第35話 悪意の影


 森の小径を抜けると、段々と植物の少ない風景が増えてきた。同時に空の色も少しだけ青さが増して来て、タクミにとっては落ち着く風景になる。


 やがて赤茶けた岩山が聳え立つ谷に入り込む。


「タクミ、この谷を抜ければ、ヨバラズ村だ」


「日暮れまでには着ける?」


「ああ、大丈夫だろう」


 ヨバラズ村まで行けば、馬を借りて移動ができるという。


「そうなれば移動は速い。『神の塔』まですぐだ」


「馬……馬ってあの四本足の、顔が長くてヒヒンと鳴く?」


 レイカは少しだけタクミを憐れむ表情を浮かべた。


「そうか、タクミは馬を見た事ないのか」


「ちがっ、違うよ! 乗った事が無いだけだ」


 するとレイカはさらに憐憫れんびんの意を表してタクミの肩をたたいた。


「馬が珍しいんだな。そういう村もある。気にするな」


「違うってば!」


 ——馬に乗る方が珍しいんだよ。


 と、言いたいタクミであるが、レイカの楽しそうに揶揄からかってくる笑顔を見て、言葉にはしなかった。道行きは楽しい方がいい。


 タクミも一緒に笑った。




 その二人に気づかれぬように、黒い人影が高みから見下ろしていた。谷を通る二人が気が付かないのも無理はない。両脇にそびえる切り立った崖の上から、それはタクミとレイカの様子を見ていたのだ。


 観察していたと言ってもいい。


 砂塵さじん避けのためか、頭を黒い布で覆っていて眼だけ覗かせている。そこに古めかしい双眼鏡をあてて、二人の動向を知ろうとしていたようだ。


 その人物に背後から声をかけた者がいる。


「ジョヤ」


 名を呼ばれて、観察者はバッと振り返り片膝をつく。大きな黒馬にまたがった、巨躯の男が自分を見下ろしている。


 黒衣で身を包み、闇色のマントを風に靡かせたその男もまた頭からフードを被りその表情は窺えない。


 ただそのフードの影から鮮烈な光を帯びた金色の瞳だけが浮かび上がっていた。


 ジョヤは自分のあるじたる黒衣の男にこうべを垂れる。


王我オウガ様がお探しの者かと」


 主にそう告げる声は、低いが女のものだった。


 黒衣の男は金色の瞳を見開くと、くぐもった笑い声を洩らした。聞く者に恐れを抱かせる——標的を見つけた狩人がこぼした笑いに似ていた。


 ジョヤもまた次第に高揚してきた。


 数百年来の一族の悲願が、今度こそ成就しようとしている。先日のツカサとかいう男を逃したのは痛かったが、その失敗を取り戻しても良いというお告げの如くが現れたのだ。


 ——これが天の采配でなくてなんだというのか。


 二人目もきっと、神の塔を目指す。その時こそ、祖先の願いを叶える時。


「永劫の苦しみから放たれる時だ」


 黒衣の男はジョヤの思考を読み取ったかの如くそう呟くと、馬の頭を巡らせる。ジョヤもまた、胸に熱いものを抱いて後を追うために走り出した。





 つづく

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