転がして遊んでいる。リィンはその位置を戻したり取り替えたりしながら毛玉に話しかけた。
「これは海、これは星、キャベツ」
「もっ、もっ、も」
「こっちは、おじいちゃんのお酒。これはぁー」
「もーっ?」
人工魂魄の核は初めは無色透明で、ゴーレムが年月を重ねると様々な色、インクルージョン、パターンを生み出す。伝統的に魂魄とはいうが、生命の脳の原始的なシステムを魔工学的に再現した集積回路の一種で、現れる模様は回路の成長が残す年輪のようなものだ。
並べられた核は、おおよそ色相環の順に沿って見える。ダレンは、その輪に入れないまま箱に残っている一つを指差した。
「それは?」
「これはねぇ」
「もっ?」
リィンは箱からぼっちの核を取り出して、光に透かした。内部には繊維のようなインクルージョンが無数に走っている。小さな指がその角度を変えると、光の反射の具合で淡い金色の縞模様が動いて見えた。
「ルチルみてぇだな」
「ミィちゃみたい。けだまちゃんにもちょっと似てる」
「もっ! もっ!」
リィンはぼっちの核の置き場所に悩んだ末、列の始めに置いた。
フィンレイが機材を運んで来る。ダレンが姿勢を正してリィンの隣に座ると、リィンと毛玉にも何かが始まるということが伝わったのか、すっと静かになった。
「よし。じゃあ始めるか。って、ダレンの方が緊張して見えるんだけど?」
「これ、緊張しねぇ親、いる?」
「リィンはきんちょー、してない!」
フィンレイが吹き出し、場が一気に和む。天板に置かれたのは、ノートくらいの大きさの透明な平たい容器。中は液体に浸かった薄く半透明のもので満たされ、その片側に取り付けられた装置からは線が伸び、薄紫の金属の棒に繋がっている。
「おばーちゃんの作るゼリーみたい」
「リィンちゃん、なかなか鋭い。この棒を握ってくれるかな?」
「……うん」
「始まったら、ちょっとじわーっとするかも。気持ち悪かったら離していいからね。じゃいくよー?」
フィンレイが装置のスイッチを入れると、ぶううんと作動音が響いた。毛玉とダレンはじっとリィンを見守っている。
リィンは一瞬小さく震えると、目を見開いて声を上げた。
「おおーー」
「どう?」
「リィン、これ知ってる」
「あれ? リィンちゃん、魔力操作できたの?」
「わかんない。でも、けだまちゃんと会ったとき、あくしゅしたらこうなった」
「もっ、ももっ! もっ!」
大人二人が顔を見合わせる。ダレンは「マジか」とでも言いたげな表情だ。装置の状態を確かめたフィンレイがダレンに頷いた。
「なるほどね。これは10分くらいかかるから、そのまま握っててくれるかな?」
「わかった!」
「その間に、そのゴーレムのことを調べよっか」
「けだまちゃんっていうんだよ」
リィンは左手で棒を握ったまま、空いた手で人工魂魄の核を弄っている。フィンレイからは、もし気持ち悪かったらと説明があったが嫌がる様子もない。
ダレンは窓の外を見つつ、誰に言うとでもなく溢した。
「……魔力はあったけぇって聞くよな」
「うん。くびのところがね、じわーってしてぱあああってして、あったかいのがぴゅーってあちこちにいった」
思い掛けず返ってきた答えにダレンは瞬きを忘れ、それはすぐにいとしいものを見る色になった。あたたかな橙の髪を撫でようとリィンに身を寄せかけたものの、検査に影響しては不味いとその手を下ろす。
「10分もじっとできるか?」
「よゆう。リィン、これ好き」
「そりゃ、良かった」
しばらくして、フィンレイが本の束を抱えて戻ってくる。毛玉の生産元であるイニティウム魔工業のカタログだ。
フィンレイは毛玉のヒレの裏を確かめてメモを取るとカタログをめくった。
毛玉のヒレやお腹にセンサーが取り付けられるのを、リィンが興味深そうに見ている。途中、毛玉がわたわたと動き始めて、ダレンは片手でむぎゅっとその頭を押さえつけた。
「毛玉ちゃんは生体タイプだから、人工魂魄を直接見るわけにはいかない。規定の検査をして終わりかな。今年も幾つかウイルスの指定が出てるけど、どれもバックドアのスペクトルは解明されて公表済みだし――」
フィンレイはダレンとリィンに見えるよう、向きをひっくり返してカタログを置いた。開いたページにはフルカラーで毛玉とそっくりなゴーレムが描かれている。
「けだまちゃんだ!」
「ももっ?」
「……限定500体。イニティウム歴代最高峰の人工魂魄を採用。生物を模倣したメンテナンスフリーなボディ。お子様の情操教育やメンタルケアに最適な――おい、なんだこの価格、やべぇ。そこそこの高級車が買えるぞ」
ダレンはスンッと真顔になると毛玉を見つめた。捕食者に睨まれた獲物のように毛玉が固まる。じりじりと下がろうとする毛玉にダレンの手が伸びる。
「おとーさん?」
「……ッ」
リィンに止められ、ダレンは眉間に手を当てて天井を仰ぎ、ふぅーと息を吐いた。
「すまん。一瞬こいつが札束に見えた。嘘ウソ。毛玉は家族だ」
「おとーさん……」
「もーーっ! もっ」
「こうなると、別の心配事が湧いてくるな。元の持ち主が探してたりはしねぇのか?」
ダレンの疑問を耳にしたリィンは、寄ってきた毛玉を守るが如くその手を掴んだ。決意を秘めた目をして大人たちを見渡す。
微笑ましいものを見るようにフィンレイが笑った。
「それは大丈夫。ゴーレムと主との結びつきは、主が手順を踏んで解消しない限りはずっと残る。リィンちゃんが繋がったってことは、元の主は分かった上で手放している」
「それは少々、ロマンチストすぎる希望に思えるが……」
「ロマンチストというか、セキュリティ上の都合だよ。簡単に書き換えられるなら、誘拐されたゴーレムが出回ってしまう。登録もオーナー権を失った時点で無効になるから、明らかに主のいない野良ゴーレムは無主物扱いになるし拾っても民法上問題ないし――」
「ああ、はい……」
早口になりかけたフィンレイにダレンが両の掌を向けて止めようとした時、タイマーがジリリリと鳴った。毛玉が音に反応して毛をぶわっと逆立てる。フィンレイは何やら確認して頷くと、装置のスイッチを切った。
「リィンちゃん、おつかれ。もう棒を離して大丈夫だよ」
「リィン、つかれてないよ?」
「ははっ。これは、長くやりすぎても上手くいかないんだ。このゼリーを調べるとね、リィンちゃんの魔力が何が得意なのかわかる。リィンちゃんも知りたくない?」
リィンは少しの間悩んでから、名残惜しそうに握っていた棒を机に置いた。それから、ころっと済ました顔をして、フィンレイを上目遣いで見た。
「はーー。しょーがないなー」
フィンレイがぷっと吹き出す。ダレンが溜息をついて小声で言った。
「どこでそんな言葉と対応を覚えてくるんだ」
「まぁ、親だよね。結果が出るのにまたかかるから、適当に時間潰ししてて。そこの籠のお菓子も、あと茶も勝手に入れて。窓を開けて庭に出てもいいし」
言うだけ言って、フィンレイが機材を抱えて奥の部屋へと消えてゆく。ダレンは籠の中の茶缶を開けて確かめる。茶葉の香りは強いとは言えず、幾分か古くなっているように思えた。
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